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プロフィール

0歳

3月10日、地球に生まれる。

2歳

公文式をはじめる。

3歳

母が妹を妊娠し、父はパン屋で働いていて
昼夜逆転生活を送っていた為、祖父母の家で
育つ。
祖母の得意料理のハンバーグとオムライス、
焼き飯をよく食べた。
祖母からの愛情がなければ、今のわたしは
愛に飢えた心の貧しい人間だったに違いない。


4歳

妹が産まれ、家族4人で過ごすようになる。

6歳

祖父母の家の近くに家族で引っ越す。
小学校入学。

9歳

大好きな祖父が亡くなる。癌だった。
この時、将来は看護師になると決める。

13歳

約10年通った公文式を辞める。

中学2年生10月、不登校になる。
部活のメンバーとの人間関係と、当時通っていた塾の課題に押し潰された。勉強なんてしたくなかったのに、周りからは頭が良い子だと思われたかった。

そんなわたしに父は、「学校のやり方が間違っている。行きたくないなら行かなくていい」と言った。
結局、半年間学校に行かなかった。

14歳

中学3年生。
義務教育を受けないとお先真っ暗だと思い、
腹を括って学校に行くようになった。
半年間の遅れを取り戻すべく、違う塾に通って
必死に勉強した。

15歳

なんとか受験に合格し、高校生になる。
高校という場所は鳥籠のようだ。
わたしは自分を、朝から夕方まで鳥籠に
閉じ込められる小鳥だと思って学校生活を
過ごした。


16歳

高校2年生。
看護師になる夢を叶えるため、必死に勉強を
始める。

看護師になりたい。
そうは言っても、
看護体験に行けば採血の見学で失神し、
献血セミナーを受講すれば講義の途中で失神する。
要するに血が無理なのだ。

それでも現実を受け入れずに、看護師になるのだと意地を張って勉強した。


17歳

看護の専門学校の受験に落ちる。
その日はかなり落ち込んでひたすら泣いた。

泣いたら、涙と一緒に看護師になることへの
執着が流れていったようだ。

次の日には吹っ切れて、高校を卒業したら
オーストラリアにワーキングホリデーに行こうと決める。
就職せずにバイトをしてお金を貯めることにした。


18歳

ビジネスホテルのフロントのバイトを始める。
その他にも2つバイトを掛け持ちして、
お金を貯めることに集中した。


19歳

ウイルスが流行し、海外に行けなくなる。

このまま何もしない訳にはいかないと思い、
料理が好きだったので、調理の専門学校を受験し合格する。

その数ヶ月後、『アミ小さな宇宙人』と
『神との対話』という本をきっかけにお肉を
食べることをやめる。
調理学校に行く意味がなくなり、入学辞退する。


20歳

お金にとらわれない、自由な生き方に憧れる。
掛け持ちしていた3つのバイトを全部辞めて
ヨガをしたり、本を読んだりして思いのままに
過ごす。

そんなある日、キャリーケース1つと
ダンボール1箱を持って東京に行くことに。
それまでの生活とは一変して、住み込み(ロフトが自分の空間)でほぼ無給で働く。
ただひたすらに息苦しい日々だった。


21歳

精神的にすり減り、貯金も空っぽに。 
実家に帰って療養をする。

心の傷が癒えて田舎娘にもどると、
大都会東京での経験が人生の宝物になった。


22歳

父と一緒に活動するようになる。

動物、植物、鉱物、生きとし生けるものすべてが共存共栄する地球。
そんなビジョンに共鳴して、
自然を取り戻すための水事業や農業をするようになり、人生の喜びを知る。

心の豊かさ。本当に大切だ。


23歳

生きている幸せを感じながら
自分らしく、今を生きる。

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