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【反証】『日本の教会に忍び寄る危険なムーブメント–NARに関する警鐘を鳴らす–』

【反証】『日本の教会に忍び寄る危険なムーブメント–NARに関する警鐘を鳴らす–』

『そのとき、御霊が補佐官の長アマサイをおおった。「ダビデよ、私たちはあなたの味方。エッサイの子よ、私たちはあなたとともにいる。平安があるように。あなたに平安があるように。あなたを助ける者に平安があるように。まことにあなたの神はあなたを助ける。」ダビデは彼らを受け入れ、部隊のかしらとした。』歴代誌 第一 12章18節
(主イエス)『私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。』マタイの福音書6章12節
『最初に訴える者は、相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える。』箴言18章17節
『あなたがたの申し立ては灰のことば。あなたがたの弁明は粘土の盾だ。』ヨブ記13章12節
『あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。』出エジプト記20章16節
『出23:1 偽りのうわさを口にしてはならない。悪者と組んで、悪意のある証人となってはならない。2 多数に従って悪の側に立ってはならない。訴訟において、多数に従って道からそれ、ねじ曲げた証言をしてはならない。3 また、訴訟において、弱い者を特に重んじてもいけない。』出エジプト記23章1~3節
(主イエス)『わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。』マタイの福音書23章13節
(主イエス)『あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。』ヨハネの福音書8章44節
『神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字は殺し、御霊は生かすからです。』コリント人への手紙 第二 3章6節
『イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは聖書も神の力も知らないので、思い違いをしています。』マタイの福音書22章29節
『(主イエス)「 マコ3:29 しかし聖霊を冒瀆する者は、だれも永遠に赦されず、永遠の罪に定められます。」30 このように言われたのは、彼らが、「イエスは汚れた霊につかれている」と言っていたからである。』マルコの福音書3章29~30節
(主イエス)『マタ12:31 ですから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけますが、御霊に対する冒瀆は赦されません。32 また、人の子に逆らうことばを口にする者でも赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、この世でも次に来る世でも赦されません。』マタイの福音書12章31~32節
『しかし彼らは逆らって、主の聖なる御霊を悲しませたので、主は彼らの敵となり、自ら彼らと戦われた。』イザヤ書63章10節
『2歴36:15 彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに早くからたびたび使者を遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の住まいをあわれまれたからである。16 ところが、彼らは神の使者たちを侮り、そのみことばを蔑み、その預言者たちを笑いものにしたので、ついに主の激しい憤りが民に対して燃え上がり、もはや癒やされることがないまでになった。』歴代誌 第二 36章15~16節
『神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。』エペソ人への手紙4章30節
(主イエス)『マタ7:1 さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。2 あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。3 あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。4 兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取り除かせてください』と、どうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。5 偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。』マタイの福音書7章1~5節
『使17:10 兄弟たちはすぐ、夜のうちにパウロとシラスをベレアに送り出した。そこに着くと、二人はユダヤ人の会堂に入って行った。11 この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で非常に熱心にみことばを受け入れはたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。』使徒の働き17章10~11節
(主イエス)『マタ5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。12 喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。』マタイの福音書5章10~12節
『1テサ5:19 御霊を消してはいけません。20 預言を軽んじてはいけません。21 ただし、すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。』テサロニケ人への手紙 第一 5章19~21節

『イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。』ヘブル人への手紙13章8節

イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。』ヘブル人への手紙13章8節
(主)『見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたは、それを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。』イザヤ書43章19節
ただひとり大いなる不思議を行われる方に。主の恵みはとこしえまで。』詩篇136篇4節
『士13:18 主の使いは彼に言った。「なぜ、あなたはそれを聞くのか。わたしの名は不思議という。」19 そこでマノアは、子やぎと穀物のささげ物を取り、それを岩の上で主に献げた。主のなさる不思議なことを、マノアとその妻は見ていた。』士師記13章18~19節
『出40:34 そのとき、雲が会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。35 モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。』出エジプト記40章34~35節
『2歴7:1 ソロモンが祈り終えると、天から火が下って来て、全焼のささげ物と数々のいけにえを焼き尽くし、主の栄光がこの宮に満ちた。2 祭司たちは主の宮に入ることができなかった。主の栄光が主の宮に満ちたからである。3 イスラエルのすべての人々は、火が下り、主の栄光がこの宮の上に現れたのを見て、膝をかがめて顔を地面の敷石に付け、伏し拝んで、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで」と主をほめたたえた。』歴代誌 第二 7章1~3節
『イエスが彼らに「わたしがそれだ」と言われたとき、彼らは後ずさりし、地に倒れた。』ヨハネの福音書18章6節
『使9:3 ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。4 彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」5 彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。』使徒の働き9章3~5節
『ダニ10:7 この幻は、私ダニエル一人だけが見て、私と一緒にいた人たちはその幻を見なかった。しかし彼らは大きな恐怖に襲われ、身を隠して逃げ去った。8 私は一人残ってこの大きな幻を見た。内からは力が抜け、顔の輝きも一変して、力も保てなくなった。9 私は彼の語る声を聞いた。彼の語る声を聞きながら、顔を伏せて地に倒れ、深い眠りに陥った。』ダニエル書10章7~9節
『黙1:17 この方(=主イエス※引用者注)を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方(=主イエス※)は私の上に右手を置いて言われた。「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。』ヨハネの黙示録1章17~18節
『神は、ついには笑いをあなたの口に喜びの叫びをあなたの唇に満たされる。』ヨブ記8章21節
『そのとき私たちの口は笑いで満たされ私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき諸国の人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなさった。」』詩篇126篇2節
『また、ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。』エペソ人への手紙5章18節
『使2:13 だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し青年は幻を見、老人は夢を見る。18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』』使徒の働き2章13~21節
『だれでも学び、だれでも励ましが受けられるように、だれでも一人ずつ預言することができるのです。』コリント人への手紙 第一 14章31節
愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。』コリント人への手紙 第一 14章1節
『そして言われた。「もし、あなたの神、主の御声にあなたが確かに聞き従い、主の目にかなうことを行い、また、その命令に耳を傾け、その掟をことごとく守るなら、わたしがエジプトで下したような病気は何一つあなたの上に下さない。わたしは主、あなたを癒やす者だからである。」』出エジプト記15章26節
『イザ43:4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。5 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。』イザヤ書53章4~5節
『マタ4:23 イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。24 イエスの評判はシリア全域に広まった。それで人々は様々な病や痛みに苦しむ人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人など病人たちをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らを癒やされた。』マタイの福音書4章23~24節
『マコ1:40 さて、ツァラアトに冒された人がイエスのもとに来て、ひざまずいて懇願した。「お心一つで、私をきよくすることがおできになります。」41 イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。』マルコの福音書1章40~41節
『村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、人々は病人たちを広場に寝かせ、せめて、衣の房にでもさわらせてやってくださいと懇願した。そして、さわった人たちはみな癒やされた。』マルコの福音書6章56節
『キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるため。その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒やされた。』ペテロの手紙 第一 2章24節
(主イエス)『そして、その町の病人を癒やし、彼らに『神の国があなたがたの近くに来ている』と言いなさい。』ルカの福音書10章9節
『神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」』ヨハネの黙示録21章4節
『なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。』ローマ人への手紙8章2節
主イエス)『マコ16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し新しいことばで語り、18 その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。」』マルコの福音書16章17~18節
『私は、この書の預言のことばを聞くすべての者に証しする。もし、だれかがこれにつけ加えるなら、神がその者に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もし、だれかがこの預言の書のことばから何かを取り除くなら、神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれる。』ヨハネの黙示録22章18~19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

