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『冬霞の巴里』その2

またしても長文を書くことになるとは思っておりませんでした。
幸いにも何度か観劇させていただき、たくさんの感想にも触れて、本作品の時間的な、また人物的な奥行きと、作品世界の広がりが進行していく様を見られて、何重にも楽しむことができました。能動的にいろんな感想や解釈や考察を追いかけつつ、公演を見届けられて、とても新鮮で貴重な時間でした。
物語の余白そのものが、作品のテーマとも通じるために、自分だけでは発想しないような「人が他者を、物語をどのように切り取るか」という断片を集めることが、作品の一部として加えられるように感じられました。
人は見えない部分を補って、整った輪郭を与えたくなるものだけれど、本当のことは何一つわからないまま、霞がかったままです。ほんとうのところは“欠け”ではなく“歪”なのだろうと感じます。
自分の中でもいく通りもの解釈ができてきて、それをはっきりと片のつくよう整理することも必要ないのだと思います。それでも、この物語を「こうであるように思った。」という輪郭をなぞっておきたいように思いました。私にとってはかなり複雑で、丁寧に言葉にしていかないと、自分の考えをさえ見失ってしまいそうで、そしてそれは、作品に絡めても、とても勿体無く思えるからです。
この先また見方が変わるかもしれませんが、だからこそ、断定はできないものの見方を、それをそのままに書いておこうと思います。
ふーんとかへーとかいう感じでお読みいただければとおもいます。


過去と罪人の系譜

  • 哀しみのはじまりはどこ

辿ろうにも過去は曖昧で、現実は複雑過ぎます。歌詞にもあるように「見つかることない答え」なのですが、それはどうしてか、と言うのを自分なりに紐解いておきたいと思います。
「光と思い 追いかける愚かさ」とティーシポネーに歌われるのは悲しいですね。誰にとって何が光なのかはわからないけれど、結果として人の愚かしさが露わであったことは確かで、なら彼らの追いかけたものは光でもなんでもなかったってことになるじゃないですか。

メインストーリーは、父親オーギュストが亡くなった事件から、オクターヴとアンブルがその犯人を探し出して復讐を誓うというところです。
まず最初に提示されるのがこの、敬愛する父を失った少年オクターヴの悲しみ。19年間、時が止まってしまったような精神面の幼さを彼は持ち合わせています。
プロローグで、姉さんに手を伸ばしたのに、走り去られてしまって、パリの街に取り残される弟。ここで彼の時間は止まっていて、特にこの巴里においては、オクターヴの精神は6歳のままなのだと解釈しました。だから、彼は父親が死んだことを受け入れられていないし、自分を置き去った姉さんに追いすがりたい気持ちなのだと思います。父の亡霊が見えるのも、それに囚われたままだからで、聞こえる嘆きの声は、己の叫び声だったのかもしれません。
砕け散った日常、失った幸せな日々への彼の深い悲しみがまずあります。

次にクロエの「私の大切なものを奪った」という悲しみ。
実の娘のイネスのことを指したものでもあり、大きくみれば、父親に懐いたもう1人の娘のアンブルのことだともとれなくはないと思います。もっと大枠でみれば、オクターヴと同じく、幸せな家族とその日々を失った深い悲しみです。
オクターヴのソロの歌詞の「かぐわしい赤い花」は食卓に飾られていたアネモネかもしれないなあと思うと、クロエが失ったものは彼と同じものではないでしょうか。
そもそも前夫が戦死している彼女に悲しみがないわけがないという話で、その上再婚相手が、知らない女との間に息子をつくって、守りたかった娘は道具のように扱われて、挙句命を絶ったことを償おうとさえしないなんて、それは耐えきれない。オーギュストが彼女から全てを奪ったとさえ言えるように思えます。
それでも2幕の冒頭の様子は真実なのでは、というか、オクターヴの記憶の中での彼女は本当のお母様だったのだから、なおのことイネスの死がどれほど決定的な傷だったことかと感じます。オーギュストに似た息子を遠ざけてしまうほどに。
そして悲しみは、罪の始まりでもある。

