風呂上がりの野球評論家・飲み会のコーチ(こんな上司は勘弁っていう話)

あのー、ジャイアンツが負けると機嫌悪くなる父親ってちょっと前まで本当にいたんですね。で、ジャイアンツが勝つと機嫌がよくなる。風呂上がりに冷たいビールなんか飲んで、「ここはスクイズだ!」「なんでピッチャー代えないんだ!」なんつって。家庭では父親はみんな野球評論家になる。(まあ、私は母子家庭だったから、こんな父親いなかったんだけど笑。あ、あとここでは「父親」って言ってますけど、別に母親でもいいんですよ。偶然今日聴いた同僚の話で出てきたのが「父親」だっただけです。)

それで、飲み会にいくと「俺が思う仕事論」とか語ったりしちゃって。「お前は頭いいかもしれないけど、熱意が足りない」とか、「俺が営業の時はな・・・」なんつって。ありがたいことにコーチになってくれる。飲み会のコーチの登場だ笑

こんな奴うざいよね、っていう話ではありません。結構こんな人いませんか?私は別にそんなにうざいとは思いません。(つまらない人だなぁとは思います。ごめんなさい。)家庭や飲み会で「無意味な持論語りマン」がいても別になんとも思いませんよ。

だけどね、仕事でこれをやるのはダメですね。

どういうことかというと、事実やデータを見ずに、自分の経験や思いこみで意見を出す、判断する。これは勘弁して欲しいのです。もちろん、どこかで経験や勘で判断しなければならない場面はあります。それは否定しません。そうではなくて、事実やデータよりも、ご自身の経験を過信しすぎてしまっている人です。

個人のことと、組織運営のことは、分けて考えねばなりません。自分自身のことに関して、荒唐無稽な持論やこだわりを持つことは、誰にも迷惑をかけていません。せいぜい、家族に迷惑をかけるくらいでしょう。しかし、組織の中でマネジメントをする立場の人がそうなってしまっては、組織の存続に関わります。部下のモチベーションも下がります。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を思い出さねばならないと思います。我々は自分自身を過信しすぎずに、巨人の肩に乗ることを考えるべきです。しかし、残念ながら「無意味な持論マン」は勉強しません。だから「経験でしか学べない」。そして、多くの場合で自信満々である(たいてい、詐欺師のトートロジーの使い手でもあるからね)。私はそんな人たちを「風呂上がりの野球評論家」「飲み会のコーチ」と呼んで馬鹿にしています。

と、無意味な持論を語ってみました笑


ブログ、できるだけ習慣的に書いてみようかなと思っています。できれば推敲してしっかりとした文章を書きたいのですが、中々時間が取れません。

なので、とりあえず適当な文章でも書いていこうと。習慣化して、アウトプットに慣れようと。時間がないのは場数で解決していこうと。

ま、そんな感じです。ではでは。

2021.4.15 シムラヨウタ

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