※当記事、下線付き文字はすべてリンク有り

最近福音派の牧師の方々の間で密かに話題になっているという『日本の教会に忍び寄る危険なムーブメント–NARに関する警鐘を鳴らす–』(https://cult-sos.net/nar/)(以下『NAR警鐘』と略)を読ませていただいた。

私は、出版元のミニストリーも、この本『NAR警鐘』の著者も、長年大いに尊敬し続けていた。少し聞きかじっている程度だが、カルトから救出する為の働きの大変さは、並々ならぬものがある。召された者にしか出来ない非常に貴重な働きだと今でも思っている。
また、出版したミニストリーの30分の地上波テレビ放送は毎週ビデオテープに録画して何度も見ていた程大好きだった。ユーチューブでの3分動画は聖書の基本的真理をかつてなかったほど分かりやすく解き明かしていて、求道者にはお薦めである。
主は忍耐強く、憐れみ深いお方なので、その報いそのものがなくなることはないだろう。それらの本もミニストリーも変わらず用いられ続けるであろう。しかし、今回の本『NAR警鐘』の件でもって、お二方には大いに失望した。残念だ。非常に残念だ。もともと人を見てはいないので、私にはほとんど関係ないが、近年稀に見る残念な出版だ。
「現代では預言はない、奇跡はない」と、聖書から真理を取り去ることで、彼らは、神の国にあるいのちの木と聖なる都から、その受ける分を取り除かれるであろう。

結論から言わせていただこう。

失笑しながら読ませていただいた。また、先入観と誤情報が多く、あまりの馬鹿馬鹿しさに力が抜けて疲れた。最後は著者と出版元のあまりの頑なさに悲しくなった。
だが、信仰でこの事を喜ぼう。自分が罪を犯したのではない迫害であれば、信仰によって喜ぼう。天で報いは非常に大きいから。迫害は不可避だ。主イエスに従えば従うほど、迫害は起こる。そして、主イエスの御名で彼らを赦し、祝福しよう。 しかし、自分が罪を犯したのでなじられるのであれば、へりくだってその罪を悔い改めよう。

NARという言葉をこの本で初めて知った。NAR (New Apostolic Reformation: 新使徒的宗教改革)と言うそうだ。へぇー👀。この本で槍玉に上がっている当該ミニスター達を15年以上ウォッチし続けているが、書籍であれ礼拝のメッセージであれ、当事者やその関係者達がNARという言葉を使うのを、ただの一度たりとも聞いたことはないし、ただの一度たりとも見たことがない。というか、この人たちが同じグループだとはまったく知らなかった。犯罪者のK氏も著者たちの目には同じに見えるらしい。一緒にされているのには驚きを禁じ得ない。

こんな本を出すエネルギーと、労力と、時間と、お金と、組織力があるのなら、パワーフォーリビングを再販するなど他のことのために使った方がよっぽど日本のキリストの体のためになったであろう。本当に非常に残念な一冊である。むしろ存在しない方がよほど日本のキリストの体の為になったであろうと思われる本である。

イエス様を迫害した律法学者やパリサイ派の様に、また彼ら福音派は、主ご自身がなさっている働きの最大の敵となるのか。聖霊様がなさっている尊い御業を冒涜するのか。異言を否定し、聖霊のバプテスマを否定し、癒し(神癒)を否定し、奇跡を否定し、不思議を否定し、預言を否定し、次は五役者を否定するのか。

(主イエス)『わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。』マタイの福音書23章13節 新改訳2017

責任は主の前に出た時に取っていただこう。もしかしたら主の深い憐れみにより、彼らは赦していただけるかもしれない。しかし、彼らは、主イエスご自身の身を焼かれる様な激しい御怒りをその身に受けることになるだろう。私達はただ主の恵みでしるし、不思議、奇跡を信じることができた。だから、彼らが悔い改めるよう祈ろう。

では、以下順不同でいくつかそのトンチンカンかつ的外れな批判に反証させていただく。

・「礼拝に聖書を持って来る人は退場させられる?」預言と聖書に関して

>このような体験を根拠に、ジョイナー氏はモーニング・スター・ミニストリーズ内で絶対的な権威を持っており、その語る言葉は聖書と同等のものとして受け止められる。元教会員の証言によると、礼拝のメッセージは、聖書からのものではなく、ジョイナー氏の受けた「啓示」が中心だそうだ。だから、教会に聖書を持って来る人はいない。皆、ジョイナー氏をモーセのような存在と見なし、彼の指示や助言に頼るようになる。ある時、新来会者が現れて、礼拝前に聖書を開いて読んでいると、二人の体格の良い警備員によって強制的に退場させられた、とのこと[3]。

私は、リック・ジョイナー牧師の教会(モーニング・スター・フェローシップ・チャーチ)の礼拝に実際に行ったことがある。初めて行ったので当然、新来会者だ。私は礼拝が始まる前に会堂で英語の聖書(NIV)を開いて読んでいたが、別に警備員に退場させられることなど一切なかった。私の隣にはイギリスから来た若い夫婦が座っていて礼拝後仲良くなった。彼らも新来会者だった。彼らは、私への友情の証として、モーニング・スター・フェローシップ・チャーチの建物内にある、礼拝堂のすぐ隣(徒歩30秒)にある書店で買った別訳の聖書(NKJV)をプレゼントしてくれた。その聖書は、今でも記念として家に大切に持っている。
聖書を読んでいて退場させられた?教会内の書店で色々な聖書を販売しているのに?教会に聖書を持って来る人はいない?私は礼拝中沢山の人々が聖書を開いているのをこの目で見たが?もし仮に退場させられたのが間違いなかったとして、退場させられたのはまったく別の理由によるものだろう。こういうのをねつ造によるイメージコントロール(印象操作)と言う。著者ご自身が相対しておられるカルトがよく使う手法だ。なぜそのような手法を使われるのか。デマもいいところだ。
「その語る言葉は聖書と同等のもの」?「モーセのような存在」?彼の著作をよく読んで理解するならば、そんなことはまったくの見当違いだと分かるはずだ。リック・ジョイナー牧師は、彼の著作の中で、そのような考え方を度々戒めているからだ。礼拝メッセージでも度々警告している。「現代の預言は聖書ではない。」「現代の預言は聖書の権威には遠く及ばない。」「預言は聖書の代わりにはならない。」「聖書の御言葉こそ土台にすべきものであって、預言を土台にしてはならない。」「預言者は人々をイエス様のもとに導く存在であって預言者自身のもとに人々を導く存在ではない。」と。その自称「元教会員」と、この本『NAR警鐘』の著者が、リック・ジョイナー牧師のことも、預言のこともまったく何も理解していないということがよくわかる批判だ。
リック・ジョイナー牧師のメッセージは、聖書を学んで受けた啓示から来た教えだ。彼のすべてのメッセージの根底には必ず聖書の御言葉がある。福音派のように毎回聖書を皆で朗読するわけではないので、啓示だけで話しているように感じるのだろうか。リック・ジョイナー牧師は、パワーポイントのスライドに聖書本文を写してメッセージすることがよくある。
これは、リック・ジョイナー牧師が聖書を軽んじているという間違った印象を与えようとする事実無根の的外れな批判だ。

