私が風俗やパパ活を始めた本当の理由

私の母は私が幼い時から常に暴力を振るって長時間の
超スパルタ勉強をさせていた。
出来なかったら常に当たり前のように引っ叩かれた。
塾の先生も私だけ出来の悪い子だから平手で体を叩いて指導していた。
私は物心ついた頃から何やっても出来ない子供だった。
スパルタの母に小学校受験もさせられた。
それでもいい高校やいい大学には行けなかった。
スパルタ教育での勉強時間の割には成果が出なかった。
そもそも超スパルタだったから結果が出なかったのでは?と思う。
深夜まで母に長時間勉強をさせられて寝る時間がなかったので私は身長が平均よりも低い。
小学生の時も睡眠時間を削らされてまで母に勉強させられた。
数え切れないくらい死ねとかお前は人間のクズと言われただけでなく、母の声が枯れるまで怒鳴られたり泣かされたりした。
高校生の時にはお前は人間のクズと怒鳴られながら暴力振るわれながら毎日スパルタ勉強させられた。
一時期睡眠をとることを許されずに勉強させられた。母に土下座を強要させられながら勉強した日も決して少なくない。
大学生になっても母からスパルタ勉強をさせられて
凄くうんざりした。
母から女子小学生や女子中学生や女子高校生や女子大学生らしい楽しみを全部奪われていつも暴力を振るわれていた。
とにかく家から離れたかった。

母への長年に渡る恨みを晴らすため、
母に復讐するためにパパ活や風俗を始めた


母は性産業の人たちを徹底的に見下していた。
人間のクズとか肉便器だの公衆トイレだの
常に生きてる価値がないとか罵倒していた。

長年超スパルタ勉強をさせた人が性産業のお仕事を
したら最高の復讐になると思った。

母が散々軽蔑していた業界に私が入って私自身が傷つけられて最高の自傷行為であった。

私にとって風俗やパパ活は母への恨みを晴らすだけではなく最高の自傷行為でもあった

私が母から虐待を受けていたことを知ったのは20歳で住民票閲覧制限をかけた時の事だった。

それまでは大変厳格な家で育ったと思っていた。
父も母の指導に関して賛成していた。
この家にいても誰も味方がいないと思った。

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