お寺①

お寺に行く。
それほど遠くはないけれど、ずっと気になっていたのに行けてなかった場所。

初めての道なのに既に懐かしい。
そうして敷地内に入った途端、「呼ばれて来た」感覚に襲われる。
目に入る木の一本一本、石の一つ一つから目が離せない感じ。全てが語りかけてくる感じすらする。

石碑の前にある一つの石の前で、私はなぜかその上にのってる小さな砂利をよけたくなってそうした。その石をきれいにしたかった。

もう少し歩いた先にも石があった。
私はふと、その石に触れたくなって、少し迷ったけれど触れた。
触れた途端、涙が出てきて、私はしばらくその石をなでながら涙を流していた。
すぐ横の木々も私を受け入れてくれていた。

多分、私のことを、この石も、木も、全部知っていると思えた。

一つの景色。
この場所は夢で彼といた場所だと思えた。
一緒にこの木を見た。
この木の葉っぱが赤くなった時も、雪が降った時も、私は夢で彼と見ていた。

この場所だった。

一つの仏像の前で、私はお線香二本に火をつけた。
手を合わせると涙が出た。
『待っていた』
『よく来たな』と聞こえる気がする。

『私はここから動けない。だからお前たちの体で、お前たちが手と足を使って動くのだ』

『その代わり、私は愛を与える。惜しみなく与える。それをお前たちが流してゆくのだ』

『今度は聡と来い』と、彼の名を出してくる。

私たちは一緒にどこかに行くなんてできるわけはないけれど、でもこの場所は、お互い別々でも、一回でも来れば、彼もきっと何かを感じ取るはずだと思えた。


翌日、いろんな声が聞こえるようになってきて嬉しい、という気持ちが湧いてきた。
人には聞こえない、でも私に真実を教えてくれる、様々な存在たちの声。
私は、アフォメーションで、
「この力を世の中のため、正しく使えますようお導きください」と言っていた。
でも今日はそうではなく
「私はこの力を自分のために使います」
と自然に言っていた。
すると瞑想に入る前から涙が出てきた。

瞑想に入ると宇宙が浮かんだ。
そこに大きな手が浮かんでいる。
仏像によくある形の手。
昨日話しかけてくれた仏像の手の形とはまた違っていた。

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