ココロ ⑥

 いつの間にか眠り込んでしまった私を起こしたのは、先日拾った赤ちゃんでした。おぎゃあおぎゃあと大きな声で泣いています。赤ちゃんの仕事は泣くこと。不意にこの言葉を思い出しました。 
 それと同時に、急に冷静になった頭が私に語りかけてきます。赤ちゃんを1人ボッチにして仕事をするなんてできない。ちょうど転職を考えていた私にとってはこれは大きな問題でした。それに、勿論と言ってもいいですが、私には子供を育てるという経験がありません。姪っ子を抱っこしてあやしたぐらい。その程度。これからたくさんの苦労をしなければなりません。

 ーお金がほしいー そう、思いました。仕事がしばらくできなくて、働けなくなってしまったら収入も減る。そうしたらこの子を育てることはできない。

 頭の中が紙幣で一杯になった時、ふと母の顔を思い出しました。もしかしたら母は私のことを助けてくれるかもしれない。あの時雰囲気が悪かったのも私が大学へ進学しなかったという小さな理由だけで少しギクシャクしていただけで、私が本当に困っている時にはきっと助けてくれる。母はいつもそうだったから。

 金の無心の電話なんてみっともないですが、私は迷わず母に電話しました。この子のためなら私は恥も捨てられるのです。
 何度か電話して、留守番電話も残してしばらく経ったとき、母から折り返しの電話がかかってきました。本当に嬉しくて、母は私のことを本当は想ってくれているのだと感動してしまい、ついつい声も明るさを持って話してしまいました。

「もしもし、お母さん?ごめんね、留守番電話もたくさん残しちゃって……」
 少しおかしい感じが受話器越しに伝わっています。何故か母は返事は愚かろくに言葉も発しません。違和感を抱えながらも私は久しぶりに母と喋られることがうれしくて、そのまま喋り続けていました。

「それでね、お金がほしいの……」
 母からの返答はありません。急に不安になって私はお願いしますとしか言えなくなってしまいました。まるでロボットです。私の口は意志とは反対に勝手に動いているようでした。
 母の声は少し遠くになり、何か喋っているようでしたが聞き取れません。
私はますます不安になり、同じ言葉を永遠と繰り返します。これは一体何の時間なんだろう、と遠くから自分を見つめていました。

『堕ろしなさい』
ふとはっきりとした母の声が聞えて我に返りました。この子を殺せと言っている。私は母への憎しみが湧き上がり
「もう産んじゃったの、だからお金をください」
とはっきりと言い返しました。簡単に小さな命を殺せなんていう母はどこか頭がおかしくなってしまったのでしょうか。

すると母は 
『振り込んどくから、お金』
と言い放ち、振込先を淡々と教えた後、勢いよく電話は切られました。

やっぱり母は私のことが嫌いなんだ、憎いんだ、ただ大学へ行かなかっただけなのになんて心の小さい人なんだろう。私の今までのモヤモヤとした想いは確信へと変わりました。母は私のことが憎い、そして私も母が憎い。嫌な利害関係が一致した瞬間です。

おぎゃあおぎゃあ。

赤ちゃんは未だに泣き続けています。私はギュッと赤ちゃんを抱きしめました。
「私はあなたに沢山の愛情を注いであげるからね。どこかの誰かさんみたいにあなたを見捨てたりしない。一生あなたの味方だからね」

 私は泣き止んだ赤ちゃんを抱っこしながら自身の銀行口座を確認しました。思った以上の額面がそこには記載されていて、私は嬉しさとは別に少し違和感を覚えました。あんなに生活が苦しそうだった母がどうしてこんな大金をすぐに振り込めたのだろうか。きっと私に隠れて自分のためにお金を貯めていたに違いない。
 私は母が夜の仕事をしていたことを知っています。女手一つで私を育てるためには仕方がないと昔は思っていました。でも多分、今でも母の女というアイデンティティを売りながら豪遊しているのだと思うと余計に苛立ちが涌きました。

 帰り道、私はもう一度、胸の中の柔らかな希望に
「 あなたを一生愛するからね」
と囁きました。

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