⬇️ヨハネ3:30、創世記5:24の御言葉を引用してヨハネ14:6『わたしは道…真理…いのち…』から日曜礼拝のメッセージをするリック・ジョイナー牧師(2019.12.12追記)

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・金粉の奇跡に関して

> 礼拝の最中に、突然、天井から金粉らしき物が降って来た。2011年11月13日にアメリカのカリフォルニア州レディング市にあるベテル教会において、実際に起こった出来事である。驚いた礼拝者たちは、「神の栄光の現われだ」という説明を聞いて、興奮しながら歓喜の声を上げた。ところが、礼拝者の中には不信に思った人もいて、「金粉」を集めて顕微鏡で調べると、金粉ではなく、ホビー・ショップで購入できるマーサ・スチュワート社の gold glitter (金のラメ・パウダー) であったことが判明したという。ベテル教会で、「羽」が降って来ることもよくある。これは、会堂に天使がいたことのしるしだそうだ。

⬇️「奇跡としるしが伴う賛美と礼拝」

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⬇️「神の栄光と超自然のしるし」

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↑各々映像リンク有(画像を押下)

金粉の奇跡は、私も実際に何回か日本の礼拝で体験したことがある。その内の1つは、日本でのジョシュア・ミルズ牧師の集会に参加してそれを体験した。実際に、ジョシュア師の顔にキラキラ光る物が時間が経つほどに増えて行くのだ。誰も金ラメパウダーなどふりかけていないし、物理的にも不可能だ。そしてそのキラキラ光る物はなんと私の手のひらにも現れた。隣の人にも現れていた。これは、ジョシュア牧師に与えられたそういう祝福なのだ。主を礼拝する中であらわれ、彼自身にもこの現象はコントロール出来ない。理屈ではない。人間には不思議だから「不思議」(士師記13:18)と言うのだ。私たち人間が、主が主権的になさることにとやかく言う資格や権利はない。ちなみに、この金粉は不信仰な思いを持つ(疑う)とすっと消えてしまった。これは私の体験から語っている。
金ラメパウダーの件は、誰かがそういうとんでもないイタズラをしたのか、それとも最初から金ラメパウダーの奇跡だったのか、不信仰だから金粉から金ラメパウダーに変わってしまったのか、証言者がベテル教会を貶める為に虚偽の証言をしたのかどうかは知らないが、本物の金粉の奇跡は確かに実際にある

天使の羽の奇跡に関しては、私は体験がないので真偽の程は分からない。ただ、それは可能性としてあり得るだろうし、実際に起こったらそれは素敵な事だろうし、感謝して受け取るだけだ。

>NARのビジョンに共鳴する若者が多い。その一つの理由として、「使徒」や「預言者」の力強いメッセージによって、安心感が得られるからだ。

それってつまり、裏を返せば既存の教会が力強いメッセージを語っていないということでしょう。安心感を得られるメッセージを語っていないということでしょう。混ぜ物のない力ある福音を語っていないということでしょう。説教者が日々福音の中に生きていないということでしょう。日々の生きた証を語れず、講壇から政治の話や世間的な雑談や自分の与太話や自慢話を語って若者が教会に来るだろうか。自分達の信仰の力量不足を棚に上げて、攻撃することで自分達の地位を守ろうとは片腹痛い。哀れとしか言いようがない。ちなみにそれらの方々が否定している「聖霊のバプテスマ(聖霊の火によるバプテスマ)」を受ければ、力強いメッセージを語れるようになる。
↓ 【聖霊のバプテスマの祝福】
https://note.mu/risingdestiny/n/nb6a9cdaeb589

>前述のとおり、NARの中心的なビジョンは、「七つの山」(宗教界、家庭、教育界、政府、マスメディア、芸術界・エンターテインメントの世界、ビジネス界)の制覇だ。この七つの分野にクリスチャンの影響力が増せば増すほど、人間社会の真の変革が可能になるという話だが、「七つの山の制覇」に関する聖書的言及は皆無だ。これは元々、ランス・ウォルヌーという預言者が受けた啓示だそうだ。

著者は上記引用の通り「七つの山」の戦略を『NAR警鐘』内で度々取り上げ批判しておられるが、これはNARのビジョンではない。もともと一番最初にこの幻(ビジョン)を受け取ったのは、福音派キャンパス・クルセード・フォー・クライスト総裁のビル・ブライト牧師だ。1975年、交流のなかった福音派のビル・ブライト牧師、聖霊派YWAMのローレン・カニングハム宣教師にほぼ同時に同じ幻が与えられていたということは、福音派・聖霊派含めた福音主義のすべてのクリスチャン達に与えられた主からのビジョンだと私は信じる。
↓参照【影響力の七つの山】
https://note.mu/risingdestiny/n/n8ac559ffc636

今、主があの日に語られたこの山地を、私に与えてください。そこにアナク人がいて城壁のある大きな町々があることは、あの日あなたも聞いていることです。しかし主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができます。」』ヨシュア記14章12節
『イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」』ヨハネの福音書18章36節
(主イエス)『御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。』マタイの福音書6章10節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

七つの山とは、もし私達がイエス・キリストの為にどんな国にであれ衝撃を与えようとしているのなら、私達はどんな社会でも柱となっている7つの領域または社会の山に影響を与えなければならないというものだ。
クリスチャンが勝ち取るべき7つの山
1. 芸術と娯楽(祝祭と喜び、文化と教養、国家の品性)
2. ビジネス(経済、国力、国の勢い)
3. 教育(国の基、訓練、人材育成、国の知力)
4. 家族(祝福の基、人間関係、価値観)
5. 政府(平和の為の力と統治)
6. メディア(報道、犯罪・危険・危機の監視)
7. 宗教(真の神様との関係、真の礼拝、スピリチュアル、冠婚葬祭)