次いでギョームは「俺はずっとあいつの無様な弟として」とか「君は移り気だから」とかに、これまた兄に全てを奪われている、極度の劣等意識があります。ギョームの過去の記憶からは親戚の誰からも愛される側であったとは読み取りづらい、クロエは兄の妻で、イネスもアンブルもオクターヴも、慕っているのはギョームではありません。
それでも、娘を亡くしたクロエや寂しがる少年オクターヴを放っておけない身内思いな面は、兄への引け目からくる同族意識に似た何か、似た傷を
見ていたからかもしれないと推測しています。
あわせて、厳しさと弱さも感じます。警察としての行いから、誰にでも善意の人というわけではありません。唆されたとは言え悪事に手を染めたのは事実だし、彼の失態はまた別の悲しみを生みました。
それでも生来の真面目さや優しさ、を感じるのは飛龍さんの魅力なのかなあと思います。

そして、ヴァランタンは「残された家族もいただろう」のまさにその人です。「あなたが我が父、我が同胞にお与えになった汚辱、19年の時を経て、今この場で返してやるよ!」だったかな。奇しくもヴァランタンとオクターヴが父親を失ったのは同じ年なんですね。そうか、20年目を迎える前に復讐を清算するのかあ…。
それに加えてトドメになった、寧ろ止めていた者が無くなってしまったのがシルヴァンの一件なのは確かです。しかもこれはオクターヴを気にかけるギョームに、ジャーナリズムに燃える記者モーリスが劇場でテレーズやシャルルから聞いた情報から、アナーキストの根城が下宿だと伝えていたために早々に捕まってしまった、という誰も止められないピタゴラスイッチでした。でもこの物語は遡るとどれもそうだからやりきれない。矛先を向けるのに値する正解の人物がいないんです。
ヴァランタンはそう言う世界のやり切れなさもわかっていたし、周りで起きていることを把握できていたのに、それでもシルヴァンを止められなかった自責はあるんじゃないかと思います。
オクターヴと似たもの同士の(家族を失った)ヴァランタンですが、先に全てを失ったのは彼の方でした。「憎しみの呼ぶ声 痛みを伴う」あたりの歌詞はヴァランタンにも重なります。

罪の始まりは、オーギュスト殺しか、ギョームの失態か、イネスの自殺か、オーギュストの辣腕か、アナーキストと戦争だろうか。

ところであれもしかして、
オーギュストが悲しみの元凶では!?

そう考えると晩餐会のラストに0番で現れるのも納得です。今更思い至りました。
バルテルミーやジャコブ爺もこの人のせいで人生転落してますもんね。百貨店の栄華の裏で、墓場みたいな裏通りがあったり。
ひび割れの光も束の間の愛もむせかえる亡霊もこの人じゃ…ありませんか…そうですよね…。もっと早く教えて欲しかったあ…。そうですか…。

そしてそれこそ、見つかることない答えそのものです。死んだ者が蘇るわけでもない。

最後に、憶測を多大に含むアンブル、そして姉弟の過去についてです。どうしてもはっきりとは語られておらず断言できないので、あくまで個人的な解釈を書いておきます。
復讐を言い出したのは彼女の方だと思います。
「今のきいた?お母様と、おじ様が…!」「違うよ。何かきっと違うお話だよ。」というすれ違い、ここから19年続いてるものだと思っています。アンブルの方が父は殺されたと強く思い込んでいて、オクターヴは真実を知りたがっている。

アンブルの復讐心の発端としては、単に不義の母への失望ともとれますが、父親を完全に奪い去った母へ、もともと抱いていた敵意に決定的な歪みが生じてしまったものだと解釈しています。
「母さんは私のことも好きじゃないわ」という台詞がありましたが、クロエがアンブルを嫌っている描写はないので、娘の思い込みなのではないか、と感じます。娘が母を嫌っているから、母も娘を嫌っているものだと思い込んでいる、という可能性を考えました。弟に心を寄せるが故に、姉も弟と同様に嫌われているはずだと言い聞かせているみたいでもあります。そこに忍び込んでいる、父への愛情をみることもできると思います。
(クロエとオクターヴはどうだったのかと言う点について、クロエの自覚の有無にかかわらず、オクターヴにとって「母から嫌われている」と感じる事実としては十分なものに思えます。)
ここの母娘の確執や父娘の関係は描かれていないので、彼女の悲しみはどこだったのか、やっぱりわからないままです。ただアンブルが父親を愛していたのではと解釈できる描写は色々とあって、また、アンブルから能動的にオクターヴへの働きかけがあってこの復讐計画が成り立っているように思えるので、その辺りも書き留めていこうと思います。

