なろう小説家としての友人よ
もやもやを王様の耳はロバの耳のように深い穴に叫びたい。
どうしたらいいから分からないけど、多分彼が売れない事に気付いてしまったのが一番苦しい。
貴方の言葉はなんだろうか。
もし本人が見つけたとしても黙っておいてほしい。
友人が云わゆる「なろう小説家」だと知ったのは、友人の描いた小説が書籍化すると聞いたからだった。
友人は嬉々としてLINEグループで発言し、イラストレーターも決まり、ラフはこんな感じで、めちゃくちゃかわいい!すごい嬉しい!できたら読んでね!買ってね!と大盛りあがりで、新しいTwitterアカウントも立ち上げていた。
私達は口々におめでとうとスタンプと共に祝福した。
書籍化するほどの量を書ける努力が素晴らしいと思った。
アカウント名の末尾は小説の名前と書籍化決定!の文字。
気付いたら欲しい物リストまで追加されいた。
友人とはかれこれ10年もの付き合いで、優しく、人を傷付けない人柄で、色々あったのもなんとなくは知っていた。
言われたURLに飛んで小説の触りを読むと、その経験と今流行のものがマッチしていて、その鬱屈感を混ぜて書いて、夢の中では強く周りよりできると。本当は強いんだと。
読んでみてねと言われた小説はそういうものだった。
電子画面だからこその簡潔さを備えていた。
友人の文が書籍化になるというのは、自分の夢が世界(世間、消費者)というものに認められているということだ。
分かりやすく肯定感も希望も持てて、もしかしたらなろう小説と知らない人たちが手にとって、売れて、そうしてアニメ化までしちゃうかも!
友人のワクワクを否定したくなかったし、可能性は無限にある。素直に書籍化は数少なく、友人は作家としての道を差し伸べられた。
小説は書き続けられることだけで凄まじい。
毎日のように頭を悩ませて、短くも100は越える更新を重ねていくのはきっと並大抵のことではなく、彼の努力と才能もあるのだ。
ありそうな書店に向かって、私も他の友人も売上に貢献なんてした。
可愛らしい絵に、ラノベでよくある最初の数ページのカラーイラスト、説明される登場人物の名前。
なんかもう、そこで分かりやすいモチーフの捩りで、分かりやすい見た目で「ああ、もうこのキャラは読まなくてもわかるな」という感じがした。
フォーマットにテンプレートを重ねて、元ネタが分かる人には結末まで分かりそうなキャラで、それでも感想くらいは言わなければ、読まなければ何も分からないと思って、大判のページを捲っていく。
もうなんか辛かった。
捲って、ファンタジーで、無双系で、実は強くて、捲って、パワーバランスが崩れて、捲って、馬鹿にしていた相手を餌にして、捲って、多分自分の外の世界がどうなるのかも主人公の背を押すものしか抜擢せずに、捲くって、一巻の最後は別に行かなくてもいいようなところに行こうとして終わった。続きはいまだ出ていない。
私の持論だけども、最強や無双系は最終的に宇宙か戦争に行く。
なんでかって、強すぎると誰とも対等になれないし、意見も会話も交わせないしコミュニケーションがとれないから。
ドラゴンボールもアメコミヒーローも宇宙に行くし、戦争に行く。もしくはさらに強い敵を出す。
宇宙は未知で何が起きるか分からないから、また負けて強くなるの繰り返し。
戦争は一人で戦えなくて、今まで一人で戦ってきた人が周りと協力しないと勝てない事に対して苦悩して成長していく。
人間は起承転結より、成長したり自分が体験したくない鬱屈したものを求めていたりするのかも。人間の可能性を蒐集するのが空想なのかも。色々考えたりもした。
友人の作品は流行りの無双系だったけれど、無意識に鬱屈して卑下して見返したいと思って、実は自分が全ての優位に立って、お前らは俺のおかけで強くなっているという気持ちを感じた。
実際そうなのは想像に難くない。それでも良かったのかもしれない。
友人は、その感覚を書きたいあまり周りの世界に対する描写をほぼ隠していた。
狭い世界だった。
主人公と、女の子が数人。元最強のあて馬と、いずれ倒す者。
アイテムとして何かが出てきてもおもちゃみたいで、出てくるのが普通だからとりあえず出しただけというのをひしひしと感じた。
なろう小説をよく読む人が共通認識で分かるような記号の数々をみんな知っているから説明を省きましたと目の前で広げられる。
苦しい。
せめて感想をと思っても、気付いた主人公が強くなりすぎて、新しい強いキャラが出ても「どうせ倒すんだろうな」で終わって続きが途絶している。想像が膨らまない悲しさ。
「この名前元ネタこれだよね?」「この時代背景でこの描写が出てくるということはこういう経緯があったのでは?」
「そんな考察するほど深くないです笑」
お世辞でも面白かったと言えなくて苦しかった。
見たい設定で他のパターンも見てみたいと思うのは誰にだってあると思う。こうだったら良かったのに。こうだったらどうなっていた?そうしたらこうなっていたかも。
無意識に彼を読者の奴隷に見たくなかったのかもしれない。
他の友人に恐る恐るどうだったと聞いてみたら「最後まで読めなかった」と。
分かる。と思ってしまった自分が苦しい。
小説家になろうと頑張り始めた友人は、どうしたら売れるものを書けるかを最近はずっと考えているようだ。
新しい小説では会話文2行に地の文が2行。
地の文は心の声のようなものがほとんど。
それもまた書籍化するらしいと、風のうわさで聞いた。
10数年前の香ばしいサイトたちの文を読んでいる気分でむず痒くなった。見やすくする為だけの隙間とスクロール。
自分よりこの人のが読まれている…という劣等感をほんのり抱え、文の背景で「この感じだと主人公の周りや外の世界ではこんな事が起きているのでは?」という質問や感想を考えず、何も顧みずに狭い世界のハッピーエンドを目指して進んでいく。
はたして、売れたいと願う彼は、美しい景色を、せせらぎのための苦労を、小さな小石をどけて育てる苔を、多くの手で積み重ねられてきた借景を、はりぼてのままにせず美しいことばで書き起こすことができるのだろうか。それはきっと私にも難しい。
小説を書いてこなかった私には分からないことだけれど、
友人には狭くて優しい夢の中で楽しく生きてほしい気持ちと、言えない苦しさがせめぎ合ってしまう。
私はあまりに友人の作家以外の人間性を知りすぎてしまっていて、作家としての友人の感性といつまでも折り合いがつけられない。
微睡みの中で、無意識に絶対的な熱を持っているフリをして、フォーマットとテンプレートに嵌まったそれを見て、友人の人となりを知るからこそ、ほんの少しの期待を抱いて割り切れない自分を自分で苦しめている。
本当に、願わくば友人のための生きるための幸せな夢を。
折り合いをつけるために、心の苦しさをどうにかするために、私はこれから私のために友人の作品を忘れていきます。
ごめんなさい。
あなたのアカウントをミュートします。
良き友人へ、割り切れない私より。
願わくばあなたにとっての幸せな夢を。
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