そして、間違った支配神学(?)を実践しておられるのは、日本のリベラル派・福音派の大先生方なのだ。(無神論でマルクス主義の日本共産党と一緒に活動する日本キリスト教メディアとか、沖縄で私的に宅配業者の通行止めを行い威力業務妨害を平気で行う福音派の大先生とか、教会員達の自由意志を無視して勝手に特定の政党を教団として支援してしまう沖縄の牧師大先生諸君とか、おそらくもう既に公安に反社会勢力としてマークされてしまっているであろう西早稲田の某団体とか。)著者も、出版元も、批判する矛先を完全に間違っておられると私は思う。

・キリスト教界における分裂戦争の預言

>リック・ジョイナー氏も、その著書『ファイナルクエスト』の中で、NARの軍隊と既成のキリスト教会の信者たちとの間に勃発する戦争について詳細に記している。『ロード・オブ・ザ・リング』のように読める話だが、幻の中で神から示されたことだという。最初に「地獄の大軍」が登場するが、「傲慢」、「自己正当化」、「世間体」「利己的野心」、「邪悪な判断力」、「嫉妬」などの軍旗を持つと共に、「威嚇」、「告発」、「裏切り」、「噂話」、「中傷」、「他人のあら探し」と名付けられた武器を手にしている。この軍団は人間から成っているのではなく、悪霊によって構成されている。また、これらの悪霊は戦馬ではなく、クリスチャンの背中に乗って行進する。高そうな洋服を身にまとい、教養も社会的地位もある人々のように見えるが、実は、彼らは偽クリスチャンで、暗闇の力と手を組んでいる。この大軍はサタンの支配下にあり、真の教会(注:NARの使徒的ネットワーク)と戦うために集められたものだ。初めはサタンの大軍が優勢だが、途中から戦士として登場するジョイナー氏自身の活躍により、真のクリスチャンから成る軍団が巻き返しに成功する、という筋書きになっている。

「実は彼らは偽クリスチャンで…真の教会(注:NARの使徒的ネットワーク)と戦うために集められた」「ジョイナー氏自身の活躍により、…巻き返しに成功する…筋書き」
一番吹き出した箇所がここだ。失礼ながら、著者は読解力がないのだろうか。『ファイナルクエスト』を読んで、ジョイナー牧師とNARの武勇伝だと読んだというのか!?『ファイナルクエスト』はそもそもNAR(新使徒的宗教改革)とは何の関係もないし、そんなヒロイックな本ではない。悪霊に股がられているのは偽クリスチャンなどではなく、本物の新生したクリスチャンたちだ。私やあなたが(当然ジョイナー牧師も『NAR警鐘』著者も出版元も)いつでもそうなる可能性があるという(霊的な幻を通しての)警告なのだ。『ファイナルクエスト』はジョイナー牧師自身も含め、読む者を深い深い深い悔い改めに導く本だ。(リンク先参照→ 【アンジェロ兄弟】 https://note.mu/risingdestiny/n/n7f718a2d64cf

読解力がないはずはないので、もはや色眼鏡(偏見)と悪意でもって読んだとしか思えない。
ファイナルクエスト』は霊の領域での出来事の話であり、分裂したらキリストの身体は立ち行かないというメッセージが語られている。今から15年以上前『ファイナルクエスト』を読んだ直後だったが、福音派のクリスチャンが、この幻で理解した通りの事(聖霊派を攻撃することが御心にかなっているのだと、彼らが神に用いられていると信じ込んで聖霊派のクリスチャンを攻撃すること)をしているのをこの目で実際に見たことを書き記しておく。
以下にリンクを2つ貼っておく。リンク先をお読み頂ければ、著者がどれだけおかしな視点で読んでいるか分かるだろう。→『地獄の大軍が行く』
https://note.mu/risingdestiny/n/ncfe369341790

リック・ジョイナー牧師が語る幻が与えられたいきさつと幻の正しい用い方
https://note.mu/risingdestiny/n/n26d99235d425

・ニューエイジの思想とはどんなものか

>頭をからっぽにして、何も考えずに、ただ寝っ転がって何時間も過ごす、いわゆる “soaking in God’s presence” (神の臨在に浸ること) も、ニューエイジの超越瞑想に通ずるものが多いにある。「啓示」も、チャネリングと同質のものだと言えよう。「個人預言」と占いも同類だと見られよう。

まったく、どれもこれも間違っている。映画『スターウォーズ・エピソード8』の主要キャラクター・ルーク・スカイウォーカーのセリフを借りて言わせてもらおう。「素晴らしい。お前が今語ったすべての言葉が間違っている!」

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悪魔・悪霊どもは、いつも偽物を作って人々を惑わす。主がなさっていることの猿真似をするのだ。主の麗しい御業(みわざ)に綺麗に対比するように、霊的に穢(けが)れる悪魔のおぞましい偽物がある。偽物をいくら見ても本物を知ることは出来ない。偽物を見破る為には本物に触れるしか方法はない。なぜ主の本物を求めないのか。
ソーキングは主の深い臨在に浸ることだ。頭を空っぽにして過ごす瞑想ではない。主に思いを寄せ、主のことだけを思いめぐらして主の臨在に浸るのがソーキングだ。主の深い臨在は実際に感じることができる。

>「啓示」もチャネリングと同質
この言葉は聖霊様を侮辱する罪だ。チャネリングは悪霊と繋がる行為。啓示は主ご自身から受け取るものだ。

>「個人預言」と占いも同類
まったく違う。この言葉も聖霊様を悲しませる罪だ。占いは悪霊から受け取るもの。個人預言は主から受け取るものだ。イエス様ご自身も聖書の中で多くの個人預言をなされた。旧約聖書にも沢山の個人預言が出て来る。以下↓を参照されたし。
【預言の学び】預言とは&個人預言を受ける際の注意点(改訂版)
https://note.mu/risingdestiny/n/n916fab966ed5

・ニューエイジに関して
アメリカの一部のクリスチャンたちの間で、ニューエイジの思想はかなり浸透しているらしい。この警告に関しては、私は『NAR警鐘』の意見に同意する。

・墓地での祈祷会?
油注ぎを死者からもらう?これは確かに気色悪い。これは著者の意見に同意する。

・「使徒」に捧げられた高額献金に文句を言うな?