アンブルの言う「あんな女の世話にもなりたくない」を受けての、追いかけるオクターヴの言う「あんな女と同じ血が流れているなんて」かなあ等と解釈していて、弟は姉を追いかけるが故に姉との同化に傾いているように思えました。ただ私は、姉は姉で、弟を引き込む「罪」というもののおぞましさに無自覚、あるいは無知だったのではないかと思うのです。

この辺りの選り分けを言葉にするのがなかなか難しいんですけど、オクターヴの方にも、孤独から逃げたいがために周りを巻き込む魔性に似た繊細さがあります。それは、オーギュストの発言も行動も、息子の寂しさを埋めるには足りなく、クロエは彼を実の息子のようには愛せなかったという、彼の悲しみに由来した性格でありながらも、ある面では罪深い。

アンブルは、実はそのオクターヴに触発された可能性も含みつつ、弟と共犯関係を始めた側、罪という秘密を作った側として確かな過ちを抱えることになります。弟のオクターヴをそばに置くために血がつながらないことを黙していたり。

ただ幼い日、姉も弟も、互いが心の拠り所であったのは確かです。
父さんを失って、姉さんにも見放されたくないオクターヴと、弟をも奪われたくないアンブル。それだけで言い切ることはできないのですが、表層上に見て取れるのはそういった構図だと思っています。

  • 死に損ない髑髏

深く深く、拭えない愛と憎悪に囚われる彼らの一方で、失ってなお明るく今を生きている人々もいます。
影なんて売ったところで何の価値もありゃしない、とか、亡霊はお前たちのことなんてこれっぽっちも気にしちゃいねえよ、とか、諦め(るしか生きてく方法がなかった)でいいじゃん、そこに引け目も負い目もありゃあしない、何かのせいにでもしてしまえ、という考え方が下宿の人たちにはあるのかなと思います。
誰かにはきっと救いの言葉だけど、放り投げないとやりようのない現実の、どうしようもない辛さも引きずっていて重いのです。救われるのに後ろ暗い、そもそも、暗くなければ救いなんて求めたりしなくてよかったというのが、“死に損ない”なんて語彙に似合うものだなと考えました。生ける屍とまで言うのは、もう生きている意味なんてないも同然ということだと思いますが、人生に意味があるなんてことも別にないので、それが何か?と蹴飛ばしながら生活している彼らと、何かに執着して生きている姉弟の対比が見事だと思います。

ここに関しての明暗の塗り分けもいいなと思うのが、巴里の街の暗部、アナーキーな連中は開き直って明るく、本来華やかな社交界に暮らしているブルジョワ側は罪の影に苛まれています。両者とも光と影を持ち合わせているんですね。ずっとこう、天秤の左右に交互に錘を乗せていくみたいです。
下宿の人がみんな諦めているかと言えばそうでもないですし、一度諦めたつもりでいてもそれが死ぬまでそうとは限りません。社交界にはミッシェルやエルミーヌのようなまだ影のない人間もいますし、でも一生知らずいられるわけでもありません。陰陽のグラデーションが綺麗だなあと思います。


憎しみと愛の中身

  • あなたが通り過ぎてく

クロエとギョーム、オクターヴとアンブルの関係性、似ているんですよね。
腕に抱く泡沫と偽りの結び目に縋る愚か者。罪で結ばれた男と女。
愚かしいこととわかっている二人が、まだわからない二人に憎まれる。けれど、ギョームはオクターヴを、クロエはアンブルを憎んではいないと私は捉えていて、それが愛かはわからないし、愛だとしても過去の愚かしい自分自身に刃を向けられることへの納得や観念が入り込むと考えています。
ギョームは親のようにオクターヴ達の身を案じてもいて、報復の可能性を知りながら、子供に向ける情を捨てているわけでもない。

