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読書メモ16「現代思想入門」


なんだかベストセラーだったんですね。

小さい頃、といっても中学生になるかどうかの頃って
こういうことをずっと考えてたなあと
甘酸っぱい思い出やなんかをぐるぐる回してたから
やっとこさ読了。

子どもの頃の拙い言葉であったけれど
確かに私はここの考えの端っこに到達してたのか!
とびっくり。
と同時に、やっぱり私ごときが考えることなど
先人たちがとっくに考えていることで
目新しいことなど何もないのさ、なんて思いながら読む。

私は誰かの受け売りの集合体なんだろうか、
オリジナルってなんだろう?とか
そんなことを考えていて、私は多分当時
「集めるものの組み合わせこそがオリジナリティ」
のところに到着して、そりゃあ人類の歴史の積み重ねがある分
昔の人より新品を作り出すのは不利だろうけど、
その組み合わせは無数だし、
ゆえに、私が私であるのはその組み合わせのみによる。
というところに着地した記憶がある。

実父(くそクズ in 鬼籍)が
「何かを残したい」
と言ったときに
「は?そんなつまんねーこと考えてんのか。
 お前が残した最高傑作は、この私だ」
と言った私はさすが中二病としか言えないが、
でも、今、私は親としてやはり同じスタンスで
子ども達、私がワイルドな環境にぶち込んで育てた割に
すごくいい子たちで、最高がいっぱいだけど傑作だと思う。

「差異」ドゥルーズ
この言葉を読む間ずっと、印象派とか熊谷守一の初期の絵を思い出してた。
輪郭、光、そういうもの。
肌にやわらかな日の光が当たって、産毛がきらきらして見える。
その肌の質感とか、何かそういうものをドゥルーズの「差異」の説明で
目に浮かんでいた。

時代背景があんまりよく分からないけど、
哲学、精神分析、フランス語が流行った時期があったんだろうか。
そういうアツイ時代があったのかもしれないな。
ダンディおじいちゃんとかいたもんなあ。
その時代の熱の中にいないと、過ぎてしまった今では
ただの古典、みたいになるかもしれない。
もちろん人間がいる限り止まることはなく、
新しい「在り方」を研究する人は少なくなく存在するだろう。
「カネになるかどうか」で学問を計る今のご時世。
タイパとかクソみたいなこと言ってる人は
思考が深まりようもない気がする。
思考を深めるために映画を倍速で見るような人は
悲しいくらいに本末転倒だし、
その人の思考は「1ページで分かる○○」みたいなものだろう。

この本に出てくる中でデートしてみたいのは
メイヤスー。
読んでみたいようなみたくないような。

中学生の私が思っていたのと似てたから。

私はその後、若い母親になって
頭の中ではなく、育っていく子どもや
日々の暮らしという大いなる現実と向き合い
「考えすぎない」
という場所を見出したともいえる。

あの頃、インターネットがあったらどうだったんだろう。
当時そんなこと考えてる中学生なので
ご想像の通り、友達はいない。
いるけど、いない。
そういうこと話せる相手はいなかった。
教会や、英語教室で英語でなら話したかも。
でも、相手はずいぶん年上だったし、私の言うことは
子どもの戯言だ。
同級生からしたら「めんどくさい」の一言に尽きただろう。

みずみずしい世界の成り立ちへの疑問ではちきれそうだった私と
話してくれる同年代の友達が、インターネットなら見つかったかもしれない。
いやまあ、千葉雅也さんは同年代っちゃ同年代だけど。

あれから数十年経っているというのに
「なんでなんでなんで」
は毎日おきる。
答えはない。
だから考える。
でもやっぱり「なんで」は減ったかな。

半世紀生きてきて感じるのは
「ああ、世界はやっぱり美しい」
「人間はすばらしい」
ということ。
「哲学する人間の在り方」のうつくしさを感じたので
この入門書を読むのも楽しいと思う。

哲学ってなんかいいわあ!
って思いたいなら

これもいいかも。
いかに感動するか、という視点のよう。
大昔に読んで以来で、本棚で見つけたので再読中。

おしまい。

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