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短歌との出会い

最初に短歌を「いいな」と思ったのは、ツイッターの〈ひとひら言葉帳〉で流れてきた目黒哲朗さんの短歌、

君よたとへば千年先の約束のやうに積乱雲が美しい

だった。
最初はこれが短歌だと気づかなかった。
初句と結句に字余りがあるし、そもそも短歌というものにとりたてて興味がなかったからだと思う。
ただ、強烈に惹かれた。
当時わたしは『進撃の巨人』の二次創作小説を書いていて、その世界観に、この歌がぴったりとはまった。
妄想はふくらみ、この美しい歌を軸にして、もりもりと小説を書いた。

このことがきっかけとなり、ツイッターで流れてくる短歌から妄想を膨らませて、SSと呼ばれる、140字ほどでおさまる短い話を書いたりもした。

そのうち、短歌そのものを作ってみたいと思うようになった。

いちばん最初に作った歌は、

きみは来る野あざみを踏み草を踏みはちみつ色の光を連れて

夏に家族で北海道に行ったとき、当時小学三年生だった息子のことを歌った歌だ。

それからしばらくは、日常のことを歌にしてみたり、二次創作短歌を作ってはツイッターに流したりしていた。
〈うたの日〉にも参加するようになった。

作歌の技術をちゃんと学んでみたいと思い、短歌入門的な本も読んだし、短歌のアンソロジーや歌集も、買ったり図書館で借りたりして読んだ。

そんな折、最寄り駅に新しくできたカルチャーセンターで短歌教室が始まることを知り、申し込んだ。
月一回の教室で、江戸雪さんが講師だった。
事前に二首提出し、教室では各人の歌について評し合う。先生の講評もあり、添削もしてもらえる。わからないことは質問できるし、ほんとうに濃密で、有意義な時間だったと思う。

教室に通った期間は一年に満たないだろう。
短歌教室二クール目の終わりごろ、病気を患い、療養生活に入るため教室に通い続けることができなくなったからだ。
治療が終わったらまた通いたいと思っていたが、入院中にコロナ禍が始まり、カルチャーセンターそのものが無くなってしまった。

それからも、細々と短歌は続けている。
まったく短歌を作れない期間もけっこうある。
いまのところ、いちばん長いときで一年弱ぐらいだろうか。
作れないときでもがんばって作り続けたほうがいいという話は聞くが、わたしは短歌から離れる。
ほかにもやりたいこと、やるべきことがたくさんあるし、人生は短い。
離れているときは、「もうこのまま一生短歌を作れなくても、べつに困らない」ぐらいの気持ちでいるのだが、そう思うということ自体、いつも自分のどこかに短歌が引っかかっているということで、これからも、たぶんつかず離れず、短歌はわたしの人生に添ってくれるのではないかという気がしている。

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