また、それぞれが歌う「あなたが」「お前が」の指している2人称が同じ人ではないのが歪な二重奏…なんですよね…。
クロエの「あなたが」はオーギュストの亡霊を追って、ギョームはそのクロエを引き止めて「お前が」、通り過ぎてく。
これをアンブルとオクターヴに当てはめると、アンブルが追うのは父のオーギュスト、オクターヴはそのアンブルとういう構図が成立しうるのではないかと思います。深読みしすぎかな、オクターヴが父さんの亡霊を追っていて、アンブルが追うのが弟、と言う読み方もできる気がします。

脱線しますが、ギョームの記憶の中のオクターヴって、イネスが亡くなった後のタイミングですよね。お母様(クロエ)が部屋で眠っていて、ギョームは彼女と密通している仲を指しているのが「見慣れた背中に鐘の音 揺り起こし子供のようにあなたと眠った」の歌詞かなあと解釈しました。
「見慣れた背中」ってニクいですね。クロエの隣に立っている兄さんの後ろにギョームはずっと立たされていたみたいで。兄への憎しみと彼女への愛が見えるような気がします。
対しての「狂い咲きのアネモネこぼして 夕暮れあなたに捧げた」の夕暮れは鐘のなる時間ですから、クロエはギョームにもアネモネをおくっています。ギョームとの食卓には赤で、思い出の中のクロエ様は白で、アネモネ自体の花言葉は「見放された」「見捨てられた」とか言われるんですね。
それか、オーギュストの殺された時間が夕暮れなので、咲いたアネモネ(愛情)をこぼした(手放した=殺した)というダブルミーニングでも有るかといます。
個人的には、クロエはオーギュストに気があったものの、その愛は裏切られこぼれ落ちてしまったと取っています。愛した人に受けた仕打ちから憎悪に転じたのだと。クロエが受けた「仕打ち」と言うのは、冒頭の証言の「不安定なところがあった」をDVの示唆ととって(嘘の証言の可能性もなくはないけど、そうなると不要な嘘なので)、加えてイネスの命を奪ったことと考えています。
あんまり脱線してなかったですね。

亡霊云々について、アンブルはずっと誰の亡霊も見えていなくて、オクターヴに見えているオーギュストを後ろから追うような視線だった印象です。
イネスを亡霊として視認しているのはクロエだけですよね。オクターヴは記憶の反芻としてだし、忘れていたことから、とらわれてはいません。
クロエとギョームにもオーギュストの亡霊が見えていますが、実行犯のブノワには見えていない。もしかすると、愛憎の矛先をむけていた人にしか亡霊は見えていないのかな…。

  • ただ1人通り過ぎてほしいのは

セイレーンは誰だった?オデュッセウスはいた?
セイレーンにまつわる神話では「歌を聞かせて生き残った人間が現れた時にセイレーンは死ぬ運命となっていた」とされる場合があるので、憎しみの呼び声を振り切ってほしいと思いつつ、そうなってしまったらこの身は滅びるほかないという裏腹な想いをどちらにも感じました。

二幕の劇場のシーンでミッシェルを突き放してしまい、「一番いけないのは俺なのに」と言うオクターヴ。加害者でも被害者でもない人間が心を痛める必要はないことを分かっているのは、十分に分別のある人です。
エルミーヌの優しさを有難いものだと感じるし、同じ下宿でソリの合わなかったシルヴァンの身の上を案じたりします。
彼だって、自分から誰かに寄り添える優しさを持ち合わせた人なのではないかと思うのです。(ヴァランタンと似て)

アンブルの仕草にも裏腹な部分があって、弟を焚きつけつつ、危ない目に遭うと居ても立っても居られないし、怖がる弟を守りたいと思っているようで、きっとそのどちらも本心であっていいのだろうと思います。弟が傷つくところは見たくない、でも自分から離れていってしまうのは耐えられないんです。だから、復讐を計画したけれど、いざとなると臆病になってしまう。
ミッシェルとエルミーヌに対して、「昔は私たちも同じ顔で笑っていたはずよ。あの日を境に変わってしまっただけ」と言うあたりも本心だと思います。アンブルの復讐心も、殺意ではなくて寂しさのように見えました。

