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心が磁石みたいに~前編~

欅坂・櫻坂に関して、
ガッツリオタク歴はそこまで長くないが、
ゆるっとオタク歴を含めると、
私のオタク歴は結構長い方だと思う。

私にとって欅坂46が気になる存在になったのは
2015年12月16日。
まだデビュー前の欅坂46が
FNS歌謡祭にて、乃木坂46・AKB48と
「制服のマネキン」を披露した時である。

乃木坂やAKBは知っていたけど、
「欅坂ってなんやねん」と思いながら
見始めた記憶がある。

曲が終わるまで
欅坂がなんなのか分からなかった。 

ただ、印象的だったのは
「笑わないアイドル」という言葉と、
彼女たちの表情。

笑わないけど、無表情じゃない。
そこに確かに強い気持ちがある。

そんな気がして、
それから歌番組で欅坂という文字があると
見てみようかなと思うようになった。

そこから結構長期間
ゆるっとオタク期間が続くことになる。

私自身は、AKBの総選挙なども
結構面白がって見る派だったので
女性アイドルを好きになることに対して
抵抗は無かったのだが、
母は割と偏見を持っていた人だったので、
欅坂に関するコンテンツに
娘が手を出すことを
あまり良く思ってなかったのかもしれない。
そのことは、当時中学生だった私にとって
大きく作用していたと思う。

中学2年生の時に仲の良かったクラスの友達が
欅坂にお金をかけて応援している子だったため、
その子の影響で
より欅坂への興味が強くなったが、
スマホも持っていなかったので
当時はけやかけと音楽番組くらいしか
コンテンツに手は出しておらず、
CDはその子に借りたり
TSUTAYAにお世話になったりしていた。
基本的にお金をかけずに応援するタイプの
ファンをさせてもらっていた。

私の初めての推しメンは、
尾関梨香ちゃんだった。
当時、主な供給源が
けやかけのみだった私にとって、
「尾関スタイル」は
欅坂の最も印象的な部分だった。
あんなにクールなパフォーマンスをするのに
冠番組だとこんなにお茶目なんだというのが
めちゃめちゃ自分に刺さった。

✂︎- - - - - - - -キリトリ- - - - - - - - - - -

好きな歌手を聞かれた時、
「欅坂です」と答えるようになったのは
中3くらいからだったかなと思う。
例の友だちは握手会とかも行っていたので
高校に行ったら
握手会やライブに行ってみたいなと
思っていた私だったが、
部活がとても忙しく
結局欅坂のイベントには行けないまま
受験生になった。

ちなみにちょうど高校1年生くらいの頃、
坂道合同オーディションが開催されて、
毎日のように合同オーディションの
候補者を調べていた気がする。

どろかつちゃんは欅坂に来たらいいなーとか
思っていた。

合同オーデの合格者の配属発表が行われた時、
どろかつちゃんはどこにもいなかった。
そのかわり、武元唯衣ちゃんと藤吉夏鈴ちゃんが
気になり始めた。
武元唯衣ちゃんは完全に顔から入った。
藤吉夏鈴ちゃんは何となく雰囲気に惹かれた。

尾関梨香ちゃん、藤吉夏鈴ちゃん、
武元唯衣ちゃんの推しメン3人体制で
しばらくゆるっとオタクを続けていたある日、
研修生が配属されることになった。
配属発表SHOWROOMで、
キャプテンゆっかーが、
「増本綺良ちゃん」と呼んだ時、
「どろかつちゃんは欅坂に来たらいいなー」が
実現してとても嬉しかったのを覚えている。

その後放送されたけやかけの三つ巴対決で、
やっぱり綺良ちゃん好きーー!!ってなって、
推しメン4人体制に突入した。

その後コロナ禍に入ってしまって、
家にいるのがつまらなくて
何か外との繋がりを感じられるものが欲しい、
世界が今日も進んでいることを
感じられるものが欲しい、
そう思ってトークを取ろうと決意した。
スマホアプリに課金するのは
その時が初めてだったので
母に「欅坂のトークを取りたいんだけど」と
言ってみたところ
「1人だけならいいよ」と言われ、
悩みに悩んだ末藤吉夏鈴ちゃんのトークを
取ることにした。

