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大学生活で感じた「劣等感」と「諦め」の先に見えたもの

最近、手に取った本を読んで、
ふと学生時代のことを思い出した。

わたしは都内の私立一貫校に通っていて、周りはいわゆる「お金持ち」ばかり。庶民の家庭で育ったわたしは、クラスの友達が母親からお昼ご飯代として毎回5000円をもらうという話を聞いて心底驚いたし、両親の仕事の都合で海外で暮らしていて英語がすでに流暢に話せる同級生を羨望の眼差しで見つめていた。

気がついたら、そういった「恵まれた子たち」には負けたくないという感情が芽生えて、帰国子女にだけは負けたくないと英語をものすごく勉強し、最終的には大学受験で難関校に合格するほど「努力」をした。

第一志望の合格を勝ち取ったとき、わたしはやっと”みんなに勝った”と思った。「努力」は必ず報われるのだと確信したのである。

しかしこのわたしの確信は、すぐに打ち砕かれることになる。

大学に進学したわたしは、周りのクラスメートをみてまた驚いた。中高時代に出会った子たちとは比べ物にならないほどの「お金持ち」もたくさんいたし、帰国子女は死ぬほどたくさんいて、英語だけでなくフランス語やドイツ語が流暢な子もいた。おまけにコミュニケーション力も高くて、社交的。挙げ句の果てには、美人ぞろいという状況。せめて性格が意地悪であってくれ・・・なんて思ったものだが、そんなことも全くない。

これだけでも十分に自信を失くすが、わたしが1番悔しかったのは彼ら彼女らの「世渡り上手さ」を目の当たりにしたことである。

真面目だけが取り柄のわたしは、毎日せっせと授業に通い、丁寧にノートを取って試験勉強をする。一方で、クラスメートは授業にほとんど出てこない人もいる。そういった人の方がさらっと良い成績を取って、良い会社に就職をしていく。どれだけ頑張っても、この人たちにはあらゆる側面で勝てないんだと悟った瞬間だった。上を見れば見るほど、その世界は見えないほど広く広がっていく。手を伸ばしても、ゴールはどんどん手の届かないところへいってしまう。そんな感覚だ。

そうやって劣等感で悶々と過ごした4年間は、苦しかった。正直今でも、大学の同級生と顔を合わせるのはとても勇気がいる。

でも、今なら分かる。
わたしはただちっぽけなプライドにすがっていただけだと。
そして、ただ「努力」することや「挑戦」することを怖がっていただけだと。

負けたくない、から、失敗したくない、にいつからか変わっていた。「努力」しても報われないことが怖くて、「努力」することさえ諦めてしまったのだ。


振り返れば、すごく勿体無かったなと思う。
勝手にコンプレックスを抱いて、勝手に夢も諦めて、消化不良な状態で大切な4年間を終えてしまった。

ただ1つ救いになるとすれば、そんな経験をしたからこそ今の挑戦を頑張ろうと思えることである。

大学院に進学し、周りを見渡すとやっぱりわたしより何倍も優秀な人たちばかりだ。でも「努力」することを諦めた先の後悔を知っているからこそ、今は歯を食いしばって「努力」しなければいけないと思う。自分のやりたいことや新しい挑戦を、わたしには無理だと勝手に諦めてはいけないと自分を奮い立たせることができる。

大学でのあの苦しい経験は、ちゃんとわたしの糧になっているようだ。

だから今は、ただコツコツと自分の道を歩いていきたい。
そう改めて思った。


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