見出し画像

おばあちゃん👵



みなさん、こんにちは🐿


今日は私の記憶を記録に残すために
noteを書きます☺️


状況によってはもしかすると涙してしまう方もいるかもしれませんので閲覧注意です⚠️👀



1月におばあちゃんが誤嚥性肺炎になって
入院をしたと連絡を受けてから、
この日がくるのを親族全員が危惧していたと思います。


3年前にコロナ時代になったとき、
おばあちゃんの体力がなくなってきて、
外出もほとんどしていなかったことを聞いたので、
東京に住んでいた私は「もう会うことができないかもしれない」
と思いました😢


↑今思えばWish Listに「おばあちゃんに会いたい!」
って書いて意図していれば良かったのかな?
と思ったりしたけど、葬儀に出させてもらった時に
後悔のような気持ちはありませんでした。


おばあちゃんはおじいちゃんから溺愛されていました。
それは誰が見てもそう感じるほど。
おじいちゃんは92歳で亡くなりました。
おばあちゃんは93歳でした。

おじいちゃんの命日におばあちゃんが「危ない。」
という状態になり、家族の誰もが「おじいちゃんに呼ばれている!」
そう思ったようです。
おじいちゃんの命日の3日後におばあちゃんは亡くなりました。

おじいちゃんは今生きていれば106歳。
おばあちゃんとの歳の差は13歳。

今の時代は年の差婚は普通になっていますが、
昔はどうだったんだろう?


お父さんの話では、おばあちゃんはモテモテで、
引く手数多だったそう👰‍♀️
そんなおばあちゃんを射止めたおじいちゃん。
おばあちゃんのことは常に名前+ちゃん付けで呼んでいたし、
小学生の私が見ても溺愛してました☺️

おじいちゃんはおじいちゃんでかっこよかったです。
私が知っているおじいちゃんは80代でしたが、
蜂🐝が来たらサンダルなのに足で踏み潰すし、
戦争の話をしてくれたり、
家には本棚に本がたくさんあり、本が大好きな人でした。

おばあちゃんは、お肌が綺麗でいつ見ても美人でした。
台湾生まれ、台湾育ちでおおらかな性格。(純日本人です)
結構ハッキリ言うことは言う人だと思います。
料理が得意で、フライパンで焼いている肉を素手でひっくり返す人でした。笑
2人はおじいちゃんとおばあちゃんになっても
ダブルベッドで一緒に寝ていました☺️💓

孫は8人、ひ孫は12人もいて、
たくさんの人に愛されてとても幸せな生涯だったと思います。

孫がたくさんいるし、私も3人兄弟なので、
おばあちゃんと2人で出かけたSEIYU(西友)は
今でも覚えている貴重な思い出。笑


美味しいものを食べにいろんなところにたくさん連れて行ってもらったし、
さくらんぼ狩りとか毎年行っていたし、
温泉もたくさん行ったし、
お父さんの1番上のお姉さんの家族とは、
本当にいろんなところに一緒に連れて行ってもらってた。


それなのにめちゃくちゃ覚えている記憶はSEIYUに2人で行ったこと。笑
日常生活に一番幸せを感じていたりする☺️


おじいちゃんは孫たちが赤ちゃんの時に、
お風呂に入れるのが趣味だったようで、
私だけはおじいちゃんが私たちの家に通いできてくれて
毎日沐浴させてくれていたみたいです☺️
70代で5階まで階段を毎日登ってきてくれていたそう。


お通夜の夜におじさんが酔っ払って私のことを呼んでいて、話を聞きました。

「おばあちゃんは🐿ちゃんにだけ小遣いをあげていた。
孫たちの中でも別格に可愛がられていた。
大きな声では言えないけどね。
🐿ちゃんの優しさは他の人と何か違うんだよね。
それは俺もそう思う。」


何回言われたかわからないくらいひたすらその話をされた。笑


でもそんなふうに思われていたなんて知らなかった。
だから本当に嬉しかった。


おばあちゃん二人から今だにお年玉をもらっていて
それは私だけと言うのも実は知っていました。

ただ、それは独身+遠方に住んでいる。
という二つが重なっているからだと思っていました。



誰が一番好きとか、一番可愛いとかそんな順位はないと思うし、
一番だろうが二番だろうが、自分には価値があると
今はそう思えているので気にならないけど。

それでもやはり「一緒に住んでいた孫の方が可愛いだろうな。」
とか考えている自分もいたので、
思い込みをまた一つ外すことができた出来事だった。



最後お別れの時におばあちゃんの周りにお花を置いた後に
おばあちゃんに触ることがあり、
おばあちゃんの温度が冷たくなっているのを感じた時
どうしようもなく涙が溢れてきた。

私が泣きすぎていて、姉がもらい泣きしてしまったそう。

私の会社から贈ってくれた立派なご供花で
おばあちゃんの周りを彩ることもできた。


お骨をみんなで拾って帰りのバス。
小学校3年生の従姉妹の娘ちゃんの横に座ったのだけど、
その子がずーっと泣いてた。
彼女のお母さんはおじいちゃんとおばあちゃんが大好きで、
おばあちゃん家の裏に家を建ててしまうほど!
ひ孫だけど、彼女もおばあちゃんのことが大好きだったと思う❣️

その子の背中をさすりながら、私も泣けてきた。
バスの中でまで泣いていたのは多分私たちだけだったけど
泣いた後は二人で爆睡していた。


その時に考えていたのは、
孫の中で唯一結婚していないのは私だけなので、
旦那さんと会わせることができなくてそれは会わせたかったなと思ったりした。


私がおばあちゃんの知らせを聞いたのは仕事中。
翌日以降のシフト調整を淡々として、
他の人に色々とお願いをして、
毅然と振る舞っていたけど、
帰り道はやはり涙が出てきた😢


やよぽんさんも悲しみを感じきっていいんだよ。
って私の悲しみに寄り添って、励ましてくれて、その言葉を何度何度も思い出していた。





おばあちゃん、今までたくさん可愛がってくれてありがとう。
天国でおじいちゃんにもう会っているかな?
私たち親族がめちゃくちゃ仲良いのはおばあちゃんのおかげだと思うよ。
だから本当にありがとう。
ずっと大好きだよ。
また会おうね。



おばあちゃんがあんなに溺愛されている結婚をしていたので、
私にもできるよね。

今回の帰省でそんなことを思いました🫢

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?