無論、オクターヴも同じなんだと思います。互いに、1人で危ないことはするなと言い合う。「復讐は2人で」という不文律があるのに、お互い相手を汚したくない。
弟に弟でいてほしいから、姉さんに姉さんでいて欲しいから、共に復讐を続けるけれど、ただ、続けた先で姉弟を続けられるはずもないんです。

  • ひび割れた二つの道

あなたと抱えた遠い日の夢が軋む この手の汚れは消えない
あなたと紡いだ罪の物語ほつれ この手の温もり消えてく
もしも あなたと 血が繋がっていなかったら
いつまで 一緒にいられるのだろうか
いつまでも 一緒にいられるのだろうか

オクターヴとアンブルの望んでいた関係性について「実の姉弟」と解釈していきます。

オクターヴが求めたのは「姉のアンブル」なのではないかと思います。姉弟でなかったら、恋人、夫婦として一生側にいることができたかもしれないけれど、そこには、実の姉じゃなかったら、自分のことを愛してくれないんじゃないかという不安も混ざっているように思います。
アンブルとオクターヴが姉弟として一緒にいた頃があって、そこから彼は成長できていないんです。
その過去を取り戻したいと姉に協力をしたとして、もし復讐が成功したとして、その頃が戻ってこないっていうのもわかりはじめているけど、ただ唯一弟が姉と一緒にいたいって言う気持ちを実現させるためには、続ける他に道はないわけです。

この「復讐」は”姉弟”としてでしか共有できないのですから。

1人の異性としてアンブルに出会って、という「もしも」を歌うのは、いっそ、姉としてのアンブルのいない世界に生まれていたら、この「いつまでも一緒に」という望みが叶ったのだろうか、という無い物ねだりなのだろうと思っています。
姉弟だった過去のせいで、復讐に手を染め、あの頃に戻れなくなってしまっているから、現在の壊れてしまった状態を清算するにはもう生まれ直すしかない。それはあなたのいない1人の世界になってしまうので、きっとできないのですが。

対してアンブルは、実の弟じゃないと知っていてなお、オクターヴと”姉弟”でありたいと求めてきました。むしろ知っているからこそ、その口実がないとオクターヴと一緒にいられないと思って黙っていたことになります。

罪の物語、を作る必要があったのはどうしたってアンブルです。

オクターヴに「父さんのことが好き?」と聞かれたアンブルは「愛しているわ」と直ぐに答えられます。でも、血が繋がっていなかったらどうか、と聞かれると怯みました。
おそらくは、第一には自分が隠してきた秘密を知られたことへの狼狽、次に隠してきた負い目を詰められる予感、そしてその負い目、「血が繋がっていなかったら姉弟でいられなくなる(一緒にいられなくなる)」という不安ではないかと考えました。
「そんなこと関係ないわ。私たちにずっと優しい父さんだったじゃない」と父への愛情を補強しようとしますが、「もし俺と」と続けられると、「わからなく」なってしまったのだと感じます。
弟と離れたくないがために「私たちに」と父親の存在を利用しているようにも思えるし、言葉通り父を愛していたともとれます。
ここがアンブルの転換点で、父を愛していたのか、弟を手放したくないのか、母が憎いと感じるだけなのか、それが見えなくなった瞬間ではないかと思います。(姉弟の転換点が同時にあったほうが読みやすいと思ったので)

アンブルはもとから家族仲が悪かったものとは考えにくいです。それがなぜ、オーギュストを失って壊れてしまったのか、ここが彼女の罪と言える部分ではないかと思います。
オクターヴから見て、あの日の姉さんは自分を置いて行った人です。だとすると、アンブルはオーギュストに強く愛情を向けていたことになります。ですが、(オクターヴ にしか亡霊が見えてないとすると)アンブル自身の事情は、母への敵意から生まれた憎しみと、弟と孤独を埋めたい愛情が合わさって、弟が父のように奪われないよう守ろうと言う心理になっていった、だと言うことができます。
そしてそのためには、弟と同じ「優しかった父さん」を共有する必要があります。弟が姉を追いかける過程で、姉は弟の記憶を正さなかった。彼女自身、弟と共有した記憶が本当だと思い込んでいたのかもしれません。
けれど、オクターヴその人から、自分たちが家族でなかったらどうする?と聞かれて、自分は全て知っていて真実を隠していたことを、彼女は罪としてその時自覚したのだと思います。

