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ツインレイ〜人生が重なる時

僕の人生なんて、クソみたいなもんだった、って、夢の中の彼は言う。

それが、私と出会って変わったのだ、と。


彼の人生がクソみたいなものならば、それは、私の人生もまたクソみたいなものだった、ということだ。

離婚も見据えて、今、いらないものを処分しようとしている私は、そのクソみたいな人生をまた追体験しなければならないというか、いろんな時期の痛みを思い出したりしては、やっぱりクソだった、というところに帰着する。

と同時に、それでも、もし私がそんな中でももっときちんと生きようとしていたら、もっと賢かったら、私の人生はそこまでクソにはならなかったのだろうか、とも今思う。


後から知ったことではあったけれど、私と彼は、以前、隣県の同じ市に住んでいた。
そして、そこから引っ越してこの町に来たのも、偶然にも同じ年だった。

彼とのことを小説に書こうとした私は、お互いを託した登場人物の年表を作ってみた。
そうしたら、彼と私はいろんな時期にシンクロがあったというか、二人の人生の浮き沈みみたいなものが似通っている気がしたし、私が結婚前一時期住んでいた市に、同時期に彼もまた住んでいた。

もし、本当にもし、だけれど、私の生き方次第では、私の結婚前、私が若いうちに出会うことだって可能だったのかも、私まだ30前に、とか思って、うわー、その時会えてたらなー、って思った次の瞬間、待って、その時彼はもっと若いってことじゃん、って私は冷静に、なる(笑)。


彼に出会う半年くらい前から、私にはいろんな気付きがあったり、よい出会いがあって新しいチャレンジができたり、そして父が亡くなって、相続に関わることを全てやった。

そんな半年間で、私は自分のことが、愛おしくなっていた。ろくでもない自分、みたいなものも含めて、自分が好きだと思えるようになっていた。

その後、彼と出会った。

半年間が、まるで、出会うための準備期間のように、思えた。


私にとっては多分この準備期間がなかったら、出会えていなかったのかもしれない、とも思うし、もし仮に、その前に出会ったとしても、きちんと自分に、彼に向き合えたかは分かんない。ただの火遊びで終わることだってあったかもしれない。


自分の心持ちが現実を創り出す、その波動に見合った現実を引き寄せるのであれば、ツインレイに出会っているかどうかに関わらず、自分自身と自分の人生に真摯に向き合って生きることは、多分とっても大切で、本当はそうやって一日一日生きること、ただそれだけで、道は拓かれてゆく、のかもしれなかった。


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