オズノマホ@言語化
アダルトチルドレンが恐れる世代間連鎖。 私は母のようにはならない。 母を反面教師に、私は私の道を。 母と私、そして、私と娘。 私は捻れを正して生きていく。
思考や考察を書き留めるとは、心を整理すること。 その過程が、誰かの勇気になることを願って。
怒って、泣いて、挫けそうになって。 母への執着を手放すまでの、リアルな記録をまとめました。
お金への執着をはじめ、あらゆる執着を手放します。お金を神格化し、嫌ってはいけないと思っていたけど。私はお金を警戒していたのだ。 ラクに生きるため、私は◯◯への執着たちを手放す。
インナーペアレントの再構築。日々の感情を丁寧に拾い上げ、理想のお母さん“ビッグマム”に褒めてもらいます♡
アダルトチルドレン(ヒーロータイプ) 愛着障害(未解決型) HSP 境界性パーソナリティ障害傾向 ストレス性抑うつ症を経験 エゴグラムV型(葛藤タイプ) 母娘関係を主なテーマに、 あらゆる執着を手放す試み中。 出産を機にカウンセリングを一時中断、 再開に合わせ自分なりの活動をしています。 現在は思考型(理性優位)な自分。 メンタルブロックを解除することで 本来の感情を取り戻し中。 子どもの自分の感情を肯定し、 母の呪いから解放されるための 振り返り → 手放し を記録。
幼稚園の送迎中、 すれ違うお母さんが年少のお子さんにこんな言葉をかけていた。 母「誰のせい?」 どうやら遅刻しそうで、お子さんがゴネてるらしい。 自分と重なった。 私も言ってたよ。 今だって言わないようにしてるだけで、 心では思ってしまうよ。 お母さん…しんどいよね。 子どももしんどいよね…。 子「それ言わないで!って言ってる!」 そうなるよね…わかってるもんね。 子育てには共感が大事とは言われるけど、 共感って難しい。 この場合の正解ってなんなの? 「ごめ
ふと、 毒親なんて言いたくないなぁ…と思った。 心のうちで思うのはいい。 でも、 口に出すと私が親を大切に思う気持ちまで、 すべて毒親というワードに飲み込まれてしまう気がする。 自分で思うのはいいけど、 人の口から言われるとそれはそれで、 庇わなくてはいけない気持ちになる。 共感してほしいのに、 どう言われてもモヤモヤする。 「それは愛情だったんじゃない?」 と言われても「私はツラかった!」って思う。 「それは毒親だよ」 と言われても「いや、そこまでじゃ…」 と庇
無償の愛 それは母が子に与える愛だと言われている。 しかし、アダルトチルドレンの私にとって、 母の愛は無償じゃない。 そもそも、“無償の愛”とはなんだろう? “無償”ってどういうこと? “償い”ってなに? こうやって調べてみると、 すごく白けた気持ちになってしまう。 母に対して、 とことん見返りを求められたように感じるし、 罪悪感を植えつけられたように感じている。 母の“無償の愛”とは??? そんな蔑むような心になる。 じゃあ、自分は??? そう考えるとモヤモヤ
友人が鉱物の魅力にハマっている。 私は家系的に石が好きなのか、 父も弟も光り物が好き。 私も石は好きだがお守り的な要素が強く、 昔から生活の一部なところもあり、 石に“ハマる”というのは不思議な感覚だった。 今回は、 好みからわかる心理について書こうと思う。 私は加工品もいいけど、原石に惹かれる 友人は原石もいいけど、加工品が落ち着く。 その境目は、 そんなにハッキリしたものじゃないし、 両方好きだよ!って感覚だが、 好みや性格が出るなぁ… と思ったので言語化してみ
好き嫌い = ワガママ そんなふうに言われて育ち、 他人への執着を手放した今、 これは母が植えつけた呪いだとわかった。 母も、 “好き嫌いしちゃダメ” だと思い込んでいたんだな、と気づいた。 好き嫌いが激しい子は、 大人にとって・親にとって・他人にとって、 都合が悪い。 実際、 “好き嫌いしちゃダメ”な母にとって、 他人のことも好き嫌いしちゃダメなんだから、 好き嫌いする人間でも受け入れなくちゃダメ。 そうしたら、 好き嫌いする人間は都合が悪いよね。 “好き嫌い
他人への執着。 手放しワークを終えたので、まとめてみる。 アダルトチルドレンはおそらく、 母への執着の次に、他人への執着を握りしめている。 母に満たされなかった承認欲求を、 他人に向けつづけている。 だから満たされない。 私の場合、 過去に尽くして尽くして燃え尽きて、 「もういい!」 となったんだな、と解釈した。 ただ拗ねて離れただけなんだけど、 結果的にはそれがとてもよかった。 離れることで冷静になったし、 気づくこともたくさんあった。 迎合しないことが、 本