>アメリカの南カリフォルニアにあるメガ・チャーチを牧会する「使徒」が礼拝のメッセージの中で、次のような証しをしていた。
>「先日、ある人が私のところに来て、高額の献金を渡しました。最初は、こんな大金をもらう訳には行かないと思い、断ろうとしましたが、彼はこう言うのです。『あなたは私の使徒です。これをどうしても、あなたに捧げたいのです。』そこで、私は使徒の働き4章34-35節にある聖句を思い出しました。『彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった。地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられたからである。』私はこの聖句の通りに、彼の捧げ物を受け取ることにしたのです。」
>しかし、会衆の中に、この「証し」に違和感を覚える男性もいた。「あなたがたも、初代教会の忠実なクリスチャンたちのように、使徒である私に対して、同じようにしなさい」と言われているように感じ、思わず立ち上がって言いました。
>「その話って、ちょっとおかしいんじゃないですか。」
>すると、「使徒」が厳しい口調で、「あなたは秩序を乱す者だ」と言った。次の瞬間、二人の警備員が男性の腕をつかみ、強制的に教会の外に連れ出したという[8]。

タイトルが扇動的かつ誘導的だが、これが本当なら、これも著者に同意する。だが、想像して欲しい。これは何千人もの人々が礼拝を捧げているメガチャーチでの礼拝の最中の話だ。礼拝の最中に立ち上がって礼拝の進行を妨げたなら、出版元のミニスターご自身も強制退去を命じるのではないのか?そもそも、著者が名指しで批判しているミニスター達が献金を強要しているのは聞いたことがない。
ちなみに、どこの教団教派にも欲に駆られた牧師はいる。日本にも、信徒から多額の献金(例:信徒の結婚式の司式代として一回平均100万円等)を強制し、性的な問題を起こしたのにも関わらず退職金(ひとり頭1億円以上と聞いた)を巻き上げてトンズラした福音派の牧師夫婦がいる。その1億円を信徒に返金するか、その信徒達の同意の上で、苦労して働きながら開拓している日本の牧会者達に配るべきではないか。他にも一部は日本のニュースや雑誌でも取り上げられた。著者よ、出版元よ。攻撃するならまずこういう人々からでしょう。すでに回復の働きに関わっている他の牧師と協力して、名指しで民事で追撃すべきではないのか。著者も相談を受けたはずだから誰のことか分かるはずだ。完全に攻撃の矛先を間違っている。

・牧師が蛇をチョコレートに変える?

> 南アフリカの話である。”End of Times Disciples Ministries Church” (終末時代の弟子たちミニストリー・チャーチ) の若い牧師が白い蛇を手に持って、会衆に向かって熱っぽく語る。「私は神の力によって、どんな物をも、別の物に変えることができます。今、蛇を持っていますが、これをチョコレートに変えましょう。」次の瞬間、隣に立っている男性信者の口に、無理矢理に蛇を押し込む。「どうだ。チョコレートの味がするだろう」と牧師が言うと、信者は頭を盾に振る。

これも著者に同意するが、南アフリカの例を出すのは反則では?そんなことを言ったら、福音派のLGBTを認める活動は最悪の主に対する侮辱ではないか?ローマ1章をよく読んでいただきたい。著者と出版元はなぜこの運動(LGBT)を大々的に批判しないのだろうか?ちなみに、著者が槍玉に挙げているリック・ジョイナー牧師はLGBTを公に批判している。

>更に、使徒たち(預言者たち)は、その啓示に対する絶対服従を求めている。>こうして、ジョイナー氏は大胆にも、自分の著書はペテロ、パウロ、エゼキエル、ヨハネと同じレベルの「恍惚体験」に基づいて書いたと主張している。したがって、当然のことながら、そこに聖書と同等の権威があるという話になるのだ。

はぁ?何でそういう結論になる?
————
↓参照『預言の成長』リック・ジョイナー牧師
https://note.mu/risingdestiny/n/n1b82e1d9a728

預言の啓示は、「印象、感覚」というレベルから、新約聖書にあるようにパウロやヨハネが天に引き上げられるというレベルまであります。一般的に言って、ドラマティックな高いレベルの啓示であればあるほど、それはより重要な啓示であると考えるのが普通でしょう。又、啓示のレベルが高ければ高いほど、それを受けた預言者のミニストリーはより偉大であると考える人もいます。
しかし、この考えは二つとも違う可能性があるのです。これまでの私たちの経験から 、啓示のレベルはそれの重要性とかそれを受けた預言者の権威のレベルに関係するのではなく、むしろ、それによって示される仕事の難易度に関係しているということを学びました。その理由から、 あまり啓示が与えられないシーズンとか、期間にあっても(特に 高いレベルの啓示が与えられないときは) 私たちは満ち足りることを学ぶべきであり、その期間は聖書を深く探り健全な聖書の真理により深く根をおろすために時を用いるべきです。
—————-

>その決断力や判断力が弱まると、人に依存しなければならなくなる。ここに、NARの指導者たちの狙いがあると言えるかも知れない。

どれだけ、著者達が聖霊派が嫌いなのかが伝わってくる悪意に満ちた言葉だ。その敵意は、既得権益にしがみ付き、私服を肥やし羊を食いものにする宗教指導者達に向けてもらいたい。

・預言の的中率
下記2つのリンク先を参照されたし→
①【預言の吟味の学び】旧約と新約以降の預言の違い
②【預言の吟味の学び】「預言の矛盾」

①【預言の吟味の学び】旧約と新約以降の預言の違い
『ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。』1コリ4:5
『というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。』1コリ13:9
https://note.mu/risingdestiny/n/na232cb67e419

②【預言の吟味の学び】「預言の矛盾」
https://note.mu/risingdestiny/n/ncb3792dd4552

預言には二つの次元があります。
一つは「預言のミステリー」であり、もう一つは「預言のクライシス(危機)」です。
ミステリーとは預言で明らかにされないで隠されている部分です。神は初めから終りを告げることができるお方ですが、その間のことを言われないことがあります。それが教会にフラストレーションを与えるのです。例えば、神はパウロにこう言われるでしょう。「『あなたは異邦人に福音を伝えるわたしの選びの器です』とわたしは言いました。でもわたしが言わなかったことがあります。あなたは打ち叩かれ、町から追い出され、兄弟から裏切られ、マルコは途中で帰ってしまい、バルナバとは別行動をするようになり、銀細工人に暴動を起こされ、、、ということは言いませんでした。」と。神はパウロが人生おいて経験する途中のプロセスを全部は明らかにはされませんでした。
「預言のクライシス(危機)」というのは、預言を受けた者が予期するものと、実際に起ることの間に違いがある時のことです。私たちが予期し期待することは、必ずしも私たちが受けるものとは違うのです。預言を聞いたとき、私たちはその言葉の意味することは分かったと思ってしまいます。「主は私を繁栄させると言われました。だから私は繁栄するのです。」と考えるのですが、次に起るのは破産だったりするのです!
あなたは主に「私を繁栄させると言われたのではないですか?」と訊ねます。すると主は「わたしはあなたを確かに繁栄させているよ。」と言われます。つまり主はあなたを繁栄させるためにプロセスを通されているのです。プロセスとはある時は経済的繁栄のために必要なものであり、それは困難や問題をあなたに与えることかもしれないのです。


>2011年3月11日の東日本大震災を預言した人もいない。

いや、いる。この日に起こるという日時の指定こそなかったが、必ず未曾有の大地震が日本に来ると20年以上前に預言されていた。そしてその為の執り成しの祈りも積まれていた。だから、関東圏は主の憐れみにより崩壊を免れたのだ。東北の被災した方々には本当に哀悼の意と執り成しの祈りを捧げるが、福島ではなく東京に直撃していたら日本はどうなっていただろうか。執り成しがなかったら、東京のすべてのビルは崩壊し、日本の国としての機能は完全に麻痺しもっと悲惨な状況になっていただろう。