もとより家族でなかったらこんなことにならずに済んでいた、オクターヴを姉弟という形に繋ぎ留めなくてよかったということに気がついたのではないでしょうか。

合わせて、オクターヴのソロの歌詞「あなたと一つに戻りたい」と言う心情までを以下のように解釈しています。

オクターヴはブノワを手にかけるまで至りますが、それはともすると彼からアンブルに対しての”共犯”のアピールでもあります。そもそもはじめに、姉の「どうする?」があるから、負けじと「殺す」と答えたりするところとか。彼が彼自身の「憎しみ」なのかを判別できないままここまで来ている過程を感じます。

オクターヴの、「あなたと一つに戻りたい 眠りたい一緒に」って言う歌詞は、アンブルが実の姉だと思っていた頃、「その度に私、よくこうしていた。」が指している時間です。
ですが、彼と姉との血縁がないと明かされて、今となってはどうあがいても戻ることのできない過去になりました。復讐を遂げたにしろ遂げないにしろ、もうオクターヴが「姉と同じ憎しみ」と思っていたものはただの「憎しみ」になっていまいました。オクターヴは似ている姉弟って言われた方が嬉しかったし、血の繋がりがないと思ったらショックなんです。姉さんの事が姉さんとして好きなのに、そうじゃなかった。

そしてその絶望と同時に、自分の望みを口にできたと言うことになります。

こうした、二幕冒頭の歌に対するオクターヴのアンサーのような、アンブルの心内は吐露されないので、読みきれない。なぜアンブルが罪の物語を編もうとしたのか。
ただこの歌が、アンブルのものであってもおかしくないのではないか、とも思います。クロエにも重なりますし、この先のアンブルの「こんなに全てが歪んでほしいなんて、少しも思っていなかった」に続いているように感じました。歌が…天才ってこと……。

  • 間違えたのは俺なのか

皆間違えたんです。誰も彼も、正解がないんだから間違えるしかなかったんです。
ギョームもクロエもオクターヴもアンブルも。
正しいと思ったことを願えば罪深く、1番望むことに従えば命を落とす。どうしろっていうんでしょうね。

でも憎しみを背負う彼も彼女も、本当は誰が誰のことも憎まなくてよかったのに、というテーゼが実は一貫してあります。
そして誰の憎しみなのかもわからなく、いつの間にか憎んでいたとして、その憎しみの気持ち自体はもうどうしようもなく本物なのが、一体誰が間違えたのか、という悲劇に繋がるのだと思います。

対峙するアンブルを見るクロエが、かなしそうで、苦しそうで、クロエがアンブルを嫌っていたとは、あの表情では捉えきれないなあと感じました。
あの瞬間も、娘が復讐に燃えた、断罪の瞳を向けても、クロエは娘を憎んではいない、愛している瞳に見えました。いや、どちらもだったかもしれないです。
過去に怯えて、美しい女王から崩れていく表情の、しかしギリギリまで歪まない、崩れきらないまま受け止めてみせる様に圧倒されて、この、言葉で表すには足りない感情を表現されているなあ、と感じました。
オーギュストに対してだって、今でさえ「どこか愛おしい傷」とまで言えてしまうような、憎しみと切り離せない愛情。愛と呼ぶのかももうわかりませんが。

ギョームも同じに、オーギュストの亡霊に囚われて、義理の息子のオクターヴを見つめる瞳の、憎さと憎みきれなさに、胸の奥が灼けるような悲痛さを感じました。
「殺さなくても後悔しただろう」と言うのがさらに切ない。正しい行いと、愛する人を守りたいと言う気持ちが罪を犯させ、それが罪であることを正面からずっと受け止めてきたギョーム。それはクロエを苛む罪から庇うためでもあったと思います。
オクターヴに殺されるのなら、彼の手で終えさせられるのなら、ギョームにとっては唯一解放される手立てに見えたのではないでしょうか。オクターヴが自分に向ける銃口は、過去の自分からの糾弾でした。

