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小学生の時から好きな「西遊記」「封神演義」を熱く語る

本棚から、どの本を読もうかと選ぶ時。
この瞬間が好き。

お出かけの服に合うアクセサリーを選ぶとき
車の運転中にかける曲を選ぶとき
友達のプレゼントを選ぶとき、
カフェのメニューを選ぶとき

どれも好きだが本棚の本を選ぶ時は
なんというか別格だ。

以前のnoteに書いたことあるが、
私は本を読むのが好きだ。

読んだことない本を読む時間より、
以前読んだことある本を読む時間の方が私は圧倒的に多い。

面白い本は何度読んでも面白いものだ。
そして、面白い本は面白いから何度でも読みたくなるのだ。

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多く繰り返し読んでいる本は
その分付き合いが長い。

おそらく一番読んでいるであろう本は
西遊記だ。全巻通して7周は読んでいる。

この渡辺仙州 訳のシリーズだ。

これは児童書である。
小学3年か4年生の頃に小学校の図書館で出会った。

西遊記については知っていた。
2006年に香取慎吾が孫悟空を演じる西遊記のドラマを観ていたからだ。
私は2000年生まれなので、ドラマ放送時は6歳。

孫悟空を香取慎吾が演じる

ドラマの知識しかなかった私はこのカラフルな本の表紙に引きつけられた。

鮮やかなイラストが目を引く表紙だ

サルのキャラクターが孫悟空は分かる。
そして中巻の下中央は三蔵法師、
下巻の右に書かれている豚のようなキャラは猪八戒だと思われる。
(黒豚なのが気になるが)

でも、他のキャラクターは誰だろう。
そしてもう一人の旅の仲間、沙悟浄は書かれてないのかな?
そんなことが気になって
「破邪遍歴」とか聞きなれない言葉だし
なんか難しそうだけど読んでみようと手を取った。

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西遊記は上巻の悟空誕生から始まる。
ガチで悟空が生まれるとことから始まる。
だから、天竺への旅だけが西遊記ではない。
天竺への旅をスタートさせる前もめっちゃ面白いのだ。

さらにドラマでは分からなかった
なぜ孫悟空がお釈迦様によって岩に閉じ込められていたのか
猪八戒や沙悟浄がどういう経緯で仲間になったか
そもそも三蔵法師達は何故旅をしなければならないか
よく言っている「斉天大聖」というのはどういう意味なのか
など知らなかったこと、気になっていたことを全部知ることができた。

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ドラマのストーリーは原作とは大きく異なり、
ほぼドラマ用のオリジナルといっても過言ではない。
ドラマはドラマで面白かったが、本物の面白さには敵わなかった。

キャラクターの描かれ方も大きく異なる。
孫悟空は自分勝手で三蔵法師のいう事を聞かないというイメージだったが、
原作の孫悟空は、なんというかカリスマ性があると私は思っている。
(そのカリスマ性で、生まれて早々に猿の王に君臨していたこともある。)

自分勝手というより、自信家で自分の欲に正直。
頭が良くて、悪知恵が働く。(三蔵法師や敵を騙しても相手に勝つ)
そして何よりも強い。めっちゃ強い。
非常に長けた武術や妖術を身に付けていて
どんな相手でも孫悟空とまともに戦ったら敵わない。(釈迦如来を除いて)
閻魔大王をリンチしたり、天界の軍勢を全滅させかけたこともある。
逆に釈迦如来レベルじゃないと敵わない強さを持つのが孫悟空である。
圧倒的に強く、頼りになる愛すべき大好きなキャラクターである。

ちなみに、桃が大好物。願いは不老不死になること。
美人とかは興味なし。強すぎて手加減とかできない。
山育ちだから、山での戦闘が特に得意。

愛用している武器はご存知の人も多いが、如意棒。
正式名「如意金箍棒(にょいきんこぼう)」
実はこれは本来武器ではない。
元は海の深さを測定した時の重りである。
孫悟空が物語初期に東海王からほぼ無理やり奪った。

