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目に見えない世界と見える世界の両方を生きるということ

   こんばんは。
   私は今東京で社会人一年目を学生にもどりて~~とか言いながらなんとかやっている者です。自己紹介は前の記事で書いたのでさておき、突然ですが、ふと思い立ち、いやそれにしてはきちんと自分の中で考えた末、今から約二年前に起こったことや出会った人について書きます。私が長い間ずっと、本当の本当のことを知りたいと、そう思っていたら会えた人です。

   今これを読んでくれている人、何かの縁だと思うので最後まで読んでくれたらとても嬉しい。私はこれまでこの話についての文章を公の場で書こうなんて考えたことなかった。タイミングを信じてみて欲しいです。

   タイトルにも置いたように、目に見えない世界についての話です。愛だとか夢だとか、それも関わるけどそうじゃなくて、分かりやすく言うと霊とか魂とかの話。ひとつ言っておくと、私はスピリチュアルという言葉が苦手です。その言葉についてまわるネガティブなイメージが、と言ってもいい。でもそれを拭うことは私には出来ないのでもう少し気楽に、へ~ふ~んくらいで読んでみていただけたら。


   これでも削った方なんだけどめちゃ長になってしまったので初めて目次機能を使いました。最初の方興味ないって方は飛ばしやすいのかも。そんときゃ「紹介したい人」くらいから読んでね。

では、いざ!


昔のこと

私は昔から霊感があることは自覚していて、だから霊とか宇宙人とか普通にそりゃいるだろ、のスタンスだった。初めて見た(感じた)のは小学生の頃で、家で座敷わらしみたいなものがふっと押し入れに走っていったのをぼーっと眺めていたのを覚えている。

その後も色々あるっちゃあるんだけれど本当に恐怖を感じたのは、寝ている時に上から何かが覆いかぶさってくる感覚を味わった時のもの。とてつもなく苦しくて怖くて耐えるしかなくて、起きてからも冷や汗をかいていて、呆然とした。そしてやっぱりそういう時は金縛りにあう。同じ体験をされたことがある人も多くいるかもしれない。
一人暮らしを始める以前に実家としては引越しを4回している。2度目の引越し先ではこの体験を何度もした。そうすると徐々に慣れてくるというか、くる前に分かるようになるのね。それでもう耐えるしかないから諦めていたんだけど、しんどかったのが夜眠れないこと。
初めてもった自分の部屋が、怖いわけでもないのに夜どうしても眠れず、布団を母親の寝ている隣に引っ張っていって寝ていた。それでも目が冴えてしまって日の出る前に起きて散歩をする日もあった。

最初は母親の知り合いで霊がみえるという人だった。引っ越す前の写真を見て、憑かれているから写真を消して枕の下に塩を包んで入れて寝なさいと、そう言われた。言われるがままに毎晩行っていたけど、気休めにはなるというのが正直なところだったと思う。何かに頼って安心したかったんだろうな。この頃のことはちょっと記憶が薄れかけ。

きっかけ

2021年5月
今でも、全部この時から始まったんだなあとしみじみ思う時がある。その後変わらず母の隣で寝る日々を過ごしていたところ、母のこれまた知り合いでホロスコープを見れる人がいるので受けてみないかということになった。ホロスコープとは一人ひとりが生まれた時の天体図のことで、西洋占星術ではその十二星座の位置からその人の人生やタイミングやらをみる、らしい。

当時私はこれといって相談したい悩みもなく、それほど乗り気でないまま、まあじゃあ……とzoomでその方と話をした(実際はとても面白くて濃い時間だった)。そろそろおしまいって時に、ふと隣で聞いていた母が、私が金縛りにあうのだけれど、という話を持ち出した。本当にふと、だった。そんなの聞いてもしょうがないと私は思っていたのだけれど、その方の反応はあらっという感じで、「実は父が霊能者なんですよ~」と答えた。びっくり。

そこからはあれよあれよと話が進みLINEでその霊能者という方と繋がり祓ってもらう、というホロスコープどこいったの急展開。細かくは書かないが私はここで初めて本当の祓いというものをしてもらい、その後実際に彼に会いに行き、沢山のお話を聞く。

そう、私がこのnoteで知ってもらいたいのはこのお方。別で普通に会社を経営してらして、霊能者なんてなりたくなかったと笑いながらもなってしまったからにはこの道を極めると決めて動いているお方。

経緯の話が長くなってしまったが、ここからは私がこの方に出会ってからの話に移っていく。

対面

LINEで知り合ってから約一ヶ月後に、私は母と二人で金沢まで会いに行くことになった。

霊能者だって、信じる信じないは置いといても、私は同じくそりゃいるだろうのスタンスだった。でも初めてこの方と対面した時に「うわ、なんかすごい、本物や」とここで本当にはっきり感じた。だってはじめましてで目を合わせて、その次には私達の後ろ側をみているんだもん。目が凄かった。

多分ざっと八時間以上。どこでどうやって霊能者なんかになったか。何が見えて何が聞こえているのか。見えない世界ってなんなのか。前世や魂のつながりはどうなっているのか。あまりにも全部が不思議で現実で未知のことで、圧倒された。また私は自殺した子の話を聞いて泣きそうになってしまった。