参照リンク↓
1976年3月 申賢均(シン・ケンキン)牧師 東京大地震の幻を見る
https://note.mu/risingdestiny/n/n45717855b0e6

ボブ・ジョーンズ(1989年より以前)
https://note.mu/risingdestiny/n/nc12d263f30cf

——-以下引用——-
日本に最大級の地震が来るという預言を、ボブ・ジョーンズ師から私が初めて聞いたのは22年前でした。(中略)
神戸に大地震が起きたときも、ボブにはそれが自分が見た大地震ではないことがはっきりと分かりました。日本に9.0の地震、津波、原発事故が起きた後、日曜日の礼拝にボブが現れたとき、私は直ちに「これがそうか?」と彼に聞きました。彼は「これがどういうことを意味するのか、わかるでしょう。」と言いましたが、その時ほど深刻な彼の顔を私は今まで見たことがありませんでした。
(リック・ジョイナー牧師による証言動画⬇️)
Special Bulletin: Japanese Earthquake, A Prophetic Demarcation in Time, Part 1(28:56) https://youtu.be/NrwEYMU40tg
Special Bulletin: Japanese Earthquake, A Prophetic Demarcation in Time, Part 2(31:50)https://youtu.be/VF9UblmaR7E
Special Bulletin: Japanese Earthquake, A Prophetic Demarcation in Time, Part 3(30:51) https://youtu.be/2EfcuEA30uw
(中略)
決して一人の預言者、または一つの預言的ムーブメントによって啓示の全体像は見えないのです。これが私たちが互いを必要としている大きな理由です。(後略)

リック・ジョイナー(1998年より以前)
https://note.mu/risingdestiny/n/nc0a388826e14

■リック・ジョイナー師 1999年ハーザー1月号

「神は『私はアジアの人々を愛している』と私に言われました。神は特別な愛をアジアの人々に対して持っています。ですからアジアに多くの人々を与えられました。

 日本は特別に力強い国民です。日本は将来、主の栄光を実際に見るでしょう。日本人は本当に主を愛するようになります。今、経済危機が日本を震わせていますが多くの日本人が主に立ち返ります。しかし、信じられない災害が将来起こるでしょう。大きな地震が東京に起こると、主が私に語られました。」
   (中略)
 「多くのものが崩壊しますが、終わりではありません。私たちが生きている間にそれが起こります。その地震はとても大きなものです。これまでにおきている地震の中で、一番大きな地震になります。」、(中略)「阪神大震災が起きるまで、日本人は自分たちが建てたものが強固にできていると思っていたことでしょう。しかし、神戸の地震は小さなものに過ぎません。次に起きる地震はどんなビルも耐えることはできないと主が私に示されました。
 私たちは聖書の御言葉の上に自分の人生を建てあげるべきです。そして、御言葉に従うことです。これは日本人を助けるために、神から与えられた警告です。」 多くの日本人が主に立ち返る。日本人は本当に主を愛するようになる。しかし、大きな地震が東京に起きる。(それがいつであるかはわからない。)それが起こると世界経済は崩壊する。その地震は、これまでに起きている地震の中で、一番大きな地震となる。次に起こる地震は、どんなビルも耐えることはできない。

 リックジョイナーは,2001/9/11事件当日、その日の朝、黙示録9章11節(アバドン)から語られていたそうである。

——-引用終————

>学生たちはこの言葉を信じて、街に出かけ、病人を見つけてはその癒しのために積極的に祈る。彼らは体の病気を心の罪と同じように捉え、一般のクリスチャンのように、病気を神のご計画の中で許された試練として、そこに神の目的があるいう考え方は全くない。

病の癒し(神癒)に関しては、著者に代表される福音派の「病気を神のご計画の中で許された試練として、そこに神の目的があるいう考え方」も、聖霊派の「病の癒しは主の御心(参:マタ8:3、マコ1:41、ルカ5:13)。天に病は存在しない(参:黙21:4,22:2-3)。だから病は癒されるべき」の考え方の両方とも正しいと私は考える。
しかし、大前提は「病は癒されるべき」である。福音派の「病の中に神の目的がある殉教の祝福」や「独身の賜物」と同じく、特別な召し、特別な選び(例:ヨブ)。だから、病の癒しに関して、福音派も聖霊派も両方とも信仰の態度が半分間違っているし、両方とも半分正しいと私は信じる。

・権威主義に関して

>使徒たちは預言者たちと共に教会の土台的存在であり、聖職者のリストの中で第一に挙げられているから、最上位にいる、という論理になる。

上記の論理は完全に間違っている。真の使徒職が本当はどんなものか、使徒職に召されている器達も含め、まだ世界中のクリスチャンが誤解している。使徒職は人々の上に立つ存在ではなく、人々の下に立つ存在である。→【使徒的学び】牧会的思考と使徒的思考の違い
https://note.mu/risingdestiny/n/n1b953b512823

「神の権威は、異邦人のものでも、人間の権威とも違うことを、主は明らかにされました。 神の権威は、愛と奉仕に基づいていたのです。 教会史における最も壊滅的な過ちは、教会の指導者たちが、御国の権威ではなく、人間の権威という形で教会支配を押し付けたことでした。 地上の権威は、まさに主の霊とご性質とは正反対であり、人々に義をもたらすことはありません。」
リック・ジョイナー著 『使徒の働き』(未邦訳)

『イエスは腰を下ろすと、十二人を呼んで言われた。「だれでも先頭に立ちたいと思う者は、皆の後になり、皆に仕える者になりなさい。」』マルコの福音書9章35節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

“The Lord made it clear that His authority was not like the Gentiles or present human authority. His authority was based on love and service. The most devastating mistakes in church history have been the result of church leaders imposing church government that was in the form of human authority, rather than that of the kingdom.Earthly authority is in contrast to the very nature and Spirit of the Lord, and it will not produce righteousness in the people.”
The Apostolic Ministry by Rick Joyner

聖霊派は権威主義的だという意見を聞いたことがある。日本にある大きな韓国教会の権威主義は凄まじいので、何と比較しての意見かは知らないが、権威主義は本当に気をつけなければならないと思う。

> 健全な組織の場合、必ず、権威(権力)の悪用を防止する機能が働く。チェック・アンド・バランスという言い方をするが、カルト化した団体には、これが存在しない。教祖は独裁者のように振舞う。

