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ツインレイ〜本当の本心って?

好きになった男には家庭があった。

あ、私にも。

だから、彼の幸せを祈ろうと思ってた。

そもそも私、一回りも上だし。
悩みとかあったら聞くよ~、ってそんな、お姉ちゃん的なスタンス、がいいんじゃないか、って思った。
さすがにお母さん、ではないはずだと自分では信じて(笑)。

だから最初は奥さんのグチとかも普通に聞いてたし、年上としての、一般論としてのアドバイスとかもね、できてたんですのよ。


それがだんだんつらくなってきた。
次も聞かされたらイヤだな、とか思い始めた。

お休みの日とか、連休とかもつらくなってきた。
ああ、今、彼は家族といるんだなあ、って。
別に、つらくなるような立場じゃないはずなのに、それでもつらくなってきた。

そうして、ある日の瞑想中、私は、自分の中の、本当の本当の本心に気付いてしまう。


ただ、彼と一緒にいたい。

周りがどうなろうと、私の知ったことじゃない。


そう思う自分がいた。


彼の家庭を壊したくない。
彼の子供から、お父さんを奪ってはいけない。
彼が家庭で幸せならそれでいい。

私は、本当にそう思っていたはずだった。
強がりとかじゃなくて。

でも、彼と一緒にいたい、って思った途端、涙がぼろぼろ出て、そうして、私はすごくラクになった。

私が、ひとつ、自分の本当の気持ちを解放できた瞬間だったのかもしれない。


次の日、瞑想しようとしたら、宇宙が浮かび、そこに、アシュタール、という文字が浮かんだ。

そして、すごくやさしい声が聞こえてきた。

『よくここまで来ましたね』
『あなたは、宇宙のルートに乗った』
『このまま、安心して導かれていけばいい』


私が泣きながら、悩みながら、やっと、自分の中の、本当の本心に気付いたことを、宇宙は祝福してくれていた。

気付いたから、後は現実が自分の思い通り、というわけではもちろんなくって、そこからまた、自分の本心と、現実とのバランスや、日々の気持ちの揺れや、やらなければならないこと、向き合わなければならないこととか、とにかくいろんなものを見つめたり、こなしたり、心の中も現実も、忙しいことには変わりなかった。やっぱりしょっちゅう泣いてたし。

でも、自分の本当の本心が分かっているから、そこは、すごくラクで、この頃からまた、私にはいろんな大きな気付きが訪れたり、さまざまなメッセージもさらに受け取れるようになったりもした。

多分、本当の本心に気付くと、物事がいい方向に流れ始める。

それは、そっちの方向に向かうことが、魂の喜ぶ生き方に沿ってるからなんじゃないかな、って思う。

そしてそれは、ツインレイ、とのことに限らず、誰もが、そうなんだと思う。

だってみんな、魂の計画書みたいなものを持って生まれてきたんでしょ?
地球で、これを学んでみよう、って。

学ぶ、って言っても、本当は、全ては愛だ、ってことを思い出せば、多分、全然つらい学びとかじゃないのかもしれないけど、そこに行き着くまではやっぱりつらい。

でも、魂が喜んでると、いろんな存在からの応援が入るし、どんなことも楽しんでしまえる気がする。

空気を読むとか、人に気を遣うとか、そんなことよりも、まず自分の魂を喜ばすこと、それは何より大事なのかも、って今の私は思う。


私の本心は、常識的には、世間から眉を顰められるようなものだ。

でも、これが、私の魂の計画書のようだ。

常識とか、世間体とか、そういうのを取っ払って、綺麗事だけ言っていないで、お前たちの愛を体現してゆけ、といろいろな場面で、いろんな存在から言われている。

でも、だから好き勝手やればいい、とは決して言われず、家族にも愛を注げ、とか言われたり、いったい私にどうしろとおっしゃるのですか?と逆ギレして聞いたこともある。

『お前にはそれができる』

今は、彼を愛するように、周りをも愛してゆけ、と言われているような気がしている。


既婚者の私は、やっぱり既婚者の、一回りも年下の男のことが大好きで、常に頭から離れなくて、心の中に住んでるくらいのもので、でも、そんなことを隠しながら、私は、家族のご飯を作り、子供の授業参観に行き、夫のシャツにアイロンをかける。
これが、家族を裏切ってない、って言えるとは私は思ってない。

ろくでもない女だ。

でも、彼を愛したから、知った愛がある。

夫のことも子供のこともちゃんと愛してきたと思っていた。
でも、彼を愛したから、私は、より大きな愛を家族にも注げる。

表面上は、誰から見ても、私たちは浮気だとか不倫だとか言われるに違いなかった。

でも、その奥には、大きな大きな愛の世界があって、私たちはいろんなことを学んでいて、自分自身と向き合ったり、周りに愛を注いだり、やるべきことに取り組んだり、そうやって、魂を成長させようと日々頑張っている。

これが、私たちの魂の喜ぶ生き方だった。


表層にとらわれないこと、見た目だけでジャッジしないこと。ほかの人にも、それぞれの魂の学びがあって、それらを尊重することの大切さみたいなものも、私が学んだことのひとつだった。









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