金沢の白山比咩神社

今この世界は目に見えないものにびっくりするくらいの影響を受けている。私は半分半分くらいだと勝手に思っているけど。なんでこんな理不尽なことが起きるのって、分かると安心することもあるんじゃないかな。

収拾がつかなくなってくるのでこの辺はまた別で機会あればにします。私が書くことでもない気もするけど。

紹介したい人

二人。一人はここまで書いてきた霊能者であるお方(木下さん)。もう一人は、木下さんに出会ってそうした目に見えない世界を多分より強く深く分かるようになったお方(陽子さん)。お二人は今ペアで活動している。

ここで私が声を大にして言いたいのは、霊能力があるからとか色んな声を聞けるからとか、それらが凄くて珍しいとかってそういうことではなくて、人としてとても広く深く魅力的で、だから今も尚その力を使って人のために動いているんだということ。私が紹介したいと思うのもそこ。どこまでも謙虚で何から何まで大きな愛に満ちている。

木下さんは、前述の通り、経営している会社とは全く別で霊能の力を使って人と接している。例えば理由の分からない頭痛に苦しむ子をみたり、大学で方向性について講義をしたり。私が就活で悩んでいる時に激励の言葉をくれたり社会人になってからもずっと応援してくださっていて、私にとってはまるで父親のよう。
陽子さんはカウンセリングを行っていて、私も一度だけ受けたことがある。凄かった。私が言語化出来ない部分も理解した上で無闇に言葉をくれず待ってくれる。ドラゴンボールで言う精神と時の部屋みたいなそんな感じ。私はそこで、枠がないということは囲いや境界線がないというだけで実質すべてあるのだ、ということを知った。

私の母は家でカフェを開いて人を呼んで同時にお二方を紹介するようなことを定期的に行っている。大学生の後半、私はたまにあるその時間ずっと来た人の顔を見ていた。母と同じくらいの歳の方が真剣な顔で、時には嬉しそうな顔で話したり聞いたりしている様子を見て、こんな風に人が奥底から軽くなりエネルギーに満ちるってなんて凄いことだろうと思っていた。同時に、私には何が出来るんだろうと。それを考えているうちにあっという間社会人になってしまって、今や自分の生活に必死ではあるけど、でも、あ、noteで繋げることも可能なんじゃないかとふと閃いて、出来ることはやろうと思ってここまで書いてきた。

学生のうちに、こんな大人がいるなら大丈夫って思えたことは本当に大きくて強いことだと思う。そして、私と歳が近い方にももっと広まればいいのにと思う。何か悩みがあってもなくても、ピンときた人がもしいたならば、なんか面白そうくらいのノリでよいので教えて欲しい。

ここにきて気づいたけどでもあれか、noteってDM機能みたいなのないのか。こういう時ばかりは欲しいね、DM機能。

ひとまず、陽子さんと母のインスタグラムのアカウントのリンクを貼っつけておきます(許可貰い済)。
以前ずっと木下さんはボランティアで活動されていた。それを、より広めるためにってことで資金が必要な分お金を頂いて仕事として今はやられている。



この類の話は世の中に溢れかえるほどあって、その全部が怪しいって第一印象を抱く人も大勢いると思う。でも、それでも、と私は言いたい。

何故信じるのか。これは感覚的なところもあって自分の直感とストンと落ちてくるものがあるからで、私は木下さんに会って沢山のことが腑に落ちた。そうだよなあと何度も思った。

木下さんが言うには、お金を必要以上にとる人はやっぱり違う。お金は後からついてくるもの。善の欲と悪の欲があって、人のためにこうしたい、という善の欲は大丈夫。後は独自のやり方を持っているかどうか。何かがブレたり無意識のレベルで私欲や奢りが出てしまうと神様も一瞬でひっくり返る。シビアな世界よな。

お二人共、結局はその人の人生だから、と無理やり勧めることは絶対にしない。でも来てくれた人には全力を尽くす、そんな方達。

伝えたいこと

最後です。私も、私の周囲の人達も、見えない世界を知ったからこそ見える世界をどう生きるかを考えていると思う。どうやって面白く学んでどうやって他人と自分がうまく成長していけるか。その為に身近なところから何が出来るのか。
魂が成長するために生きては死ぬを繰り返す。長い長い目で見て、成し得なかった課題を今生きている自分がどうクリアして次に繋げるのか。
私は少し前に、自分の肉体が本当に借り物なんだって気付かされるような瞬間があって、でもじゃあこれ全部使って、使い切って死にたいよなと思う。孤独に打ちのめされそうになりながらも、愉快に生きてその道中で貰ったものを返していきたい。多くの人が考えるのと同じように。

年齢も性別も関係なく、手探りで生きていく中で少しの導きがあるといいなと思うから、ここまで読んでくれた方に、たとえ今じゃなくてもいつか、この文章がきっかけになることがあれば嬉しい。それが本望だということを残して、今回の記事を終えたいと思います。


母にペライチなるものがあると教えてもらったのでこちらも貼っつけておきます。知らんかった。










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