見出し画像

最近は「自分の思い通りに仕事がしたい」の意味合いも変わってきたな。

「誰にも縛られずに、自分の思い通りに仕事がしたい。」

僕が「経営者」という道を行こうと選んだ最初の理由はこれだった。


読者さんの中にも、最初はそういう気持ちで始めた人。または、現在「誰にも縛られずに、自分の思い通りに仕事がしたい。」という思いを秘めていて、いつか独立しようと思っている人は、多いのではないだろうか。

でも今思うとそれは考えが甘過ぎたと、言わざるをえない。経営というものを知れば知るほど

「誰にも縛られず」


というのとはかけ離れていく気がする。誤解のないようにいうと、それが「楽しいか」「楽しくないか」というところとは、また別の部分だということを添えておきたい。


具体的に例をみてみよう。例えば、自分の店に通ってくれる人を増やそうと思う。その場合は、「食べる相手」のことについて考えなくては望む結果はいつまでも得られない。相手のことを深く知って、ストライクゾーンがわかってきて、そこに対して球を投げなければ、本当に相手を感動させる料理や言葉は出てこない。つまりリピーターも新規のお客さんも増えない。


さらに言えば。店が忙しくなって、その店を運営するために自分の店で頑張って働いてくれる人を増やそうと思えば、「働いてくれるスタッフ」の心理や環境を考えなくてはいけない。そうしないと、心の底からお客さんをもてなしたいって本人が思わないから。そんな店は長続きしない。


人とは基本的には、自分が満たされて、初めて他者を喜ばせたいという段階に移るのだと思う。だから経営者は自分の店で働いてくれる人がどうしたら満たされるのか?働くことの喜びを感じてくれるのか?に頭を使わなければいけない。

 

 

となってくると、もう。自分の思い通りというよりは、むしろ「相手の思いに積極的に耳を傾けている状態」になっていることに気づく。じゃあ、最初に自分が思ってた「誰にも縛られずに」とか「自由」っていったいなんなんだろう?と、よくわからなくなってくる。


でも最近はこう思う。「自分」と「それ以外」っていう認識でいるから、ややこしくなる。もっと高い目線で捉えると視界が晴れて次の次元が見えてくる。


それは、お客さんもスタッフも含めて「自分」とするような感覚。個人だけで考えるのではなく、周りの人や地域の人まで含めて自分ごととするような。それくらいの抽象度を持って考えると、

「自分の思い通りという意味合いも変わってくる」


という今日のアウトプットでした。最後まで読んでくれた方ありがとうございました。


※あぐー豚の炭火焼きのトマトクリーム

いただたサポートは、新たにインプットすることにつかいます。そしてそのアウトプットでお返しします。