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SNSとかフォロワー数とか

 最近、ドラマの話が多いのですが、先週「コントが始まる」という連続ドラマが終わりました。とても乱暴なまとめ方をすると、10年間がんばってきた売れない芸人(トリオ)が解散するところでドラマが終わります。

 最終回、その解散した“マクベス”というトリオのリーダー格である春斗に、マクベスの熱烈ファンであるヒロインが感謝を述べる場面があります。これからも何度でも動画でマクベスのコントを見るし、これまで作ってきた作品は永遠に残る、というようなことを言うんですね。
 それを聞いた春斗が「(マクベスのコントを)100人の人に見てもらえたら嬉しいですけど1人の人が100回見てくれることも同じくらい嬉しい事でありがたい事で1人の人がちゃんと見てくれてると分かっただけで頑張れるんですよ」と答える。そこがすごく良かったな~と。

 その後、NHKドラマの「半径5メートル」を見たんですけど、その回では就職氷河期の辛酸をなめ、その後も社会に守ってもらえなかった(今も守ってもらえていない)という怒りをSNSで発信し続けているインフルエンサーの女性が登場。彼女のSNSにはすごい数のフォロワーがいる、という話。

 偶然、二本、続けて観たのだけれど、フォロワー数(ファン数)が少ないけど、たった一人のひとに深く届くの(マクベス)と、フォロワー数はたくさんいるけど何も変えられないのとって、なんだか対比っぽいな、と。で、じゃあ、私は?みたいなことを思ったんですよね。私自身がこうしてnoteを書いていることの意味みたいなことについて、ちょっと考える機会になったなと思ったのです。

 まずは自分のこころの奥に届くっていうのが第一段階(気持ちを整理することや記録しておくこと)で、第二段階としてはたった一人でもいいので誰かに届くことだな、って思います。それもその“たった一人”は同じ人じゃなくてもいいなって感じなんです。

 いま私がちょっと嬉しいのは、さまざまなジャンルの記事にスキを押してくれる人がバラバラなところでもあったりします。そして、たくさんの人から(想像以上の)スキ数が来たりすると怖くなるかもしれません(笑)。

 詩を書く時も、本を書く時も、できれば一人のひとに一ヶ所でもいいから深く届くといいなと祈りながら書いています。そして、それができるだけばらけていたり、時間を置いて読み直した時にまた届く部分が違っていれば、なお嬉しいという感じです。

 SNSとの付き合い方って、ほんとさまざまですね。なんだかちょっと考えさせられました。これからも考え続けたいなとも思います。

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