福音派内での、指導牧師に対する超従(ちょうじゅう:従順をはるかに超える従順)の教えとそれを信仰的とする雰囲気には気をつけなければならないのではないだろうか。昔は、教団の指導牧師が若い牧師の結婚相手も開拓派遣先も決めたという話を度々聞いた。ある教団では今もそうかもしれない。神様は確かに信仰(主への絶対的信頼)による従順を求められることがあるが、人がそれをやってはならないと思う。パワーハラスメントやモラルハラスメントが今でも沢山あることを聞き及んでいる。教団指導者から状況的に自殺に追い込まれた牧師がいることも聞いている。そういう加害牧師をこそ攻撃して欲しい。そして、二度と人を自殺に追い込むような牧師が生まれないよう、人生を破滅に追い込まれる牧師が生まれないように制度を整えて欲しい。金銭的にも環境的にも。指導牧師から家庭を破壊させられた牧師は一人や二人ではない。

私達の主イエス様は『傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う』(イザ42:3)お方だ。愛して責任を持ち、犠牲を払うからこそ権威が与えられる。断じて支配するためではない。

> もう既に、NARのビジョンに共鳴するアメリカの牧師たちの間で、「使徒」のタイトルを競い合うバトルが始まっている。また、誰がこの町の使徒として任命されたかという激しい議論も起こっている。

これから日本にも、欲に駆られた偽使徒達がたくさん起こって来るだろう。それらを見分けていかなければならない。

見分け方は、その器が自分の栄誉の為に動いているか、キリストの身体の栄光の為に動いているかで見分けることができる。
また、聖霊様がなさっている「しるし」と、悪霊どもが行なっている「しるし」は、その「しるし」がイエス様の栄光を現しているか、その「しるし」はイエス様に人々を惹きつけているかどうかで見分けることができる。

しかし、この本『NAR警鐘』がやっていることは、汚水の中にいるからといって、汚水の中にいる赤ん坊も一緒に捨て去る行為だ。

偽使徒の中には、まだ単に理解が浅く未熟な為に偽物となっている器もいるだろう。偽使徒達の中から悔い改めを通して本物の使徒になる器も起こされて来るだろう。その時、日本のキリストの身体が、喜びでもってその器を受け入れてもらいたいものだ。また、その事が起こるように祈ろう。

・福音派の律法主義に関して
私は聖書を文字通り信じている。私は神様を信じる。天地創造は文字通り6日間で行われたと私は信じる。人間は初めから男と女に創造されたと信じる。私はノアの洪水を信じる。モーセ達は海の中を歩いて渡ったと私は信じる。地球は現在天地創造から5779年目(2019.3.現在)であると私は信じる。イエス様は処女から生まれたと私は信じる。イエス様は3日目に死からよみがえったと私は信じる。私は聖霊様を信じる。イエス様は再び来られると私は信じる。聖書にある通り、天使も実在し、悪魔・悪霊も実在する。今も癒し(神癒)は実在し、奇跡も実在する。今も異言は実在し、預言も実在する。永遠の裁きと新天新地、永遠の新しいエルサレム、霊の永遠に朽ちない身体も私は信じる。今も神様が歴史を支配しておられると私は信じる。聖書に書いてある通り、今も神様は新しい超自然的な不思議なことを成されると私は信じる。聖書にある通り、今も神様は私達に肉声で語りかけ、愛されている子供である私達はその御声を聞くことができると私は信じる。聖書の中の数々の不思議な出来事が史実であると私は信じる。今も死人のよみがえりはあると信じる。私は主の主権を信じる。主は与え主は取り給うことを信じる。
聖書を誤りなき神の言葉と信じる福音派は、『聖書』そのものを偶像にしてはいないだろうか。生ける御言葉なる主イエスご自身よりも、『聖書』また「神学」を上に置いていないだろうか。文字は殺し、御霊は生かす。律法主義(文字に従うこと)は殺し、聖霊様に従うところにはいのちと自由と解放がある。イエス様は聖書の御言葉を越えるお方だ。聖書の文字通りの律法が適用されるならば、私達は全員問答無用で永遠に火と硫黄の池に行かなければならなかった。しかし、イエス様は、律法を破ることも廃棄させることもなく、律法を完全に成就させる形で、私達信じる者を永遠の刑罰から救って下さった。これはまさにウルトラCである。救われてまだ間もない頃、主は私に「超法(ちょうほう)」、主は法を超えるお方なのだと教えて下さった。「福音主義、福音主義」と連呼して自らを福音派と自負する方々には、私の言っていることをよく理解していただきたい(福音主義は大事なので捨ててはならない)。 あなたは自分の神学とイエス様が今なさっていることが矛盾した時、自分の神学を優先していないだろうか。

マタイの福音書23章1〜15節, 23〜39節(※引用者補足)1,そのとき、イエスは群衆と弟子たちに語られた。2,「律法学者(※福音派の神学者・牧師)たちやパリサイ人(※福音派の宗教家)たちはモーセの座に着いています。3,ですから、彼らがあなたがたに言うことはすべて実行し、守りなさい。しかし、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うだけで実行しないからです。4,また彼らは、重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしません。5,彼らがしている行いはすべて人に見せるためです。彼らは聖句を入れる小箱を大きくしたり、衣の房を長くしたりするのです。6,宴会では上座を、会堂では上席を好み、7,広場であいさつされること、人々から先生と呼ばれることが好きです。8,しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただ一人で、あなたがたはみな兄弟だからです。9,あなたがたは地上で、だれかを自分たちの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただ一人、天におられる父だけです。10,また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただ一人、キリストだけです。11,あなたがたのうちで一番偉い者は皆に仕える者になりなさい。12,だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。13,わざわいだ、偽善の律法学者(※福音派の神学者・牧師)、パリサイ人(※福音派の宗教家)。おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。14,※異本に十四節として以下を加えるものもある。〔わざわいだ、偽善の律法学者(※福音派の神学者・牧師)、パリサイ人(※福音派の宗教家)。おまえたちはやもめの家を食いつぶし、見栄のために長い祈りをしている。だから、おまえたちは人一倍ひどい罰を受けるのだ。〕15,わざわいだ、偽善の律法学者(※福音派の神学者・牧師)、パリサイ人(※福音派の宗教家)。おまえたちは一人の改宗者を得るのに海と陸を巡り歩く。そして改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのだ。
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23,わざわいだ、偽善の律法学者(※福音派の神学者・牧師)、パリサイ人(※福音派の宗教家)。おまえたちはミント、イノンド、クミンの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実をおろそかにしている。十分の一もおろそかにしてはいけないが、これこそしなければならないことだ。24,目の見えない案内人たち。ブヨはこして除くのに、らくだは飲み込んでいる。25,わざわいだ、偽善の律法学者(※福音派の神学者・牧師)、パリサイ人(※福音派の宗教家)。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、内側は強欲と放縦で満ちている。26,目の見えないパリサイ人(※福音派の宗教家)。まず、杯の内側をきよめよ。そうすれば外側もきよくなる。27,わざわいだ、偽善の律法学者(※福音派の神学者・牧師)、パリサイ人(※福音派の宗教家)。おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ。28,同じように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいだ。29,わざわいだ、偽善の律法学者(※福音派の神学者・牧師)、パリサイ人(※福音派の宗教家)。おまえたちは預言者たち(例:宗教改革のマルチン・ルター、地動説のコペルニクス、「それでも地球は動く」のガリレオ・ガリレイ、ジャンヌ・ダルク等)の墓を建て、義人たち(例:新渡戸稲造、新島襄、クラーク博士、杉原千畝、ホーリネス創始者・中田重治、ジョン・ウェスレー等)の記念碑を飾って、30,こう言う。『もし私たちが先祖の時代に生きていたら、彼らの仲間になって預言者たちの血を流すということはなかっただろう。』31,こうして、自分たちが預言者を殺した者たちの子らであることを、自らに対して証言している。32,おまえたちは自分の先祖の罪の升を満たすがよい。33,蛇よ、まむしの子孫よ。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうして逃れることができるだろうか。34,だから、見よ、わたしは預言者(例リック・ジョイナー、ベニー・ヒン、等)、知者(例ビル・ジョンソン等)、律法学者(例ピーター・ワーグナー等)を遣わすが、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して回る。35,それは、義人アベルの血から、神殿と祭壇の間でおまえたちが殺した、バラキヤの子ザカリヤの血まで、地上で流される正しい人の血が、すべておまえたちに降りかかるようになるためだ。36,まことに、おまえたちに言う。これらの報いはすべて、この時代の上に降りかかる。37,エルサレム(福音派)、エルサレム(福音派)。預言者(ペンテコステ派・カリスマ派ミニスター)たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。38,見よ。おまえたちの家(地域教会)は、荒れ果てたまま見捨てられる。39,わたしはおまえたちに言う。今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