重りだから、めっちゃ重たい。その重さは約8トン。
悟空はこれをマッチ棒ぐらい小さくして耳に入れて携帯している
(約8トンを耳に携帯している、やべぇ猿だ。)
持ち主(悟空)の思う通り(如意)に伸縮自在だから如意棒。

そして、孫悟空といえば筋斗雲に乗ることも有名だが、
実は孫悟空だけでなく、猪八戒や沙悟浄も雲に乗れる。
菩薩や神が雲に乗っているのと同じ要領だ。

西遊記では仙術を身に付けたものにとっては雲は基本の移動手段。
(三蔵法師は人間だから、雲には乗れない。乗れたら天竺なんて直ぐなのに…)

悟空の筋斗雲は、みんなとスピードが違う。
悟空ならひとっ飛びの距離を、猪八戒は一日、沙悟浄は三日かかる。
流石、悟空!

また、悟空といえば頭につけているの金の輪っか。
これは緊箍児(きんこじ)といって三蔵法師が観音菩薩からもらった。
観音菩薩は他にも、禁箍児(きんこじ)、金箍児(きんこじ)を持っている。

緊箍児呪を唱えると頭を締め付けてつけている者を苦しめる。
(菩薩が持つ割に結構、えげつない道具である)

西遊記にはこういった法力を持つ道具が結構出てくる。
いわいる、パワーアイテム。
西遊記では、このように観音菩薩の持つ道具に助けてもらう場面も多い。

ちなみに、観音菩薩は西遊記の割とメインキャラ
三蔵法師を旅に導き、その手助けをしてくれるが、
手厳しいところもある。
悟空を叱り、導くこともしばしば。

私個人としては
ハリーポッターのダンブルドアや
スターウォーズのヨーダ的な存在だと思っている。
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悟空とその特徴について詳しく語ったが、
悟空だけでなく、他のキャラクターも魅力的である。

旅の仲間である猪八戒だが本来は黒豚なのだ。
本の挿絵に描く時に、肌が黒かったら
表情が見えにくいという理由で白豚が主流になってしまったのだ。
一行が敵に捕まった時に、ほぼ毎回
「まずは、美味しそうなその豚から食べよう」ってなるのが可哀想(笑)
美人好きで騙されやすい(色仕掛けに弱い)けど、仲間想いのキャラ。

またもう一人の仲間、沙悟浄については大事なポイントがある。
沙悟浄は河童というイメージが主流だが、
よく考えてほしい。

河童は日本の妖怪であって
中国の妖怪ではない。中国の古典に出てくるのは不自然である。

そう、沙悟浄は河童ではないのだ。

彼は、(経緯は省くが、)川で人を食らう僧の妖仙であった。
日本では水の妖怪は、河童が主流なので
日本では河童というイメージになってしまった可哀想なキャラである。

ちなみに河童ではないので、ひょろひょろではなく
筋肉隆々の大男である。
正式名も沙悟浄ではなく、沙和尚。(そう、彼は和尚さんなんです)

本の表紙には中巻の左下に描かれている。
髑髏の首飾りは、今まで食べた9人の人間のものである。
首に髑髏つけてる いかつい和尚だけど、根は真面目なキャラ。
川に住んでいたから、水中戦が得意。

三蔵法師には、この3人のほかに実はもう一人お供がいる。
三蔵法師が乗っている馬である。

実は馬に化けているだけで、
その正体は白竜という西海龍王の息子(超イケメン)である。
三蔵法師の馬を龍の姿で食べちゃって、代わりに馬になることに。
他3人が攫われた三蔵法師を助けようとしていても全然手伝ってくれない。
つんと澄ましていて、戦いに消極的なクールイケメンキャラ。
元婚約者の万聖公主とその結婚相手の九頭虫との戦いは、白竜が珍しく戦いで大活躍した胸熱シーン。

三蔵法師の性格の描写はあまり原作と違わない。
正義感と使命感が強く、まっすぐで常に正しくあろうとする。
人思いで困っている人を見過ごせない。
さすが、観音菩薩に選ばれるだけある人柄。
純粋すぎて人を疑うことが無いため、逆に騙されやすいのが欠点かも。

