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ミモザのカクテルと彼女のこと

彼女は生粋のお嬢様だった。

サラブレッドと言ってもいいくらいの。

可愛くて性格も良かったけれど、住む世界が違い過ぎる、と周りの男の子もただ遠巻きに眺めるだけ、みたいな感じ。


私が彼女と出会ったのは二十代前半、仕事の合同研修だった。

彼女のご両親はどちらも要職に就いていて、有名な方で、◯◯さんの娘さんなんだって、という噂はもう既に職場に広がっていた。

私も、へー、そうなんだ、って興味本位でいたのだけれど、実際に会ってみたら、別に偉ぶったところも全然なくって、気さくで、明るくて、何より可愛かった。

私はなぜか、育ちが良さげに見られることが多い。

挨拶とかお礼とかをしっかりするからかもしれない。

でもそれは、常識がない、と周りの人に思われることがとてつもなく怖いからだった。

もっと言えば、あの女は挨拶もろくにできない、常識がなくて近所の人はみんな笑っている、と母親の悪口を祖母から聞かされていたからだった。

そんなだから、一見そう見える、私の育ちの良さなんてメッキもメッキ。まがい物でしかない。

ということを、私は彼女に会って、本物のお嬢様に会って思い知らされた。

キレイにカールされた髪や、腕に光るカルティエの腕時計や、そういうのに加えて、屈託のない笑顔や品のある佇まいそのものが、本当に育ちがいいってこういうことなんだ、って私に突き付けてきた。

懇親会の二次会で、若い子だけになった時、彼女が頼んだカクテルはミモザだった。

ジントニックやギムレットやソルティドックとかばっかり飲んでいた私は、世の中に、そんなステキでおしゃれなカクテルがあるのを知らなかった。

キレイな色味のそのカクテルは、キレイなネイルの彼女によく似合っていて、それを見た私はただ、あ、敵わない、って勝手に敗北感みたいなものを感じていた。

その日の研修の中で、彼女は、仕事を通して自分を成長させたい、と発言していた。

それが彼女の本心だったかどうかはともかく、私は、彼女のその発言にも打ちのめされていた。

当時の私には、仕事を通して自分を成長させたい、という欲求は皆無だった。
もしかしたら、自分を成長させたい、なんて思ったことはなかったかもしれなかった。

望んで就いた仕事ではあったはずだけれど、私のわるいクセなのか、少し慣れると、あ、これじゃない、みたいに思えてしまう。

ここは私の求めてた場所じゃない。
ここには、本当は、ない。

そんなふうに、時折思い始めていた。

そんな場所で、自分を成長させよう、なんて、当時の私は思えなかった。

安らげる場所があるからこそ、成長しようという意欲が出せる、なんていう言葉を知ったのは、それからずっとずっと後のことだけれど、その言葉を知った時、成長しようなんて考えたことがなかったのは、私には、ずっと、安らげる場所がなかったからなのかな、って思ったりした。


彼女は、その研修から二年もしないうちに、職場の、少し歳上の、幹部候補生みたいな、出世頭みたいな人と結婚して、あっさり退職した。

お相手が分かると、ああ、彼女は採用から配属先まで、最初から優遇されてたのね、やっぱりね、◯◯さんの娘さんだもんね、っていうことが誰の目にも明らかになった。

そのことにすごく怒ってる女友達もいたけれど、私は、世の中って、そういうとこあるよね、って、諦めじゃないけど、そう思っていた。

別の女友達は、「だから私たちみたいな、何のコネもないのは、自力でのし上がっていかないとね」なんて言ってて、うん、そうだねー、なんて、仕事帰り、パスタを食べながら、そんな話をしてた。


その頃から20年以上経つけれど、ミモザのカクテルは私は飲んだことはない。

素敵な色だし、名前だし、飲もうと思えば、いくらでも飲む機会はあったけれど、何となく、避けていた。

何となく、彼女みたいなお嬢様が飲むのにふさわしい気がして。

でも、ここ最近、私はミモザを飲んでみたくなってきた、オーダーできるような気がしてきた。

どうしてかは、分かんない。

彼女みたいになれた、なんてことは思わない。

育ち、は変わらない。一生。

ただ、彼女も彼女なりに、いろんなものを背負ったり、気苦労がそりゃあ、あったんだろうな、って、周りからの好奇の目にさらされたり、どうしたって噂されたり、そんな中でキレイや笑顔を保つのは、屈託のない明るさを振りまくのは、やっぱり大変だよね、って、今の私は、それくらいは分かるようになってきたから。

だから、飲めそうな気がする。

自分のために、彼女のために。

春先までにとひとつ決めているチャレンジを無事終えたら、そうしたら、一人で、ミモザを飲みに行く✨






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