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モヤモヤしている

久しぶりの投稿で重い話になって恐縮だけど…。

最近、よく耳にする乳児を遺棄する事件。
あのニュースを聞く度に、私はとても複雑な気持ちになる。
尊い命が粗末に扱われることへの悲しみや憤りはもちろんあるのだけれど、
赤ちゃんを遺棄した母親だけが責めを受けるということに
どこかモヤモヤした気持ちになるのだ。

「身勝手」というワードを報道はよく使っているけれど、
はたして身勝手なのは母親だけだろうか。
妊娠するということは、どこかに相手の男性が必ず存在する。
その男は身勝手ではないのだろうか。
責任はない、とはたして言えるのだろうか。

もちろん妊娠に愛の有無は関係ない。
愛のない関係だろうと、性交渉があれば妊娠はする。
そして、妊娠を知らされない男性もきっといて、秘密裏に乳児は遺棄されているのかもしれない。
そうだとしても、本当に責めを負うのは母親だけだろうか。

妊娠した瞬間から、相手の男性にも同様に責任が生まれる。
そんなのはきれいごとだろうか。

もしも。
SF的な、あるいは「世にも奇妙な」的な世界があったとして。

遺棄された赤ちゃんのDNAから特定された父親にも、何かしらの責任が問われる世界があったとしたらどうだろうか。
男性は変わるだろうか。

ニュースを見ながら、そんなことを考える。

さらに言うと、責められるのは当事者だけだろうか。
そこには孤立や貧困の問題が横たわっていることも
多いのではないだろうか。

そうでなければ、妊娠したわが身と赤子を持て余す人に
誰も気がつかないなんてことはない。
気がついて声をかける、
そんな誰かがその人の周りにはいなかったのだろうか。

身勝手だとなじる
社会の身勝手さをどう考えればいいのか、私は持て余す。
たぶん、議論が必要だ。

だけど、きっと当事者たちが声を上げるのはむずかしいだろう。
さらに叩かれるのは目に見えている。
だから放置されている。

私が一番、違和感を覚えるのは、たぶんそこだ。
議論もなしに、一方的に母親だけが責めを負う
そんな構造に深く違和感を覚えているのだ。

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