若葉マークのヨーガ・スートラ 第3回

のんびりペースでヨーガ・スートラを私なりに噛み砕いていく過程の記録、第3回です。

第1回から読みたい方は、こちらへどうぞ。

ヴルッティ(考え)は、5つの機能があります。この5つは、クリシュタ(苦痛になる考え)とアクリシュタ(苦痛になる考え)に分かれます。

ヴルッティ=考えのは大きく分けると2つで、その下に5つの考えがぶら下がっているよと言っています。
大きな分け方は、苦痛になるかどうかです。

ヨーガ・スートラに出てくる「考え」というのは、一般的に言う「思考」=考えて頭に浮かぶ内容に限ったことではなく、その人が世界を観るための、ありとあらゆる方法のことだと思います。つまりは心。

そうだとすれば、例えば、視覚、聴覚など、五感で感じている情報。
人間、植木鉢、カーテン、のような、言語と情報を結びつけるラベルのような情報。
過去に感じた情報が蓄積されている、意識や無意識。
結果として、そこから生まれる感情、有意識・無意識な言動や行動とそれによる変化なんかも、全て、そこに含まれるはず。

つまり、アートマンが観ている、その人のことは、全部ヴルッティ。
その人に苦痛をもたらすことは、クリシュタ。
その人に苦痛をもたらさないことは、アクリシュタ。

骨折したら誰だって痛いのと違って、同じことでも、経験してきたことにより、苦痛だったり、苦痛じゃなかったりするはず。

①プラマーナ(知覚)、②ヴィパルヤヤ(間違い)、③ヴィカルパ(想像、迷い)、④ニッドラー(眠り)、⑤スムルティ(記憶)。この5つが、ヴルッティ(考え)です。

こういうところが、私がヨーガ・スートラをただ読むだけではなく、考えたことを記憶しておこうと思ったきっかけでもあり、「おおっ!?」と思う点なのですが、解釈する人によって、どれがクリシュタでどれがアクリシュタなのかの分類、違うみたいです。
ヨーガ・スートラ上で断言されていない部分は、もしかして各々、解釈をしていいのかな?と思ったきっかけでもあります。そして、色々な人の解釈を読むのが、より楽しくなる。
もちろん、自分に都合のいい解釈をすればいいわけではありませんが、自分なりの答えが、実践が深まれば見えてくるはず。

今の私は、プラマーナ以外は、どれも苦痛になり得るのではと思っています。
正直、一番わからないのがニッドラーですが。
この眠りは、日常的な眠りではなく、タマスによる眠りと解釈しています。

タマスとは心の状態を表す言葉の1つで、私はこのように教わりました。
タマスは、無気力。
ラジャスは、やる気。
サットヴァは、本気。

タマスが強いと、だるくなる。
ラジャスが強いと、エゴが強くなる。
サットヴァが強いと、真実がわかるようになる。

私はと言うと、結構な勢いで、タマスとラジャスを行き来しています。
ですが、このnoteを書いたり、ヨガ哲学について勉強した内容がクリティカルにヒットしている時は、ちょっとサットヴァっぽい瞬間なのかなと思います。
目の前が明るくなるような、これまでの当たり前が崩れ落ちて、突然空いた脳のスペースが震えているような感覚です。

今日はここまで!

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