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人生は自己発見の旅

昭和、いや平成もそうなのかな?

ガムシャラに努力すること、通勤して会社に通うこと。

仕事内容も成果よりプロセスが重視されたような気がする。

当然、フリーランスや歩合制は除く。

努力を「善」とした世の中がコロナで崩壊しているような気がするのだ。

これは、僕のフィルターなので、有名なコメンテーターやプロの分析家ではない。だから間違っていると思うし、正誤もむちゃくちゃだろう笑

これは、人にわかってもらうため、事実を証明するために書かせていただくのではなく、

自分の腹の中を整理してスッキリしたいからだ笑

リモートワークの普及はまだまだだが、働き方が大きく変わりつつある。

AI、ロボットに仕事が取って変わられることは、どこでも言われてきている。

仕事がなくなる、と不安で捉えることもできるが、まだ見ぬユニークな仕事ができるかもしれない(できないかもしれない)のだ。

変化を楽しむのか?変化を不安で恐れるのか?

どっちも自由だし、正解はないと思う。

すでに終身雇用という考え方も古いし、仕事で立身出世や収入増を求めている、拡大志向の人ほど詰みになってくるのではないだろうか。

人生100年時代といわれるようになって、

仕事=人生と捉えない人も増えているだろう。

別記事でも書いたように、コロナでよしとしてきた価値観が崩壊してきているし、

今もなお崩壊してきていると思う。

これから、仕事や業務拡大、収入を増やす生き方、副業を充実させる生き方といった既存の価値観を強化する人と、

もっとそうではなく、本質的に生き方を変えなければならないとどこかで気づく人と2極化するような気がして仕方ないのだ。

なぜ2極化と言ったかというと、

既存の価値観を強化させていく考え方の人を見ていたり、お会いしたりすると、

金太郎飴のごとく、皆同じことを言っているように思った。

「いや、ウチは違うよ」と言いたい気持ちはわかる。

何を言いたいかというと、本質的なところで同じことを言っていると感じたのだ。

将来が不安だよね?
成功したいよね?
じゃあこの方法をやればいい、とか
幸運の壺を購入させる手法となんら変わらないように見える。

先日も日本をなんとかしようとする団体の方にお会いしたことがある。

いくら思想や行動が立派でフレームワークや枠組みがしっかりしたものでも、中身がハリボテなら、結果もハリボテなのだろう。

おぼっちゃまくんというアニメのびんぼっちゃまのような不思議な感覚におちいった。

構想だけ立派だな…でも、周囲にいる人たちは…すごく結果と実践が伴っていない、、


そんなことをしても表題のように、自己発見は難しいと思われる。

使い古された方法を駆使しても成功するのは一握りだからだ。

ピラミッド上位に食い込むために、全てのエネルギーを投資する努力は僕にはできないし、それはそれですごいことと思う。

ただ、この上位のみが生き残る戦略にハマることこそが、地球独自の自縄自縛、競争原理にのっとることで、

1人の金持ちと多数のそれ以外を区別することになる。


ある方との出会いがあったのだが、その方は上記でいうと、人生の優先順位において自己発見より「仕事をなんとかしなければならない」という価値観の強い方であった。

その方は、社員、派遣やアルバイトなどを何社か経験されて、歳を重ねるたびにどんどん良い仕事との出会い、TPOを失っている感じがしたのだ。

運勢も落ちている感じで、やることなすことが空回りだが、それでも踏ん張っている感じもした。

もし、冒頭の題名である、人生は自己発見、ということを意識して過ごしていたら、

仕事は自己実現のための手段、稼ぐための手段等、心情的に割り切りや折り合いがつくと思ったのだ。

目の前に「ストレスの少ない仕事に就きたい」「安定した仕事に就きたい」「良い人間関係でありたい」という馬の面にニンジンをぶら下げて、永遠に掴むことの出来ない目標を掲げて生きているようにも感じた。

それが悪い、と言いたいわけではない。

本人の自由だし、その人の思い、行動に口出しすることは、不可侵不介入なのだ。

また、プライドもあるので、以前より条件の良かった会社にも受かったのに蹴ったのだ。選り好みすることも自由だが「あれも嫌」「これも嫌」と譲らないところを持っているのだ。

残された選択肢は、自営業と思うのだが、そのための行動はしたくないそうだ。

その方と相対して誰しも成長する自由があるならば、成長しない自由だってあると思ったのだ。

「みんな成長しなければならない」と思い込んでいた自分に気づいたのだ。

魂レベルで見ると、誰しも進化、成長のために今生を賭けて産まれてきていると思うのだが、

魂の声よりも、肉体の声を大切にする人もいるし、それはそれでいいんだなと肯定できたときにホッとしたからだ。

僕が「こうでなければならない」と思ったことが、みんなも「こうでなければならない」ではないし、

法律、ルールで画一化した社会とはいえ、個性、人格までみんな一緒ではないのだ。

はたまた隣の人との差が地球と太陽くらい個性が違うかもしれないということに気がついたからだ。

そもそも、成長という言葉ひとつとっても人と比べられる概念では無いものと思うのだ。

社会、常識といった、だれかが作ったあいまいな価値観にのっとって、自分に嘘をついて成りたくない自分を目指す生き方をしている人が、うつになったり自殺まで追い込まれると思うのだ。