オクターヴの「誰も憎まずにいられたら」は、「憎む」ことが、彼にとって、自身と他者との決定的なつながりを失わないために在るものだったことへの愁歎のように感じます。彼に染み込んだ憎しみは確かに憎しみですが、アンブルから離れたくないが故の、愛情と隣り合わせの憎しみです。
それを鎹に今まで姉と弟でいたために、先に述べたクロエのような、憎しみと愛情が合わせて煮立ってしまったような、姉への愛情と不可分の感情として、血のように彼の体に流れている。
オクターヴは報復には懐疑を抱きますが、憎しみは疑いませんでした。エルミーヌに「君は誰かを殺したいほど憎んだり、愛したことはある?」という言葉からもまた、愛することと憎むことの線引きができないことを汲み取りました。憎いと思う相手のことを、それだけ愛してもいると言う話と、それだけでなく、あなたの憎しみを分け合うことがあなたへの愛情だと言う話。だから復讐を果たさないことを選んでも、この感情だけは棄てられないんです。他に行き場所なんてあるはずもないですから。

アンブルも間違えたんです。
「あなた達のした事は許せない」というのは父を失ったアンブルの確かな怒り、自分の憎しみだと言うことを分かった上での対峙です。「本当のことなんて誰もわからない」と強く言い放つアンブル、受け取り方が難しかったのですが、私は、彼女があの場で自身の罪を受け入れ、そして同時に決別したもの、と捉えています。
この復讐はアンブルに発端すると推測しているので、弟へ、唆して、巻き込んで「ごめんね」だと思っています。であればこそ「もう、やめよう」と彼女の手で終わらせるものなのだと思います。
オクターヴが終わらせようとしたものについての主導権は彼の元にはなかった。だから、わからなくなってしまうし、姉の言葉で銃を手放したのだと思いました。

誰が誰へという矢印が正直明らかにできないものがあって、もうそれは登場人物自身もそうなのではと思います。アナーキスト達がブルジョワ全部が憎い、みたいに、対象を絞って恨めるほど、もう単純じゃなくなってしまったんです。
対比的に、ヴァランタンの行動に落ち度はなかったとも言えます。過去にもしかすると人命を奪ったかもしれませんが、この物語上、彼は奪われた側の人間でありつづけました。家族も仲間もなくして、何も帰っては来なかった。愛するものがいないなら、その憎しみは個人に向けようもないのかもしれないです。

「新年だ…」のセリフと共に音楽が流れると、引き付けられていた心が少しだけ解けて、舞台の上の全てに泣いてしまいます。
オーギュストの亡霊も、イネスの亡霊も、オクターヴとギョームと、クロエに見送られて退場してゆく。ようやくこの屋敷の忌まわしい過去達が手放されてゆく。手放しては生きて来られなかった者に寄り添い会える相手がいます。
彼らは亡霊に捕まっていたのではなくて、実のところは必死に掴んでいたのかもしれない。解放されるのではなく、自らの手で解放したのかもれない。
ミッシェルとエルミーヌはそこに立ち会っていたんです。なら、希望を捨てきらないでいてくれるのも分かる気がしました。

続いてゆく現実へ

  • 渦巻く向こうに救いはあるのか

下宿の人々とミッシェル、エルミーヌの場面、
「終わりなんてどこにもありはしない」と、
それを認めることは解放とも、絶望とも、ひと匙の救いともとることはできると思います。
分かっているのは、一生この世を彷徨うしかないということです。オクターヴとアンブルも、ギョームとクロエも同じにです。
そこに、新年の一瞬だけでも「いいことないかなあ」と希望を口にしたり、ジンクスの王様に喜んだりすることに、私はひと掬いの確かな明かりを見ます。
下宿の住民たちのように 哀れなまま、愚かなまま、この世を彷徨う人間の有様にどこかで共感をして、また明日、と言えるようになること。仮初めの幸福に心を休めて、また今日の続きを生きてゆけること。仕方がないと言えることも悪くないときだってあります。
対するミッシェルとエルミーヌは、復讐の終わりを願います。終わりはなくとも、彼らのように確かに変容していくものがある、それもまた別種の光を見ます。
「綺麗事だね」と一蹴する側にも、「縋りたくなるもんさ」と諦めない側にも、均しく未来が続いている。ガレット・デ・ロワを全員で囲めるのが、私にとっては両者の幸せに見えました。1番幼いシャルルに「王様が当たる」≒「幸福が訪れる」ように、それは「未来」への布石かもしれません。

