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世界の外の中

自分で作り出した「みんな」という架空の存在に、
配慮したり制限されたりして、そこに引っ張られすぎて、自分の本音や行動を失うことって往々にある。

何にでも理由を持たなきゃいけないんだ、って思い込みがあるのかもしれない。自分の行動を、他人に説明して納得してもらえるように。社会的に意味を持たせるために。

なんで理由なんかなきゃいけないんだよバカやろー!という反抗精神をうちに秘めている。
直感でいいじゃん、「言語化できなくたってそこには理由はちゃんとあるんだ!」って思ってるのに、
でもやっぱり自分自身も理由を求めてしまう矛盾した部分が内側にある。

だから、noteをやる理由なんかも、考えれば考えるほど「無駄な時間」な気がしてしまって、数日間手が止まってしまった。


自分がやりたいからやる、それでいい。

自分が思ったことを書く。そこに価値がある。

って、そこにたどり着くまでの過程を行ったり来たりの繰り返しで〜

一度発信して、コメントやいいね (みなさんありがとうございます( ; ; )❤︎) という形で反応が来ると、次の自分の発信内容を考えあぐねてしまう。自分でそうやって自分を制限してるんだ、他の誰でもない。

皮肉で弱々しい自分を、もっと乗り越えていかなきゃねっ
環境に委ねて自分の変化を期待しても、自分の「変わりたい!」っていう意思を持って行動に起こさなきゃ、やっぱりまたすぐ戻っちゃうよ!

私は私の道をゆけ!



でもこうやって、

迷ってる、葛藤してる、自分の中で格闘してる私を、赤裸々に、ありのままにかけるのは、noteだからだと思ってます。知り合いがみてないからね。まあみてる人いると思うけど。
本当にありがとうございます!❤︎

普段間抜けに楽観的に生きてるからこそ、
こういう文章にした時ってすごく自分の中の自分と対峙してる気がして、つい熱くなって色々自分の中の感情が溢れ出してしまうんですよね


文章は私にとってのオアシスかもしれません。
ちょうど今、卒業研究で言語と思想の関係性についてをテーマにしているんですが、
言語の力って偉大だなぁと思います。私たちの思想を形作っている。

なんだか、言葉にするまでは無限に広がるどろっとした液体みたいな自分の中の考え方が、言葉によって選択的に固定化されていく感覚。

日常生活の中で誰かと意見交換した時とかに、口に出して自分でも思ってなかったような自分の中の考え方に出会ったり、

日記とかレポートをかくときに、実際に「言葉にする」「文字にする」ことによって、自分の思想が形作られていく感覚があったり。

言葉って、すご〜い。し、同時に、こわ〜い


たのしい気分になりたい!から、後で旅振り返り投稿しよーっと🌟

いつもいつも、旅の振り返り投稿しようと思いながらしてない私。

好きなことに関しては、それを目の前にすると、好きすぎて逆に手付かずになっちゃって、
つい旅の投稿も、自分の納得いく形で発信するのができないのを避けるため後回しに。

ヘンなところにこだわるヘンな人だなぁ


いい週末になりますように!💫