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気が使えるよりも、コミュニケーション。

ある子と話していて、『付き合うなら気の使える子がいいなあ〜』と言っていた。また、ある子は『私はこんなにしてるのに、彼が無神経すぎる!』と。
昔の私なら、そうだよね!わかる!といっていたはず。
昨日の私は、引っかかった。

そもそも気が使えないとは?気が使えるとは?

飲み会に行った時に率先して、料理を取り分けるとか?
みんなのグラスの中が無くなるタイミング見逃さないよう、ずっと見てるとか?
自分の機嫌を言わなくても察してくれたり?
言わなくても温かいご飯を用意して待って居てくれたり?あげたり?

それが勝手にできる人は、当然喜ぶだろう!!喜ばせたい!と思ってやるだろう。(かつて私も勝手にやる方だった。)

はたまた、やってくれている人がいると思って自分はここでは静かにしていよう、と任せている人もまた気が使える人ということになるとわたしは思う。

では、それらができないと、それに気づけないと気が使えない、鈍臭い
ダメなやつということなのだろうか?

そうは思わない。

みんな得意不得意があって大勢の前だとその力を発揮する人もいれば、信頼した人の前だと動ける人もいる。それでいいと思う。大事なのはバランス。

しかし、私はもっと重要なことに気づいてしまった、、、!

誰に言われたわけでもなく自分が良かれと思ってやっていること
そもそもそれって、誰が求めてることなのか?!と。

単純に相手のためと思っていた事
実は相手の喜ぶ顔が見たい”わたし”の為?
相手が喜ぶことをできた”わたし”を認めてもらうため?

『私はこんなにやってあげてるのにこんなこともしてくれない!!』と怒ってる人
本当に相手にお願いされてやったことなのだろうか。
よーーーく冷静になって考えてみれば望まれていないことをやって
相手の反応が悪かったり思うようにいかないのは当然のことだ。
方向性の違うプレゼンを提出した時と同じ。

自分が思う形が全ての正解じゃない。

こんなことしたら、きっと喜ぶだろうな・・!私だったら嬉しい!は、
時には素敵なことで成功すれば、自分も相手も笑顔にできる
最高のパフォーマンス、サプライズでもある。

ただ、それはあくまでも
自分のフィルターを通して考えられるアイディア
あることを忘れてはいけない。

つまり自分が嬉しいことが必ずしも相手の喜びになるかといえば、話は変わってくる。相手の状況によってはそれが時に迷惑や負担となることだってある。
大事なのは、相手が本当に求めているとこを聞くこと。だと私は思う。

目の前に泣いている人がいたとする。
まず、どうしたの?と聞く。

上司に怒られた、彼氏と別れた、迷子になった、相手が誰であっても
まず”かわいそう”にはならないだろう。
状況を聞いてからじゃないと言葉はかけられない。

こっちが判断する必要は決してなくてそれがどうゆう状況なのかを決めるのは
当事者本人であり、大事なのはどうしたいのか、聞くこと。

次失敗しないための策を一緒に練ってほしいのか、
ただただ一緒にいて聞いてほしいなのか(別れてスッキリしてるパターンもある)
親御さんを一緒に探す?と聞くこと。
喉が乾いてて一旦、飲み物がほしいのかもしれない。笑

相手に寄り添い、相手の求めているものを知る。そこではじめて成り立ってくる。

子供だから、オレンジジュースかな!ではなく、
オレンジジュースがいいのか、水がいいのか他のものなのか、
聞くべきだとわたしは思う。
大人も同じ。
いつも一方通行の人は、一言のコミュニケーションでもう少し良くなるんじゃないかなあ。って。
逆に今まで気が使えないと思っていた人も聞くことにより、
楽になることはおおいにあるかもしれない。

だからわたしの答えは、気が使えるは素晴らしいこと。
しかしそれは相手の話をきちんと聞いた上で活用しないと自分もスッキリしない、
相手も喜ばせられないイベント(言い合いや喧嘩)を起こす原因になる。

気を使おうとするよりも、相手のニーズを知るためのコミュニケーションの方がよっぽど大事なんじゃないかな。

自分にはない感覚、見たことのない考えたこともない新しい景色、知ることって
とっても楽しいよ!

です☺︎!笑

thank you!

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