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ツインレイ小説第二部より抜粋⑦
孫の結婚式の写真を見てって、とその女性は立ち上がって奥の和室へと向かう。
また話が長くなりそうだ、と、帰るタイミングを逸した私は軽く後悔する。
ボランティアの一環として訪ねた、一人暮らしの80代女性のアパート。
写真には、白いシンプルなウェディングドレスを着て輝く笑顔を見せている可愛らしい新婦が写っていた。
そして黒留袖の母親と燕尾服姿の父親。
この子は大学出て就職してやれやれ、って思ったらすぐに辞めちゃってね、あれは人間関係がうまくいかなかったらしい、だから娘も和彦さんも心配したのよ。今はね、別の所で勤めてて、そこで知り合ったらしい。和彦さんも入院だなんだってあったしね、ホントにうちの娘はよく育て上げたわよ、お舅さんの世話もしながらだしね。だから、私、娘と和彦さんに言ったの、本当にご苦労さまでした、って。
その女性の娘さんは私より10歳上で、そして結婚式をあげたお孫さんはやはり私の娘と10歳ほどの違いであった。
つまり、この写真は、十年後の私と娘であっても何らおかしくはないのだ、という思い。
娘さんの旦那さん、の顔に刻まれたシワや白髪は、やはり年相応の、何より30年近くもの間、家族を守ってきた、家族のために身を粉にして働き続けてきた男性のもの、だった。
娘さん、のほうは、若く見えた。その女性も若々しいタイプだから遺伝なのだろう。
娘はずっと着付けを習っててね、この黒留袖も自分で着たのよ、最後まで着崩れしないで見事だったわ。孫の妹のほうはね、別の所で着付けしてもらったんだけど、そっちは崩れちゃってた。
でもね、私、娘に言ったのよ、あんたが着付けだなんだって習い事できたのも、和彦さんのおかげなんだからねって。和彦さんヘの感謝を忘れちゃダメよ、って。
つまり和彦さんの姿は、私の夫の十年後の姿でもあるはずなのだった。
20年の結婚生活を思う時、このまま、何も波風立てずにただ、穏やかに生きていけるのであれば、それが一番いいのだと、子供を育て上げ、結婚式に出席して、いろいろあったけど、ここまでこれたね、頑張ったよね、一緒にやってこれてよかったよ、ありがとう、って言い合えるのが、本当は一番いいはずだ、って思っていた、それは本当に思った。
それでも、なお、彼が私の心から離れることはなくて、その穏やかな老後、を私にイメージさせてはくれなくて、それは、20年の結婚生活が、私の20年が、いとも簡単にひっくり返ったということでもあって、その事実は私を打ちのめした。
そして、今日もまた、写真というものでイメージをダイレクトに見せられながらも、私は、頭では分かっていた。これが一番穏やかなのだ、私が離婚を言い出しさえしなければ、私と夫はこんなふうに、娘の晴れ姿を、共に見つめることができるはずなのだ、と。
でも、その一方で、私の本心は、これを望んではいないのだということも、また私は冷静に分かっていた。
私の求める幸せは、ここには、ない、これじゃ、ない。
写真を見ながら、私は自分自身の結婚式の写真を頭に思い浮かべている。
夫を見つめ、笑顔を見せる、私。
やっぱり笑顔の、夫。
愛と信頼が、揺るぎない幸せ、が確かにあった、はずだった。
でも、それは、揺るぎないものでは、なかった。揺るぎないものにできなかったのは、私だったのか。今からでも揺るぎないものにしようと試みることを放棄しようとしているのは、間違いなく私だった。
愛と信頼と幸せとに包まれていた、と確かに思えていた瞬間にさえ、私の本当に求めている幸せはなかったのかもしれない。
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