何かを信じる人を嫌になる時

どうも。MIZU(@3477Mizuku)です。

先日、SNSで信じているものを持っている方(男性)とやり取りをしていたのだが、

どうやら僕は、「何か」を信じている人が苦手と分かった。「何か」というのは、

団体、思想、宗教、ビジネス、様々な哲学、手法など、、

あると思いますが、、なんで「嫌」なのかな?と思った時に…

「こちらの意向を無視して一方的に伝えてくること」が嫌なんだなと思ったのだ。

様々なSNSでは、口コミでビジネス、宗教を伝える人たちは結構嫌われている対象と思ったが、

正直にはオッケーサイン、やるか、やらないかは、「私」に委ねられている。

なのに、「そんな人の気持ちも測れない心無い人と関わる私」が嫌なのだ。

相手が何者でもいいのだ。
どんな勧誘をしてきてもいいのだ。

「私はこんな狭量な人たちと関わる私ではない。もっと心の広い、慈悲深い人たちと関わるべきだ」と、

はなから相手を否定しているということがわかった。  

相手を否定することは、ブーメランで自分を否定することになる。

この自己否定を認めて、

究極、私が私自身に「慈悲深く、どんな人でも受容できる私」を目指すだけでいいのだ。

こうやって書きながら、自分の胸中を整理させてもらっている笑

昨日も新聞屋さんの勧誘があったのだが、ドアを開けてすぐさま断ったのだが、、

気持ち的に凹んだのだ。

相手は相手のペース。僕の問題ではない。

明確に他人と自分の間に線引きをできるか?

さまざまな手段で勧誘してくる人はいっぱいいるが、単に撃退や拒否したら、余計にカサにかかって勧誘活動が強まったり、お互いに良い気持ちにはならないかなと思った。

これも僕のフィルターなもんで、、どんな人でもどんな状況でも受け取れる人は当てはまらないだろう。

僕の心の狭さゆえに、こういう気持ちがわくのだ、と冷静になれれば思える。

喫茶店に行くと、1組くらいは誰がか誰かを勧誘している場面をチラッとでも意識に入ってしまう。

それだけで嫌な気持ちになっていたのだが、、

過去に「買わされた」と思ったのが、某外資系ネットワーク会社で、そのいたい経験があったからだ。

ビジネス会員には、総額30万円かかるのだが、正体は自社製品の買い込みであった。

アップライン(師匠、紹介者)は僕より若い方だったが、、そこまで関係ができていなかったので、、

さらなるその方のアップラインの後押しがあり、押されて断れずにサインしたのだ。

自分が描いた夢を叶えられると信じた。

加入して、勧誘活動も努力したが、、うまくいかせるセンスが僕にはなかった。
友達も失いかけた。なんか気まずくなった。

数ヶ月で辞めたのだが、、その苦い思い出による被害者意識がムクムクとわくのだ。

当然得たものもあるので、そちらを意識するように努力したい。結構腹が立つのだ笑

まぁ、誘う人が悪いわけではない。

そう捉える僕に問題がある…と頭ではわかっていても、納得しきれない。

ここが乗り越えどころ。

感謝と喜びで完結したい。

乗り越えると違う景色があるはず。

そう信じるのも、信じないのも自分。


お読みいただき、ありがとうございます🙇‍♂️🙇‍♂️


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