自分が世界を変えたい!という人以外は、「努力」の方向を転換することも大切かもしれない。「努力」のエネルギーをみずからの内側に向けて、どうしたいのか?どうなりたいのか?自分の言葉でアウトプットできるようになるまで、落とし込むことって大切かもしれない。

あいまいな価値観であればあるほど、人と比べたり、競争せざるを得ない場所と相対するのだ。

あいまいに生きてきた自分に悔いたら、改めると、次へのスタートを切れると思うのだ。

なので、だれが原因ではなく、すべて「私」が原因。

神に謝っても神が許してくれるかどうかは定かではない。

ここに立ち戻らないと、自問自答すらできない。

あの偉大なイチローですら、バットとグローブを置いて、引退された。

ということは、野球を辞めても人生は続くのだ。

ということは、人生の目的は仕事や目標を叶えるため、生きるためにはないということになる。

なぜなら、死とともにすべて失うから。

ノーベル賞、紫綬勲章のような称号や財産を獲得しても、死後の世界には関係がないことになる。

現に、父を亡くした経験があるのだが、預金通帳を見ても、お金を死後の世界に持っていったわけではないからだ。残高はそのまま残っているのである。

致死率が100%であれば、、

何を発見して、何を体得していくのがいいのか??

最後に好きな本の一説をご紹介する。

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(ヴォイス出版、宇宙聖書p.144より抜粋)

承の章 第三六節 人類歴史は自己発見の旅

人間の心霊的な主体がどの方向に向かっているかを検証すると、人生の目的の一端を知ることができます。

あなたは輝くばかりの美しい金銀、財宝だけの中で生活をしていて、そこに突然、足元に一輪の花が咲きました。あなたの心は金銀や財宝と一輪の花では、どちらに心が惹かれるでしょうか。

当然、花に心が惹かれます。何故でしょうか。

それは、美しい金銀や財宝である鉱物よりも、植物のほうが生命観に基づいてあなたに近い関係だからです。

どんなに美しい宝石であっても、生命を宿している一輪の花ほど着飾っていないからです。

今度は天国のようなお花畑に一人で立っていました。

そこに、可愛いウサギが目の前を通り過ぎました。あなたの心は花とウサギとでは、どっちに心が惹かれるでしょうか。あなたはウサギに心が惹かれます。

何故でしょうか。それは、植物より動物であるウサギのほうが、生命観に基づいてあなたに近い存在だからです。

今度は、不思議な可愛い動物ばかりの中に一人で立っていました。そこに、一人の人間が目の前を通り過ぎて行きました。

貴方は動物と人間とどちらに惹かれるでしょうか。あなたは人間に心が惹かれます。

今度は人間の雑踏の中に居ました。そこに知人が通り過ぎていきました。あなたの心は知人に心が惹かれます。

今度は知人の中に楽しそうに居ました。そこに両親が通り過ぎて行くのを発見しました。

あなたは両親の存在を確認した時に、何とも言えない感情と共に、落ち着かなくなります。

このように、私たちは常に自分に近い存在に関心を持ち心が惹かれ、近い存在が自分から遠ざかれば遠ざかるほど、何か不快な感情と共に落ち着かなくなります。

自分にとって最も近い存在は、『自分自身の存在』であり、人間の霊性意識体は自分自身に最も関心があり、自分自身の存在目的と存在価値を知りたいと切望しているのにも拘らず、

肉体の目や耳が外を向いているかは、人の目や評価や批判を気遣って、自分自身を見失っていきます。

体主霊従の法則に基づいて、肉体の目や耳などの感覚は、常に外に方向付けられていますが、霊主体従の法則に基づいて、霊性意識体の霊覚は、常に内に方向付けられていて、真逆の目的と価値観に方向付けられています。

故に、人類は遥か悠久なる歴史を通して『自己発見』の旅を今も尚、続けているのです。

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ともかく、、自分という存在がどこからきたのか??

何者なのか?というのは、誰しも知りたいと思うのだ。

しかし、意識や五感の方向、外側の方向に向けても根本的な問題が解決しないのだろう。

国家を変えるために、、世界を変えるために、、デモや戦争など血で血を洗う方法をしてきた。

今もなお、その価値観は消えていない。

実は、国家、世界というのは、個人の集合体なのだ。個人が夫婦となり、夫婦の集合体が家族となり…

このやり方では自己発見はおろか、世界が核で滅ぶのもあり得るのだ…

自己発見こそが、世界から争いや戦争、格差を食い止める一歩だと捉えることができたらどうだろうか?

自分という存在がなぜ生き、生かされているか?を知ると、周囲に愛を求めるだろうか?孤独になるだろうか?

無償の貴重な存在を自分の内側に発見できたら、どれだけ嬉しいだろうか?

そんな内側の話も書いてみたいと思う。

今回、このくらいにしよう。

お読みいただき、ありがとうございました😊

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