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「充実した1日」の定義を考えてみた

大学生の夏休みは、充実していることをアピールするのに必死だ。

旅行に出かけた、人気のカフェに行った、友達と花火をした、新しい趣味を始めた、こんなにたくさんの本を読んだ…。その様子には、常に何かをしていないと気が済まない、人と違うことをしなければいけない、睡眠時間はもったいない、そんなせかせかした風潮が感じられる気もする。

「充実した1日ってどんな1日だと思う?」

と問われれば、なんとなく、いろいろな場所に行って、いろいろな人に会って、おいしいご飯を食べて…、と、分刻みのスケジュールを過ごすことを想像してしまう。

この記事を書くにあたって、「充実した1日とは」とググってみると、充実した時間の使い方、朝起きたらやってみるべきこと○選などなど、色々なアドバイスが出てきた。もちろん、充実した1日を過ごすコツとして、それらは要素の一つになるかもしれない。

でも別に、

そんなに必死にならなくても、充実した1日送れるのでは!?

元も子もないことを言ってしまえば、周りから見て充実した1日を過ごしたところで、自分が空っぽだったら、空虚な気持ちになってしまうと思う。(もちろん、それらの活動を批判しているわけではない。)

だから、私の考える「充実した1日」の定義は、

「1日のうちで1秒でも、生きててよかったと思える瞬間があったなら、その日は充実した1日」

こう定義してみると、私の毎日はとても充実している。

おいしいご飯を食べた、心に触れるような本を読んだ、感動する映画を観た、友達と楽しくお喋りをした、綺麗な景色を見た、人の優しさを感じた、散歩していたらかわいい花を見つけた、良い考えが浮かんだ…。

どんな些細な事でも良いから、満たされた気持ちになるような出来事に出会えたら、その日はそれだけで充実した1日って呼べる。

極論、23時間睡眠でも起きている1時間で素敵な時間を過ごせれば、それで十分だ。

結局、充実度なんてものは、周りから評価されたところで、本人がそう感じていなければ空っぽなものだ。反対に、周りが「あいつの生活は充実していない」と評価しても、本人がとても充実していると感じていれば、それで完結してしまうものなのだろう。

「充実した1日」を考えるときに、今日1日で何をしたかに、フォーカスしてしまいがちだけど、今日1日で何を感じたか、を考えてみるのも良いのかもしれない。

「缶ジュース奢ってやるか」くらいの気持ちでぜひ!