言葉遣いとは人間力

という文面を見て、
なるほど。と思った。


以前にもnoteで書いたけれど、
わたしは“言霊”というものを信じている。

その人の発した言葉は周りに影響を与え、
周り巡って自分に還って来る。


だから、わたしは普段から言葉遣いには気を使っている。


「美しい自分でありたい、そうなりたい。」


そう言っている人がいた。

でも、気になる言葉遣い。


美しくありたいのに、何故そんな言葉を使うのだろう?


その矛盾さを、まったく理解できなかったのだけれど
ふと、気づいた。


その人にとっては、
その言葉が“汚い”という認識ではないのかもしれない。

だから、何気なく普段から発しているのかもしれない。


たしかに、人それぞれ認識は違うだろうから
それはありえる。


下記に載せるのが、わたしが見て聞いて感じる
“汚い言葉遣い”(一部抜粋)なのだけれど。

みなさまはどのように思うのでしょうか。


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自分の言葉として文字で残しておくのも嫌な言葉たちなので、
画像を貼ってみた。

これらの言葉をわたしは日常で使わない。使ったこともない。
使いたくもない。

ここから先は、こういった言葉を“汚い”と認識している
わたしの思う「言葉」についてです。

認識の違いがあるので、全員に当てはまるとは毛頭思っておりません。



言葉って、時にその人の背景を映す鏡のよう。

男女限らず、言葉遣いの悪い人を見かけると
「そういう環境で育ってきたのかな。」と、
どうしても思ってしまう節がある。

常識から外れた行動や言動をしていると
世間は、育ってきた環境のせいにしがちなところがある。

そしてそれは、自分の価値だけじゃなく親の価値も下げてしまう。

「どんな教育を受けてきたのか」

よく聞く言葉。


ただ、わたし自身“環境”はそこまで関係ないとも思っている。

なぜなら、母や妹が時に荒っぽい言葉遣いをしている環境に
わたし自身身を置いていたから。
それでも、上記のような言葉遣いは当時も今も、嫌で嫌でたまらない。

とある言葉を“汚い”“嫌だ”と認識すること。


本人の意識次第、だと思う。


特に、20代も後半に差しかかる頃には
親の影響だけではなく社会からの影響を大きく受け、
“自分”というものが形成され固まっているはずだから。


それでも、非常識な行動や言動を起こしたり
汚い言葉を使い続けたりするのであれば、
それはもう“自己責任”であるように思う。


言葉遣いとは人間力。

その人を映す鏡でもある。


汚い言葉を使い続ける限り、美しい人になどなれるはずがないのだ。





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