久しぶりの夜は
「最近さあ、すごい綺麗になったよな」
ふわふわした声で、電話の向こうの彼が言った。
「人が足りないから」と連れ戻された前のバイト先のバーは、平日は常連さんが1人来たらいい方で、基本めちゃくちゃ暇だ。
その日もほぼ毎日来てくれる常連さんが1人来て、1時間前後ラーメンの話をしていた。11時頃にいつもより早めに帰った後、携帯を見ると彼からの不在着信があった。
かけなおしちゃダメだと思いつつも彼から電話してくることが滅多に無いため、気がつけばLINEの通話ボタンを押していた。
電話口の彼は明らかに酔っていて、いつもより可愛くてときめいている自分がいた。
「今暇?よければ会おうよ」と甘い声で囁いてくる彼に「いや、バイト中なんで」と返した後、くらってしまったのが冒頭のセリフ。
付き合っていた頃は毎日「可愛い」とは言ってくれてはいたものの、「綺麗だ」と言われるのは初めてで動揺が止まらなかった。
「…バイト早上がりさせてもらうから待っててください」
あーあ、こんなんだからダメなんだよなあ。
そう思いつつも「会おう」と言われた瞬間、ずっと会いたいと我慢していたのが爆発してしまい、もう止められなかった。
久しぶりに外で会った彼はいつもより小さく見えて可愛かった。
自転車を押す彼の隣でゆったり歩きつつ、お互いの近況を話していると、あっという間にお互いの家が真反対の方向になる交差点へと差し掛かってしまった。
「久しぶりにゆっくりお話できてよかったです。じゃあ、ここで」
スマートな女だと思われたかった私は何事もなく家に帰ろうとした。ここまで来ておいても彼への未練があるように見せたくなくて、強がってしまった。
「いや、もう少し話さない?」
そう言うつもりじゃない。そう思いつつも、彼に流され、気がつけば2人で居酒屋に座っていた。
彼は酔って上機嫌なせいか、私のことをたくさん「可愛い」「綺麗になった」と言ってくれた。
彼が受け持っているクラスの男の子たちが私のことを美人だと褒めているのを私に言ってきて、「俺はそれをどう言う気持ちで聞いたらええん?」なんて意地悪なことを聞いてきたりもした。
料理を私に食べさせようとあーんしてくるくせに、結局自分で食べてしまう彼を若干うざいと思いつつも、こんなに酔っている彼を観れるのはもう最後かもしれないから目に焼き付けておこうと、彼の蕩けた目や、上がり切った口角を、私も酔ったふりをして見つめていた。
しかし空きっ腹で飲んだせいか結局二杯程度でベロベロになってしまい、気がつけばそんなに元から賑わっていなかったお店の中でも、お客さんは私たちだけになっていた。
お店を出て「帰ろう?」と言う彼に、最初はあんなに帰ろうとしていたくせに、「一緒がいい」「1人は嫌だ」とお酒が入っているからかすんなりとわがままが言えた。
彼が困っているのが嬉しくて、でも帰ってしまうのが怖くて、ずっとジャンパーの裾を掴んでいた。2人ともふらふらしながら適当に歩いていたせいで、普段なら10分程度で帰れる道を30分近くかけて帰った。
なんとか家までたどり着いて上着を着たままベッドに腰掛ける。彼と目が合ってからどちらからともなくキスをしていた。
ああ、こんな顔でキスをしてくれる人だったな、と思い出の中の彼と目の前の彼がまた繋がっていくの感じながら、目を開けてキスをした。1年と2ヶ月ぶりのキスだった。
彼が相当酔っていたからか、付き合っていた頃にもあまり上手だと思えなかったキスはもっとぐちゃぐちゃだった。
最後まではしなかったものの、彼が可愛いと言いながら抱きしめてくれる夜がまた来ていることが信じられなかった。
昼に飲んだコーヒーのせいもあって眠ることができず、外が少し明るくなるまで久しぶりに見れた彼の寝顔をずっと眺めていた。
朝、目が覚めた彼の第一声は「ここどこ?」だった。
そう言いつつもキスをしたり、私の胸に手を伸ばしてくる彼に対して頭に「?」が浮かびつつも、昨日の夢の延長なのかもしてないと思う自分もいた。
前は何度も振り向いてキスをしてくれていた玄関で急いで帰ろうとしている彼を見ながら、寝起きだったこともあり、何も声をかけることができなかった。
昨日何度も「可愛い」と言ってくれても、一回も「好きだよ」と言ってくれていなかったことにもう一度眠る前に気がつき、急に寂しくなりながらもベッドに1人で眠った。
その後彼からの連絡は無かった。好きだといってくれないことはそう言うことなのだと思おうとしても、このまま復縁できるんじゃ無いかと、また彼と過ごすことができるようになるのだと信じていたい自分もいた。
彼のことを信じようとすればするほど後で自分が苦しむなんて、その時は考えたくもなかった。
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