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目の前の1人なんか、幸せにできないと思った。

約1年4ヶ月、就職活動と呼ばれる期間、
私は、ひたすら色んなことを考えて続けてた。
今日は、その一部。




「目の前の1人なんか、幸せにできない」


タイトルにもしたこれは、私の就職活動の第一歩、の、カケラ。

大切にしてくれる人、大切にしたい人がたくさんたくさんいる中で、
私は、目の前の1人なんか大切にしきれなし、幸せにできない。
就職活動が始まった去年の夏頃、そんなことを痛感していた。


自分がしんどい時にめちゃくちゃ助けてもらった人が目の前でしんどい時、求められた救いを渡せなかった。

目の前の人が、この世界を生きる最後の理由に私を選んだとして、それに応えきれる自信がなかった。

めんどくさがった電話が、わかっていながら言ってしまった責める言葉が、もしかしたらこの人が何かを永遠に諦める理由になるかもしれない。
そんなことが、少しトラウマになっていた。


そう思うきっかけは本当に、本当に色々あったのだけど、ただただ「私は目の前の1人を幸せにできるほどできた人間じゃない」と痛感していた。


けれど、そんな人間だと認めるのには勇気がいった。
私は、人一倍誰かに助けてもらわないと生きられない人間で、
そのことをよくよく知っていたからこそ、
誰かを助けようともできないちっぽけな人間だなんて、
認めたら終わりな気がした。



そんな私を救ってくれた言葉があった。

「助けてもらう相手と、助けられる相手は、必ずしも一致しない」

救われた、楽になった。

考えてみた。

私が助けられる相手は、誰だろう?
私が誰かを助けられるほどできた人間になれるのって、どんな時だろう?




「社会をよくしたい」「社会を変えたい」
これは、とてもピュアでかっこいいヒーローの言葉のようだと思っていた時がある。

けど、私が就職活動でたどり着いたこの言葉の意味は、
「私が大切にしたい人を大切にするための手段」
だった。


私っていう生身の人間では、誰のためにも動けないかもしれない。
けれど、
仕事っていう名目と、役割と、そこに付随する責任があれば、
きっと120%動ける。

大切にしたい人は、私が大切にしただけじゃ幸せになれない。
きっと私も、そこまで大切にできない。


だから、いい社会を作りたい。


それが、私の就職活動のスタートのカケラだった。


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就活期間、21年で一番考えた年だったかもしれない。

どう生きたいのか、仕事とはなんなのか、何がしたいのか、何が楽しくて何が嫌いなのか、どんな自分が好きなのか、どんな大人になりたいのか。

考えて考えて、言葉になったと思って伝えて、伝わらなくて、横槍がたくさん入って自分でも訳が分からなくて信じられなくなって、あなたの言うそんな言葉は薄っぺらくて響かないと、じゃあと思って詰めてみたら具体的すぎると、ただの愚痴にしかならないのだけど、何が言いたいかというと、たくさん頑張ってたくさんたくさんたくさん考えたんです。

たった400字のESでも、たった1時間以下の面接でも伝えきれなかったけれど、
ただの標語として語ったことは一度もなくて、
ノートが何冊も消えていくくらい考えて考えて考えて、
自分にとって嘘が1つもないくらいクリアに、
自分の言葉になったことだけを言っていたつもりです。

その、たくさん考えてた一部を、少し残したくなって、話したくなったので、少しずつ。
思い出しがてらに、少しずつ。

相変わらず誰の何にも参考にならないと思うので、ゆるりと。

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