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トンネルを抜ける / Day23 ものごとは自由にうつろう

   「8:45分に北参道の駅」。手先が器用で料理上手、もう知り合って 20年にもなる妹みたいなみっちゃんと朝待ち合わせてから新宿御苑に行った。食に関しても何に関しても色々とリサーチする彼女だけあって、朝一の誰もいない御苑で振る舞ってもらったサンドイッチは、最高においしかった。人に作ってもらう食事ってのは、なんでこんなに人を幸せにするんだろうね。美味しいと評判の自分の家の近所のパン屋の味とかを軽々と超えてくる手料理の威力。

   数ヶ月前、恋愛というカテゴリーでは自分は一番のどん底にあるような気がしていたし、側から見てもそれは「裏切り」であったり「ひどい」という言葉で、私の彼は表現されていた。そんな時に食べた食事もきっと美味だったはずだけれど、当時は味を噛み締めるというより、ただ「食べていた」という感覚に近い。そうそう、話はずれるが、ちょっと前にここにも書いた最近読み込んでいる哲学書、的な本にある一説。

    「ものごとを無理やり思い通りにしてやろうと感情的な横槍を入れないかぎり、ものごとは自由にうつろい、ひとりでに解決していくものだ」。

   若い頃は、恋愛以外の事象でも、場合によっては「力づく」で動かそうと言う思いもあったし、実際力づくで動かしたこともあった(途方もない労力を伴うことも多々あったわけだけど)。今は、歳を重ねたせいなのか、それとも諦めとも言うべきものなのか、何かに期待すると言うことがさらになくなった。だからこそ、辛かったけれど「元カノに再会したら彼女への気持ちが、あなたへの気持ちより上がってしまった。あなたは何も悪くない」と言うわくさんの本音に横槍を入れず、素直に従った。

   そう、時を経て、ものごとは自由にうつろった。今日の天気の快晴が私の気持ちを本当に象徴している。先の見通しは全くないし、明日のこともわからない。しかし明確に言えることは、「今」と言う瞬間に関しては常に自分は「理解している」。その言い換えとして私はよく「今しか生きない女」と言うフレーズを使うが、みっちゃん曰くそれは20年も前から常に言い続けていることらしい。これを書き進めている時間も瞬時に「過去」になっていく。人、時間、存在、全てが謎すぎるわけだけど、今日も生きたってことでね。





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