若葉マークのヨーガ・スートラ 第2回

のんびりペースでヨーガ・スートラを私なりに噛み砕いていく過程の記録、第2回です。

第1回から読みたい方は、こちらへどうぞ。

(心が静まる時)人は変化を観る存在である自分の真実に至ります。

ここで言う、「心が静まる時」というのは、第1回で出てきた「考えの動きを静かに収めた」状態のことですね。
ヨガをして、身体をケアして、感情をケアして、思考をケアして、、、他の道のりも経ていくと、「自分の真実」に至れる、それは「変化を観る存在」ですよと。

ここから突然、壮大な話になりますが、、、ブラフマンとアートマンという言葉があります。
本当はもっと複雑な概念なんですけど、私の理解の範囲でざっくり超簡単に説明をすると、

ブラフマン=宇宙(つまり果てしなく広い概念)

アートマン=その人の真実(人の数だけあります。1人1アートマン。)

です。
そして、ブラフマンとアートマンはイコールなんだそうです。

つまり、「自分の真実」は、アートマンのことです。
アートマンは、果てしなく大きな視点から、その人の変化を観ています。
その人がその人生では、アートマンの存在に気が付かなくても、産まれて死ぬまでを観ているし、なんなら、その人の転生の過程も含めて、全てを観ていると。

実を言うと私も、ヨガを続けているうちに、アートマンが存在している感覚、わかるようになりました。
人それぞれ、色んなパターンがあるようなのですが、私の場合は頭の中で会話ができるイメージです。
ここに書いている内容も、一部、アートマンに聞いてみた内容が入っていたり、いなかったりします。
ただし、まだ「自分の真実」に至っている感覚はなく、ヨガを続けていたら、そのうち至れるかな、くらいの気持ちでいます。

考えの動きをニローダ(ケア)しないと、本当の自分を考えと混同する(そして苦悩する)でしょう。

私は昨日、陰と陽について考えていました。

簡単に言うと、陽とは外に向かうエネルギーの強い状態です。
バリバリ仕事をして、残業して、休日出勤して、成果を出して、評価されてお給料が上がって幸せ、そうしたら、こうしなきゃ!ああしなきゃ!みたいな、現代社会ではわりと普通な考え方じゃないでしょうか。
ちょっと前までの私は、そんな感じでした。
何度か倒れ、そんな状態じゃ生きていけないなぁと気づいて、ヨガに出会い、「考えの動きをケア」した結果、バリバリ仕事しなきゃ、みたいな気持ちは薄れていき。
たぶん陽が結構、薄まってきたんだと思います。

陽が薄まってくると、その分、陰が強くなります。
陰とは、陽と逆で、内に向かうエネルギーが強くなった状態。
元々私は陽が強かったからか、この状態にい続けると、なぜかものすごく不安で仕方なく、しんどくなるのです。

そして、なぜしんどくなるのかについて考えていくと、自分の無意識にまだ「陽の私こそが本当の私、早く取り戻さないと」という部分があることに気が付きました。執着です。
ここでもし私が、その無意識に気が付かなかったら、元のバリバリ仕事人に戻り、忙しくてヨガをやめ、そしてまた倒れる、を繰り返していたと思います。
この状態こそが、まさに「本当の自分を考えと混同して、苦悩している」状態ですね。
苦悩というか、下手したらたぶん、死にます。

どんなに苦しんでいても、苦しむことに慣れてしまうと、人間ってなかなか、変わりません。

心理学的にも、ラケット感情とか、ゲームとか、わざと自分が嫌な気持ちになるようなことを繰り返してしまうようなことがあるんですよね。

ちなみに、考えが静まっていってるなと思う時は、バランスの取れた、安心した状態になっていく感じがします。
何かに、極端に寄ったり、執着したりが減っていくようです。
悪でも善でもなく。
白でも黒でもなく。
月でも太陽でもなく。
陰でも陽でもなく。
全ての中間にある、とにかくフラットな、ポッカリ空いた空間へ、導かれるように、近づいていくような感覚です。

今日はここまで!

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