娘の体操教室と存在給
子の習い事で体操教室に通っている。
いろんな習い事をしてきた (している) が、体操が一番好きだと言っている。その見学をしながらボンヤリ考えたこと。
倒立ができる娘とできない私
私の生きてきた歴史の中で、中高の時の体操の授業は苦い思い出しかない。体育自体は大好きで、球技ともなると張り切ったものだが、体操はどうにも壁を感じていた。
身体も硬く、思うように動かせない。
小さい頃からやってきた人と初めて取り組む人には (水泳などと同様の) 大きな超えられない壁があるように感じていた。
今でも倒立とか前方回転とかバク転とかはもちろんできない。
体操が大好きで、側転や倒立をこなし、前方回転やバク転の練習をしている姿を見ると、私に見えていない世界が見えているんだなと感じる。大袈裟かもしれないけど。
余談だが、私の父も倒立ができる。そして定期的に壁倒立をしている。スッキリするそうだ。
人間の重力に反して、頭が下にあるという状態。
それが軽々とできる人が眩しく感じる。
なにもせずにただ見学する私の存在給
体操に限らない話ではあるが、、
ただ見ているだけで、練習する姿を注目して見るというだけで、娘のモチベーションが上がっているのを感じる。
私の視線がこんなに役に立つ日が来るなんて。
自分ができない (そして今後もおそらく難しいであろう) ことをできるようになる姿を見て、ただただ感心するだけで、私としても見学することに飽きが来てはいない。(まあスマホいじったりする時もあるけど)
だから所謂 win-win だ。
期間限定の時間
最近娘が「一人で行く」と言い出した。
「わかった」と言いながら、私は内心ちょっと動揺していた。
私と娘の体操見学タイムは期間限定でもあるのだ。
※もちろんいつかは…とは思っていたけど、、もう少し先だと思ってたよ。
習い事に限らず、子供は成長する以上、何事も期間限定だ。
そして不可逆でもある。
こういった時間や機会を見逃して後悔したくないと思ってたはずだよな…と改めて自分の中の優先度を思い出すきっかけにもなった。
いつか終わるその時のために、今しかできないことを大切に。
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