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チェ・アン牧師が語った日本救霊の鍵
https://www.christiantoday.co.jp/articles/23256/20170217/revival-school-21ccc-report.htm
どうすれば日本でもリバイバルを見ることができるか、その重要な鍵である「地域全体に聖霊を歓迎する」具体的な実践について語った。
「ロサンゼルスで大リバイバルが起きる」と夢で示され、1984年にワシントンからパサデナに引っ越したチェ牧師。すぐにリバイバルが到来するだろうと期待していたが、一向にその兆しが見られない。そこで、パサデナのキリスト教史を紐解いたところ、そこではペンテコステ派の教会が栄えたことがなかったという事実を知った。そしてその最大の要因が、1906年のアズサ・ストリート・リバイバルを「偽物の聖霊の働きである」と、パサデナで強い力を持っていた「ペンテコステ・ナザレン教団」が断言したことにあると気付いた。聖霊の働きを拒み、批判した結果、聖霊は悲しんでパサデナから去ってしまったのだ。
そこでチェ牧師は同教団本部に赴いてこの歴史的事実を説明し、リバイバルの火を拒んだ罪への悔い改めを求めた。すると驚くことに、同教団はすぐに公式に悔い改め、翌年の新年礼拝では同教団史上初めて、ペンテコステ派の説教者を招いて講壇からメッセージを語らせるということまでした。このことが、チェ牧師がその後体験するパサデナのリバイバルの始まりとなったのである。
「これまで日本で、国全体を覆うリバイバルが起きたことがないのはなぜか」という問いに正面から向き合うとき、パサデナの歴史に学ぶことができる。チェ牧師によれば、日本の多くの教会が、「霊的戦いについて語ることを避けている」「超自然の領域があることを本当には信じていない」「使徒言行録の奇跡が今も起こることを信じていない」ことが問題だという。「勤勉な日本人の教職者は一生懸命働いているが、それ以上に神は聖霊に拠り頼むことを願っておられる。
——引用終——

もちろん、どんな信仰の巨人も、どんな主の器も完璧ではない。必ず過ちがあり、罪がある。
宗教改革を起こしたプロテスタントの祖マルチン・ルターは、地動説を唱えたコペルニクスを迫害した。また何百年に渡るクリスチャンによるユダヤ人迫害の下地を作った。マルチン・ルターの思想の影響で、ヒットラーは、わずか4、5年で全世界のユダヤ人の3分の1(約600万人)が虐殺されたホロコースト(ショアー)を実行に移したのである。すべてのプロテスタントのクリスチャン(特にリベラル派・福音派)はユダヤ人迫害を悔い改めなければならない。なぜならプロテスタントの神学にその反ユダヤ思想(置換神学)が組み込まれているからだ。
どんなにリック・ジョイナーやベニー・ヒンやビル・ジョンソン達の啓示や預言が凄くても、鵜呑みにしてはいけない。ピーター・ワーグナー博士がどんなに素晴らしい教えを説いていても、ベレアのクリスチャン達の様に必ず聖書と祈りで吟味しなければならない。それは、リック・ジョイナー牧師自身も警告していることだ。→
【吟味の学び】「惑わす者達〜高ぶる預言者とあらさがしをする者〜」リック・ジョイナー
https://note.mu/risingdestiny/n/ne082303ce1a7

・聖霊派への警告
ひとつ肝に命じなければならないのは、しるし・不思議・奇跡を行う聖霊派は、主イエスの次の戒めの御言葉が適用される。本当に己は主の御思いを行なっているのか、よくよく己の心・動機を吟味しなければならない。私は主と心がひとつになっているだろうか。主がお許しになっていないのに、良い事だからと主に聞くことなく勝手に行なっていないだろうか。

(主イエス)『21 わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。22 その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』23 しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』』マタイの福音書7章21~23節
『ダビデの子よ、私たちをあわれんでください』マタイの福音書9章27節
『12 ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。13 私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。14 実際、からだはただ一つの部分からではなく、多くの部分から成っています。15 たとえ足が「私は手ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。16 たとえ耳が「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。18 しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。19 もし全体がただ一つの部分だとしたら、からだはどこにあるのでしょうか。20 しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。21 目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできないし、頭が足に向かって「あなたがたはいらない」と言うこともできません。22 それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。23 また私たちは、からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、見栄えをよくするものでおおいます。こうして、見苦しい部分はもっと良い格好になりますが、24 格好の良い部分はその必要がありません。神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました。25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。26 一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。27 あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。』コリント人への手紙 第一 12章12~27節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

私たちは一つのキリストの体だ。一つの身体の違う一部分として、お互いがお互いを必要としている。福音派には福音派の使命と役割があり、聖霊派には聖霊派の使命と役割がある。しかし、願わくば、早く福音派だとか聖霊派だとか区別する必要がなくなる日が来ることを願う。
(終)

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【福音】新しく生まれ変わる!(新生の祝福)
https://note.mu/risingdestiny/n/nb11945f61b7a

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【なぜ、ライジング・デスティニー(シャイニング・デスティニー)を始めたのか(過去20年間の日本宣教史年表付) 】
【The Reason We started Rising Destiny (Shining Destiny): The History of Japanese Mission in the Past 20 Years】
https://note.mu/risingdestiny/n/nc415e4303df2

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