藤吉夏鈴ちゃんのトークは
頻繁に来るわけじゃないし、
内容も濃いわけじゃないけど
来るとなんかすごく安心できた。

それからの私は、
毎週のけやかけと
藤吉夏鈴ちゃんのトークだけを楽しみに
受験勉強に励んだ。

7月に入り、
受験生の天王山とされる夏休みが
始まろうとしていた頃、
欅坂の配信ライブが開催されることになった。

ちょうど定期テスト期間で
倫理のテストの前日だったのだが、
そんなもの捨ててライブを見た。

ずっと現場に行けなかった私にとって、
ライブ円盤以外で初めて、
2時間近く観た欅坂のパフォーマンス。

無観客の会場を全部使って行うライブは、
欅坂らしさの展覧会みたいだった。

強いけども、脆そうな
欅坂が大好きだと再確認した。

そんなライブの最後に、
欅坂は形を変えると知った。

すごくびっくりした。
けども、今までの彼女達の
物語を見ていたら、
アイドルとしてだけではなく
人としてこれからを応援したいと思った。

それに、私のオタク人生は
受験が終わってから本格始動だと
前々から思っていたので
次の坂を応援しないという選択肢はなかった。

それからLASTLIVEまでは、
とりあえず受験勉強に専念した。

「誰がその鐘を鳴らすのか?」
この曲を塾の行き帰りに
ずっと聴いていた記憶がある。
欅坂らしいようならしくないような、
冷たいようで暖かい、
そんな素敵な曲だった。

そしてLASTLIVE。
受験本番まであと3ヶ月という
タイミングだったが、
このライブを見ずに受験に受かるか、
このライブを見て落ちるか
どっちがいいか自分に質問したら、
心は迷わず後者を選んだ。

ということで2日間とも視聴した。

静と動を表現した2日間のライブ。
欅坂46を噛み締めた。

ラストをサイレントマジョリティーで
締めくくり、
これで終わりかと思ったところで、
少しロックな感じの強いイントロが流れてきて、
裾がピンクの女性らしい衣装を着た
集団がパフォーマンスを始めた。

それは間違いなく“櫻坂46”だった。

モノローグの後にプロローグが始まったような、
変な感覚だった。

唐突だが、
私は、櫻坂46に救われた人第1号に
立候補したい。

実はこの時の私は国立の出願をやめ、
私立大学に専念するか迷っていた。
第1志望が私立大学で
第2志望として国立大学を出願しようと
していたのだが、
本気で第1志望を目指すために
第2志望を捨てるかどうか、
その瀬戸際だった。

今まで国立大学を受験できる分の教科を
勉強してきたぶん、
他の私大志望に比べて
第1志望以外のために割いてきた勉強時間が
多かった。

少ないとは言えない積み重ねを
本番3か月前に捨てることに対して
抵抗があり、なかなか決断出来ずにいた。

しかし、この日の
Nobody's faultの
パフォーマンスを見て、
櫻坂46としての覚悟の表情や
Nobody's faultの歌詞に感化され、
とりあえず1番行きたいところに向けて
なりふり構わず勉強してみようと、
決意したのだ。

そしてこの次の日に
櫻坂46の1stシングルのカップリング曲
「なぜ 恋をしてこなかったんだろう?」で
藤吉夏鈴ちゃんがセンターを務めることが
発表されたのも大きかった。

0番に立つって、簡単に出来ることではなくて。
並大抵じゃない努力をしている人たちの中で
特に並大抵じゃない努力をしないと
立てない場所だと思っている。
大好きな人が、
私なんかには想像できないほどの努力をして
大好きなグループの未来を
引っ張るということが私に力をくれた。

私は色んな曲にハマり出すと
集中したいときにも
頭の中で音楽が流れ出してしまうタイプの
人間なので、
受験が終わるまではなるべく
聴く曲の種類は少なめにしていた。

ずっとRADWIMPSの「会心の一撃」と
「Nobody's fault」を繰り返していた。

決意を固めた日の気持ちを忘れないように、
絶望に負けないように。

結果的に第1志望には落ちてしまったけれど
私は今行っている学部の勉強が
結構好きである。
勉強嫌いな私が好きになれる学部なのだから、
この学部に入ってよかったと胸を張って言える。
そんな今の学部だって、
過去問を解いていた時は合格最低点を
超えない年度もあったのだから、
あの時の決断で受験科目を減らさなかったら
行けていないかもしれない。

櫻坂46がはじめてくれた選択は
絶対に正解だった。

誰かが間違いだと言うのなら
正解だと言わせられるようになるまで
私はこの場所で努力しよう。

と決意表明だけしておく。

受験が終わって大学に入り、
オタ活の幅が広がった。

コロナ禍で握手会はなくなってしまったけど、
オンラインミート&グリートでは
現時点で推しメンと認定しているメンバーは
全員話した。

ライブに行ったり、グッズを買ったり、
9人のメンバーのトークを取ったり、
Twitterで出会ったオタクと遊んだり、
結構充実している。

そんな私の大学生オタクライフは
後編で語ることにしよう。

なんかもう3550字らしいよ。草。

草々


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