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その後・知らない方が良かったのか

前回長々と沢山書いて、例えばその後眠れるようになったのかとか、そういう事は書いてなかったな~と思ったので今回はそれらについて。


↑前回。

結論から言うと、基本的には眠れるようになった。そしてたまに眠れない日もあるし、出会って以降も上から襲われる感覚を味わったことは数回ある。

なぜ365日ではないのかというと、"憑かれる"ということが人にだけでなくあらゆるモノに起こり得るから。 憑かれるとはどういうことか。これはちょっと私には見えないし説明出来る自信もないので省略したいところだが、以前一度だけ木下さんが絵に描いてくれたことがあるのを思い出した。布団の写真に、本当に簡易的なあの人型のクッキーみたいなやつが横並びで二体。あんまりよくないので消すねって言ってすぐ消してらしたけど、かわいらしい絵に反してその時ばかりは少しゾッとした。これは布団が人霊に憑かれているということを表している。
繰り返すが私は自分の身体の不調は感じても、何がどう憑かれているかなんて見えないし、特に特定の時間しか使わないもの(枕など)って難しくて。枕や布団がもし憑かれていたら、その影響を受けて夜中に怖い体験をしたりする。肩が異様にこるとか、頭が重いとか、それらも症状だと認識してもらえたら、想像しやすいかもしれない。なんじゃそりゃって感じだったらそれはそれで。

ただ、私が心から良かったなあと思うのは、そうした怖い体験だったはずの出来事が、同じ目にあっても今はもうそこまで怖くないということ。なんなら邪魔すんじゃねえや!くらいの勢いでいる。強い。
これは何が何だか分からずただ怯えていたところから、原因が分かり、さらには祓ってくれちゃう方がいることへの安心感によって変化した。本当に有難いことだといつも思っている。結局私が一番怖いのは分からないという状態であり、幽霊だって未知だから怖いんだと思っているし死についても私はまだ全然分かっていなくて、それが怖さの一部を形成している。(これは面白がることとは別の話。)

いつだったか"知らない方が良かったのか"ということついて考える機会があった。多分、家に来る母のお客さんの中で知るのが怖いって方がいらっしゃったんだと思う。私はどうかな~と振り返ってみて、知らない方が良かったことなんてひとつもないなと思った。これは本当に。

知るのが怖いって感覚も、あるのは分かる。私もひとつだけあった。それはでも内容によっては、自分の信じてきたものが揺らぐ→それまでの自分や持っていた世界を否定したくないってことなんかなと思うんだけど、否定する意味も必要もなくて、正解も不正解も良いも悪いもないしもしそれを決めたいのなら決められるのは自分だけだよなあと今は思う。

見えない世界を知るというのは、今まで100をみている(と思いたい)けどそれは不可能やし20くらいしかみえていないんだろうな、と思っていた世界があっという間に50:50に開ける、という感じ。
本来の自分で生きられる、というのは木下さんの言葉なので私の言葉で言い換えると、なんだろ、難しいけど、合ってる一致しているよく分かる、という感じ。

勿論当時は何も知らないので真っ直ぐ自分だと思って生きていたんだろうけど、中学高校の時の自分は今振り返ると、靄がかかっていたようだった。理由もわからずむしゃくしゃしたり自分を上手くコントロール出来なかったり、今でこそ私は母と仲がよくてよすぎるほどだけど、喧嘩をいっぱいしてもうこの人とは絶対に分かり合えないと泣きながら家出した事もあったし、びっくりするくらい怪我をしまくっていた時期もあった。全部何かしらの影響を受けていたんだろうなと思う。その時期のことはそれはそれで必要なことで学びもあった。でも、圧倒的に今の方がすっきりとしている。

悩みが無くなる訳でも一気に幸せ一直線!になる訳でもないし考え事は増えるばかりだけど、自分を含め、木下さん達に出会う前を知っている人の多くはとても変わったし、何より活き活きしているように感じる。そして結局、それが一番いいことなんじゃないかなと思う。各々が各々の道を各々のペースで歩んでいって、それが正しい方向を向いていたら、苦楽も糧に出来る。そして不安になるタイミングで彼らに出会えたら、気づけないズレも整えてもらえる。心が温まる人が増えてほしい。


これまでもこれからも、このアカウントで載せる内容は全て私の実体験に基づいて私が考えて感じて信じていることたちなので、ごく個人的なものとして受け取って頂けると幸いです。万人に当てはまることを書くのは不可能なので。ただ、あらゆる事が変化し続ける中で、嘘も裏もないってことだけは断言出来るよ。そんな感じでよろしくお願いします。











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