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1/4の純情な感情

私は喜怒哀楽の「怒」を持ち合わせていない。

本当に持ち合わせていないのかは分からないけど
もうすぐ20年目になるこの人生、
一度もブチ切れたことがない。

先日高校でとても仲が良かった友人と
遊ぶ約束をしていた。
私の最寄りからは電車で40分くらい、
東京で一人暮らしをしている友人の家からは
電車で1時間ちょっとかかるくらいのところで
待ち合わせをした。
しかし、集合時間になっても友人が来ないので
LINEを入れてみたところ、3分後くらいに
「今起きた」と返信が来た。
女の子だし、起きてから支度して家を出るのに少なくても30分程度はかかるだろう。
それに加えて1時間ちょっとの移動時間があって、
約2時間の遅刻が見込まれた。
それでも私の中には
1ミリも怒りの感情は湧かなくて、
自分でもちょっとびっくりした。

バイト先での他の人のミスなどで
自分が迷惑を被った時も
全く怒りの感情が湧かない。

自分でもよく分からないが私は多分、
「怒」に転換されるはずのエネルギーが
「哀」や「楽」に変異するタイプの人間なのだと思う。

普通の人なら怒りそうなことが起きた時、
私は悲しくなる。
それか、楽しくなる。

「楽しくなる」に関しては
理解されないかもしれないが、
「そんなことあるんだ」と感心してしまう節がある。
先程書いた友人の遅刻も
「珍しいな、面白い」と思った。

ただ、私は自分に「怒」の感情が抜けてることを
自慢とも良いとも思っていない。

よく、「怒られるのは期待されてる証拠だから」
という慰めの台詞を耳にする。

私もそう思う。

だからこそ、
「怒」の感情を持たない自分が好きじゃない。

「怒らないのは誰にも期待してないから」

こういうことじゃないか。

それは嫌だ。
それじゃ夢がないし、寂しい。

よく怒る人は、
世界に対して沢山期待してると思うと羨ましい。
沢山叶えたい世界があるっていいことじゃないか。

ただそんな私も一度だけ、
ブチ切れに近いものは味わったことがある。
中学生の時、
好きだった男の子が
陽キャ男子にパシリにされていて、
それに無性に腹が立った。
陽キャ男子にじゃなくて、
好きだった男の子に対して腹が立った。
「馬鹿じゃないの?」「悔しくないの?」
そういう言葉を出てくる限り言った気がする。
でもそれを言ってる間、
私は自分が自分じゃないみたいで
そんな自分が怖くて、
ずっと放課後の教室で教卓の下に潜りながら
心を叫んだ。

このとき、私は自分に対して抱いた恐怖を
二度と味わいたくないと思った。
好きな男の子という概念に対する理想が
私をそうさせたのなら、
私はもう理想を持たなければいいと思った。

そこから、私はずっとそのまま。
感情が1/4欠けてるまま。

世界から嫌われる感情だとしても
私が1番欲しい感情。

それを身につけさえすれば
感情が四葉のクローバーになって
私に幸せをくれるかな。

草々

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