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カメラの中 3秒間だけぼくらは

今日はカメラの話をしようと思う。



「そもそもなぜ写真を撮るのが好きなのか?」
というと、
「わたしに見えている世界を君にも見てほしいから」。

写真を撮る他の人たちがどうなのかは分からないけど、
わたしには結構これ、明確なアンサーかな。
さらに付け加えると、
「わたしが見ている世界や君がどれほど素敵か知ってほしい」、かも。

常々「人の写真を撮るのが1番好き」って言い続けてるのもまさに同じ理由で、
「だってわたしが切り取る君の一瞬が世界で1番素敵なんだもん」って本気で思ってるからなのだ。笑


ところで、「ポートレートの正確さ」
について考えることがある。

SNS上で「ノーマルカメラでこの写りってめっちゃ美人ってことじゃん!」みたいなコメントを目にすることがある。
確かにそれはそう!笑
そうなんだけど、でも、ノーマルカメラで写された写真だけが真実なのかなぁ?っていつも思う。

ノーマルカメラに限らずなんだけど、
証明写真とかの、本人とかけ離れた変な写りの写真とかさ。
なんかそういうのを見る時、
「フィルター使ってキラキラして写ってるあの子の方が、わたしが知ってるあの子に近いなぁ」
と思うことがわたしには結構ある。

普段生活をしている時、
静止画で気取ったきみと向き合ってるんじゃなくて
笑ったり泣いたり喋ったり食べたり
歩いたり走ったり歌ったりするきみを見ている。

その中の一瞬を適当にiPhoneで1枚切り取って、
「はい、これがあの子の全てだよ。」
とか言われても。
それは事実だけど、真実じゃないよねって思う。

鏡を見るといけてるなーと思ってた日に、
誰かが撮ってくれた写真が全然盛れてなくても、
それは鏡の方が断然真実なのであって
その盛れてない写真の方がある意味虚構なのだ!
笑。


だからこそ、人にカメラを向ける時、
「事実」ではなくて、
「(あくまで)わたしを通したその人の姿」を写してるのだ、という気持ちが結構強いです。
なのでそれはその人自身というより、
「その人の影」を捉えてる感じかも。

ただ可愛いとか綺麗とかかっこいいとかじゃなくて、
出来る限り、わたしがその人に抱いている
良いなと思う印象とかを1枚に載せられたらなぁって気持ちで、カメラ越しにきみを見ます。
だってそれが1番素敵に決まってるからじゃないですか。
ぼく以外でぼくよりきみの事素敵に見えてる人がいたら連れてきてよ。笑


でもやっぱりどうしたって技術面はプロのカメラマンに劣ります。
知識も全然足りてないし。
それがねー、やっぱり物足りない。
どれだけ被写体への愛があっても、
技術がないと意味がない。
ちゃんと伝えることが出来ない。

でも、誰かの真似をしたいわけじゃない。
ってなると、撮りながら感覚を掴んでいくしかないんだろうね。


2022年の大きな出来事の1つは、
初めてちゃんとしたポートレート撮影をさせてもらったことだと思う。

と、その話の前に少ししておきたい話があって。笑

この間ネットでアイドルの推し活について、
「決して自分にその目線が向けられることはない、
と分かっているから愛情をぶつけることが出来る」
というのを読んで、あーーー、分かる、
と思ったんだけど。笑

今まで誰かの写真を撮る時って、
そういう気分だったかも。
相手は「写真を撮る/撮られる」という行為に
特に思い入れがない分、
わたしの方が「じゃあわたしが好きなように、
全力で素敵に写すね!」
という愛を向けられたのかもしれない、と思う。
相手が気に入ってくれたら嬉しいけど、
気に入らなかったとしてもきっとそれはそれで
おしまい。
ただ、それだけ。
そこに失敗も成功もないのだ。

でも、もしもその目線が向き合うことになったら?

今までは「こっちから見る世界」しか知らなかったので、
ファインダー越しに向き合ってる人の世界を知れたのが本当に、何というか新鮮で不思議な気分だったかも。

正直なところ、本当に楽しい!と思う反面、
いつも「大丈夫かな」って思う。

わたしが好きな君は、君も好きな君ですか?
ファインダー越しにそういうことを思ったりする。

わたしに見えている世界を君にも見てほしいけど、
君から見える世界も出来れば写してみたい。

2023年はそんな感じでいきたいです!
という締めでどうでしょう。
めずらしく書き切った!笑、おしまい!


という文章を前回の記事に先立って、
年明けくらいに書いたのでした。

タイトルはフリッパーズギターの
「カメラ!カメラ!カメラ」から。

"カメラの中 3秒間だけ僕らは
突然恋をする そして、"


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