[他人への執着7]未来の私のため、ありのままの私を目印に。
他人への執着は、
裏切られたと感じたかつての友人や、
会社での出来事が根っこにあると思った。
しかし掘り返してみれば、
そこにいるのは これまた母だった。
かつての友人や会社は、
私の生きづらさに警鐘を鳴らすための、
ただのエキストラ。
まあ、名脇役ではあったのだろう。
私の人生に気づきを与えてくれた存在。
役目を終えたから、私の人生から消えていったのだ。
ありがとう。さようなら。
お互いイヤな思いをしたね。
もう二度と会わないことを祈るよ。
さて今回は、
他人から学んだことを箇条書きしよう。
この作業、私はあまり好きじゃない。
なんだか、無理やり感謝させられるようで。
ただ、終わってみるとスッキリしている。
ちゃんと出会いに意味はあって、
イヤな存在も役目を終えたよ、と。
ここをクリアしたら二度と登場しない、と。
いつまでも囚われて、損してるのは私の方だ。
あいつらに私の恨みが降ることはない。
そんな嫌いな彼らからの学び。
決して奪われただけじゃない。
それをテストするワークなのだ。
✔︎他人は自分ではない。
家族でもなければ友人ですらない。
“わかってもらえない”のは当然だ。
✔︎他人は私にとって“どっちでもいい”存在。
相手にとっても私は“どっちでもいい”。
“どっちでもいい”存在に勝手に踏み込んで
傷つくのは当然だ。
✔︎“どっちでもいい”層に好かれようとすると、
“都合のいい”存在になるだけ。
好かれる努力は徒労に終わる。
✔︎“どっちでもいい”ということは、
価値観が合わないということ。
なんとなく合わない感覚は正解。
✔︎私にとっての“どっちでもいい”層は、
大抵実働を求める。
どうせ提供できないのに近づいても、
“嫌い”に格下げされるだけ。
✔︎私と他人の共通のメリットは、
“言葉で伝える”ことと、
“相手に合わせる”こと。
✔︎私にとっての他人は心配も愛情と受け取る。
心配したならムリせずできることを。
口で伝えるだけでも十分伝わる。
ムリに尽くす必要はない。
✔︎他人はどこまでいっても他人。
いくら心を砕いても他人は他人。
心を砕くなら、友人以上へ。
✔︎人は実働しない人間を嫌うものだと
思っていたけど、そうでもない。
私の思考を必要としてくれる人もいる。
そんな存在は、
私が私をオープンにしていないと、
キャッチできない存在だ。
✔︎私の場合、私を必要としてくれる相手は
他人のときと同じ感覚では出会わない。
最初から“許されてる”感覚がある。
それが私の心を砕くべき相手だ。
✔︎メリットで付き合うのは悪じゃない。
私がムリしない範囲で、
相手へのメリットを提供する。
善意を押しつけない付き合い方は、
大事な人にも応用できる。
✔︎他人かどうかは、私の愛情表現を快と
感じる人がどうか。
要するに、私はありのままの私を
オープンにした方がいい。
✔︎ムリしても受け取られない愛なら、
ムリするメリットはない。
✔︎他人を警戒する必要はない。
私は私のまま、できることをムリなく。
他人を遠ざける必要だってないんだ。
✔︎何度も言うが、
心配はヒーローを強制するものじゃない。
ヒーローになんてならなくていい。
嫌われ役にもならなくていい。
ただ、ありのままに。
どれだけヒーローが重荷だったか、よくわかった。
そして、社会から離脱することだって不快だったんだ。
私は私のまま、自由にありのままに。
それでも、愛してくれる人はいるはず。
私の見せる姿勢が、
良くも悪くも私を評価する人間を呼ぶ。
都合よく見せる必要はない。
関わる必要のない人間が寄ってくるだけだ。
私にムリをさせるのは私自身。
ありのままに花丸評価をくれる人。
そんな人たちと出会うために、
私はありのままを目印に掲げよう。
その勇気が、未来の私を幸せに導くよ。
最後まで読んでくれてありがとう。
どうか有意義な記事でありますように👏✨
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OZuno.maho