困っている人間に変化して近づいてくるタイプの妖怪に弱い。
疑わないから見抜けないし、孫悟空達が見抜いて伝えても、それを信じない。攫われたあとに、信じなかった悟空達に謝ることもしばしば。
(まじで、たまに悟空達が可哀想。3人の中でも悟空が一番被害受けてる。)

敵キャラも魅力的なものも多い。
敵の多くは観音菩薩に選ばれるような尊い存在の三蔵法師の肉を食べたら
不老不死になれる信じて一行を襲ってくる。
まともに悟空と戦ったら敵わないから
襲い方もや嵌め方も工夫してくるので多種多様で面白い。

降参したら、これからは心を入れ替えます!という展開が多く、
中には助っ人ポジの観音菩薩の弟子になる場合もあって、
かつての敵が、悟空達のピンチに助けてくれる胸熱展開もある。

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また、西遊記の魅力は登場人物だけではなく、
仏教、道教、儒教の世界観は入り混じっているところも
魅力の一つだと私は考える。

同じく世界観が入り混じっている
「封神演義」という作品もあるが、こっちも面白い。

なんとこれには西遊記に出てくるキャラクターも登場する。
こちらに登場する有名キャラクターは
傾国の美女 妲己(九尾の狐の妖狐)だろう。

この封神演義も大好きで、4回ぐらい読んでいる。
妲己(九尾の狐の妖狐)に惑わされて、
暴虐の王となってしまった殷(商)の紂王に対して
周の王を支える姜子牙(太公望)が戦いを起こす殷周革命の話。

しかし、殷には闡教、周には截教の仙人、道士、妖怪がそれぞれ尽き、
人間の国同士の革命戦争から、天界を巻き込んだ宗教戦争になっていくというスケールの大きい読み応えある中国古典ファンタジーである。
西遊記が冒険系だとすると、封神演義はバトル系!

ただ、封神演義は西遊記よりも宗教がごちゃ混ぜだ。

古くから信仰された神仙(女媧殷郊太上老君広成子赤精子など)と比較的新しい神仙(楊戩聞仲など)がごちゃまぜになっていたり、さらには仏教系の神仏(燃灯道人文殊広法天尊韋護哪吒など。殷周時代にはまだ仏教は成立していない)や後世の人物(代に武将として活躍し、のちに軍神として毘沙門天と同一視された李靖など)が登場していたりと、過度な時代錯誤がみられる。

Wikipediaより

だからこそ面白い。
なんか聞いたことあるなぁという神様から初めて知る神様まで大活躍する。
それぞれ西遊記の観音菩薩のように法力を持った道具や武器を持っていて、それで戦ってきたりする。だから、本来は人間の戦いなんだけど、人間レベルの戦いではない。
登場人物は、神様とか仙人とか道士とかが多いのにみんな結構人間臭い。
自分たちの国や宗教への忠誠心や、家族の敵をとるために戦いに身を投じる。彼らは負けると「封神台」に魂が飛んでいく。

殷周革命に関わる闡教徒、截教徒、人道の中から「仙ならざる仙」、「人ならざる人」達を三百六十五位の「神」として「封(ほう)」じる「封神」の儀式を行うことになった。

Wikipediaより

宗教も登場人物もそれぞれの力も、ごちゃ混ぜだからこそ、死んだら魂を一旦一か所に集めて、神としてしっかり立場とか位を明確にしましょうという截教側の狙いがこの戦いの裏にはあって、なかなか神様が考えることとしては、計画性があるというか、冷徹というか…

みんな結構、感情的に戦いに参加するのに、
その裏では冷徹な目的があることになんかゾクッとする。

生徒たちが熱くなっている文化祭や体育祭の中で、
リーダー性とか、チームワークとか
積極性とかを冷静に見極めて成績つけている教師みたいな。

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ついつい長々と書いてしまった。
やはり、好きなものを語ると長くなる。

西遊記の話をするつもりが封神演義まで語ってしまった。
本来、このnoteは他の本についても書くつもりだったが、あまりに西遊記に長さを取ったため、西遊記と封神演義を語る回にした。

次に語る本は決めてある。
西遊記の次に何度も読んでいる本。
「源氏物語」である。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
次回もお楽しみに。


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