永遠に終わらないことと、それを受容することも抗おうとすることも、明日に目を向けられるようになることではないだろうか、と思います。
救いはあるのか?どうだろうね。というのが答えといったところですかね。あるかどうかより、それを望む心の動きに私は勝手に救われていたのだと思いました。

対して「過去に霞む」側のオクターヴとアンブルがいます。ここが最後まで過去から抜け出せないこと、その罪によってでしか結ばれないことが、悲劇的な結末に思えました。でも、それでも構わないのだからたまらないものがあります。彼と彼女の憎しみは愛と表裏一体の造形をしてしまっているので、ヴァランタンのように、愛するものを失って、憎しみの果てに命を落とすこともできません。愚かにも、生きる縁が残ってしまったのです。

姉弟という関係性でしか結べない、“過去”と“罪”の証。

1幕の終わりは姉に抱き抱えられる弟ですが、2幕の終わりは2人が支え合って歩いていきます。
最後まで来て、どっちが底知れないのかわからないあたりが、なんとも言えなくて、忌まわしくて愛しい何かを感じるなあと思いました。この憎しみは2人が育てた愛でもあった。罪よって別たれた姉弟は、その罪によってまたひとつに繋がれた。だから”永遠に共犯者”で、許されることは有りませんし、許しを求めもしません。
霞の向こうに消えてゆく2人は、冥界に沈んでゆくようでもあり、死ぬまで「ただいま、姉さん」「おかえり、オクターヴ」と交して生きる宿命を想像しました。

偶々、彼らの運命を繋ぎ止める名前が「姉弟」だっただけで、そしてまたそれ以外ではこの結末に至らなかっただけです。

あとがき


他の方の感想をたくさん興味深く読ませてもらって、それこそ、1番最初にあの事件を見ていた時の私は、何を願って、どこに「希望」と呼べるものを当てはめたのかを遡って考えました。別に無理やり見出さなくても、見出せなくてもそれはそれでいいんですが。
前に書いた感想では、オクターヴとヴァランタンの関係性から正義のありか、という観点での読み方をしていました。
「復讐の意義に答えが出ないこと」に期待を寄せている節があって、大義だろうが、私怨だろうが、どんなに虚しいものだろうが、もうそうやってしか生きられないのなら、仇討という行為にしか縋れないのなら、それはもう咎められたとしても諌めることの敵わない領分になることがあるだろう、と思っています。なので結果はどうでもよくて、人間の劇的な部分、殺したいほど憎んだり、愛することの、彼らが運命に振り回されて、もがき続けて、もうその形でしか終着できない、という人と人の様子そのものに感動をします。
だから酷く醜くても痛くても、彼らが今たどり着いた地点が、もう他に足の置き場がないのだというのが伝わるとき、私としてはそれだけで美しいものに見えます。その先に何があるのかわからないけれど、今そこに、立ち尽くしている彼らの存在そのものに説得力がある。それだけでいいと思います。舞台の結末として。

書く順がずれましたが、冬霞の巴里の私の好きなところは、そう言った、あの大晦日と新年の場面の見事さです。紆余曲折を経て、何度も物語や人物の心情を探って思いめぐらす、余白を泳ぐ楽しさもとびきりにありました。それでも、引き込まれた大きな要因は調和した場面の数々と幕引きの後の、人と人の深い絆の形が「そこにあること」に尽きるなと思います。もう色々ある、色々ありすぎた、あまりに隅々まで見渡す時間が足りないんです。あっという間に過ぎゆく。
それでもこの作品がずっと演っていてほしいとは思わないし、再演も似合わないし、終わることへの大きな寂寥感があります。
この話はここでおしまい、さようなら。という感じがして、私はまた物語に取り残されたなあと、でも会えてよかったと思います。
「to be continuedです」ってお話しされていたのがまた、腑に落ちて嬉しくなってしまいました。

千秋楽までお疲れ様でした。
本当にありがとうございました!わーい!

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