ねこのわすれもの

「ない、ない、探して」
母さんが、また叫んでいる。
「今度は何なの~」
父さんと姉さんが、あきれ顔で立ち上がる。母さんは毎日のように何かをなくしては、ぼくたちに探させるんだ。
「決めたところにちゃんと戻さないからだ」
父さんに叱られると、きまって
「ミーコが隠したのかなあ」
なんてわけのわからない言い訳をするのも、母さんの悪い癖だ。
ミーコは、四か月ほど前に死んでしまった、母さんのねこだ。母さんの、というのは、ミーコが他の誰にも懐かなかったからだ。結婚する前から飼っていた母さんの「連れねこ」だと、父さんが言っていた。
ぼくの記憶にあるミーコは、既に年寄りねこで、いつも居眠りばかりしていた。日当たりのよい場所を見つけては丸くなり、時々目を覚ますと丹念に体中の毛づくろいをしていた。ミーコは毛並みのきれいな三毛猫だった。
たまに、バラやマリーゴールドに集まる虫を捕まえて家に持ち込み、母さんに叱られていたっけ。年寄りのくせに、猫じゃらしを揺らすと、目を丸くして飛びつくこともあった、夏ごろまでは。
今年の暑すぎる夏を引きずったような長い秋が終わるころ、ミーコは風邪をひいた。
食べなくなり、毛づくろいもしなくなり、花がしおれるように、ミーコは弱っていった。
そしてある日、忽然と姿を消した。
ぼくらは総出で探し回った。何日探しても見つからなくて、「迷い猫」の張り紙をしようとした母さんを、父さんがたしなめた。
「もう、いい年だったんだ。あきらめなさい。知っているだろう、賢い猫は死に場所を自分で探すんだ。死んでしまった姿を、君に見せたくなかったんだよ。」
母さんは、何日もぼうっとしていた。ただでさえ、忘れん坊だったのに、ますます失くしものが増えたのは、あの頃からかもしれない。

「ねこがいる!」
姉さんが庭で叫んだ。
「お母さん、三毛猫だよ!ミーコとおんなじ!」
「うわあ、ほんとだ、ちっちゃいミーコ。」
「どこから来たんだ?首輪ついてないのか?」
「ねえ、飼おう飼おう!かわいいじゃん」
母さんは何も言わないで近づき、そっと抱いた。子ねこは逃げる様子もない。
「へえ、人懐っこいねえ」ぼくが母さんの顔を覗き込むと、
涙目になった母さんが言った。
「この子、ミーコよ…ね、ここのところみて。」
母さんの腕の中でのどを鳴らす子ねこの鼻の先に、小さな傷があった。
「この傷は、ミーコが近所の猫とけんかした時の傷。それにこの、曲がったしっぽも、足の裏の斑点も、背中の模様も、全部…」
母さんの手のひらに落ちた涙を、子ねこがなめた。
「そっくりなねこもいるもんだなあ」と、父さん。
「ミーコの生まれ変わりかもね」と姉さん。
と、ひらり、母さんの腕から飛び降りた子ねこは、庭のスチール物置の前に行き、引き戸を引っかきはじめた。
「そこ、開けてほしいの?」
「ねこの力じゃ開かんだろう」
笑いながら、父さんが開けると、子ねこはするりと中に入った。
「ああ、それは…」
父さんは言いかけて黙った。黙って、中から抱え出したのは、ミーコの寝床にしていた段ボールだった。
「ほら、やっぱりミーコでしょ。間違いないわよねぇ」
母さんは、涙をふきふき笑っている。
ありえない、こんなこと。ぼくたちは、顔を見合わせた。

小さいミーコは、寝床の毛布をひっかいている。
父さんが、そっとはがすと、そこには何やらこまごまとしたものが転がっていた。
「これ、あたしの髪ゴム!気に入ってたやつ!」姉さんが叫んだ。
「ぼくの靴ひも。なんでここに?」
「この自転車の鍵!やっぱりミーコの仕業ね!」
母さんの自転車の鍵のキーホルダーはリスのしっぽのような毛皮が付いていて、ミーコがよくじゃれていたっけ。
「ここは、宝箱だったんだね」
「この鍵を返したかったのかなあ、ミーコは」
「いや、これじゃないかな…」
父さんが、小さいみどり色の葉をつまんだ。
「葉っぱ?」
「いや、これはさなぎだ。たぶん、アオスジアゲハの」
「これ、生きてるの?」
「ああ、ごらん、中が少し黒ずんでいる。羽化が近いんだ」
父さんは手のひらに乗せたさなぎをぼくに見せた。
きみどり色の薄い殻の内側に、黒っぽいはねが透けて見えた。
ミーコは、父さんの足に擦りついて、ミャア、と短く鳴いた。
そして、次にぼくの、姉さんの、そして母さんの足に擦りつくと、
トコトコと庭を横切り、ブロック塀にひらりと跳び乗った。
体をくねらせ毛づくろいをするミーコは、
いつのまにかぼくらが見慣れた大きなミーコになっていた。
ミーコがなめた背中から、薄いヴェールのような、蝶のはねが生えていく。
息をのんで目を見張るぼくたちの前で、ミーコは空へ飛び立った。
ふわり、ふわり、舞うように軽く、遠く、花びらのように。

「忘れ物を、思い出したんだね」
父さんが、母さんの手のひらにさなぎをのせた。
泣き虫な母さんの、手のひらのさなぎの上に、
柔らかい陽の光がゆれた。
-end-

なんと14年前に書いたショートストーリーが残っていました。

2022.2.2スーパー猫の日に出すものがないので、これを。

写真はnoteクリエーター,oekakiripさんの可愛いお写真をお借りしました。


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