新しい世界へのイメージワーク。 他人への執着を捨てたあとの、 自由な世界に慣れるためのワークだ。 私にとって他人とは、 初めとても興味深くて・大好きな存在だった。 しかし次第に、 他人は私を傷つける存在だとわかり、 心にバリアを張って避けるようになった。 これってきっと、思い通りにならない! という子どもじみた気持ちなんだろう。 そんな気持ちを受け止めるのは、本来親の役目なんだろう。 残念ながら、私の親はそんな他人と同じで、 受け止めてくれる存在ではなかった。 だ
“他人への感謝の手紙”を書く、手放しワーク。 他人へ、と言うのもおかしいけど。 母へ、とも違う。 友人ヒメへ、とも違う。 会社へ、でもない。 全部とも言えるけど。 私には“他人”がひとつの怪物だったから、 きっと“他人へ”でいいんだろう。 他人という名の怪物へ 私はずっと、人間というものが大好きだった。 他人というものは興味深くて、自分にはない思考の宝庫。 だけど、 興味本位で馴れ馴れしく触れようとすると、 噛みつかれたり・利用されたり、 まるでミミックのような
他人への執着は、 裏切られたと感じたかつての友人や、 会社での出来事が根っこにあると思った。 しかし掘り返してみれば、 そこにいるのは これまた母だった。 かつての友人や会社は、 私の生きづらさに警鐘を鳴らすための、 ただのエキストラ。 まあ、名脇役ではあったのだろう。 私の人生に気づきを与えてくれた存在。 役目を終えたから、私の人生から消えていったのだ。 ありがとう。さようなら。 お互いイヤな思いをしたね。 もう二度と会わないことを祈るよ。 さて今回は、 他人か
お恨み帳…あれ…? 他人への恨み、 ちょっとややこしいかもしれない。 なかなかスッキリしないなぁ…? 次に出てきたのは、努めていた会社でのこと。 もうぐちゃぐちゃのまま、 思い出したくもなくて沈めてた。 でも、思い出したくもない! って記憶が一番根深い。 あー…、正直やりたくない…面倒くさい… あいつらに時間を割かなきゃいけないこと自体に、腹が立つ。 そのままドロ沼の底で眠ってろ! って思うのに、そこにいることがわかっているから、手を突っ込まざるを得ない。 ああ
お恨み帳再び。 まだ他人への怒りを出しきれてなかったみたい。 不満は根こそぎ出さなければ、次に進むことはできない。 心配できない薄情な私 心配できないどころか、 心配させる相手にイラつく私。 そんな自分をずっと嫌いだったし、 ずっと薄情で自分勝手なんだと思っていた。 でも私にとっての心配とは、 相手と同じ目線で・相手の求める手助けをすること。 自分事として、全力で対応すること。 だから私は、 スーパーヒーローにならざるを得なかった。 救って当たり前。 見返りを求
愛情表現の違いを受け入れるワーク。 ここで気づいた。 私の他人への執着は、 “嫌われたくない”という執着。 これまでの話でいうと、 友人ヒメのことを嫌いだったくせに、 ヒメから嫌われることはイヤだった。 そんなワガママだ。 まず、 私はなぜ人を嫌いになるんだろう? 何が気に入らない? 何をもって私は嫌われたと思う? 嫌われることでのデメリットは? 私は嫌われること自体がイヤなの? それとも、 嫌われた後のデメリットがイヤなの? デメリットがなければ、 嫌われる
「ごめんね」は、いっぱいある。 ごめんね、わかってあげられなくて。 ごめんね、上手くできなくて。 ごめんね… サキにもハナにも、いくつもの後悔がある。 だからといって、私は後悔を引きずらない。 引きずらないように努めている。 引きずる位なら、私は反省しようと思う。 どれだけ痛くても、前に進みたい。 反省して、“私を”成長させなきゃと思う。 ごめんね より、“どうしたらいいか” どうしたらいいか より、“私に何ができるか” 私はどう転がっても、私にしかなれない。
いいところ・悪いところを、 20個ずつあげるワーク。 私にとっての他人は、 かつての友人のイメージなのだとは思うが、 純粋に他人のイメージで書き出そう。 もしかしたら、 かつての友人とは違う側面も出てくるかもしれない。 1.非効率 ↔︎ 慎重 2.ミーハー ↔︎ 流行に敏感 3.不誠実 ↔︎ 自分を大事にできる 4.感情的 ↔︎ 感情豊か 5.優柔不断 ↔︎ 思慮深い 6.無神経 ↔︎ 自分の考えを言える 7.自分に甘い ↔︎ 柔軟 8.頑固 ↔︎ 自分をしっかり持って
他人への執着。 私が恐れる他人の原点は、 もしかしたら友人の小さな裏切りの数々。 きっと相手にそんなつもりはなかった。 今は他人の、もう関わりたくかつての友人。 そんなわけで、お恨み帳。 過去の恨みを掘りおこそう。 (過去の友人への悪口を書くので、 不快な方はお読みにならないでください。) もう終わった問題だと思っていたのに、 こんなふうに顔を出してくるなんて。 なんて腹の立つことだろう…。 そしてこんなとき、 自分の問題や・自分の器の小ささとも 直面しなけれ