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生き仏レベル?の癒される存在

 皆さんは誰かに「あなたといると癒されるわ」とか「安心できる」とか言われたこと/言ったことがありますか?

 私は最近、立て続けにいろいろな人からこういう言葉をもらって、「はて?癒しになる存在って?」とあらためて考えている次第。

 これまで精神科で仕事をしていた時は、お仕事モードなので患者さんの癒しになるようなことを探していたし、できれば自分自身も患者さんにとって癒しの存在になれたらいいなと思っていました。
 でも、それはあえてやっていたことなんですよね。

 で、仕事をやめて、あらゆる局面でお仕事モードにならなくなっているのですが、久しぶりに会った仲間とか、社会人大学で出会ったクラスメイトから「癒される」という言葉をもらうので不思議な気分なんですよね。プライベートでの私には相手を癒しているつもりがないので。
 いわば相手が勝手に癒されていってる状態。

 これって考えてみると、理想的じゃないですか!

 私には相手を癒しているつもりがないのに、相手が癒されるだなんて。そこには無理がないってことですよね。
 お仕事モードの時は疲れるんですよね。やっぱりそこそこ無理してるんで。

 そういえば、退職する前に数人のスタッフ(それほど親しくない若手の人たち)にLINE交換を頼まれたんですよね。その子たちの理由が(別々に頼まれたから表現を揃えたわけじゃないと思うけど)「お守りに」って言うんです。
 LINEの連絡先交換がお守りになる? 生き仏レベル?(笑)
まあ、考えてみれば、職場ではお仕事モードだったんで分からなくもないけど、最近、知り合った人たちや久々に会ったプライベートな仲間にも同じようなこと言われると戸惑ってしまいます。

 ひとがわざわざ言葉にして言ってくれるってことは、自分に置き換えてみると、なかなかのものなんじゃないかって思うんですよね。そういうことって、思ってもあまりひとには言わないじゃないですか。

 もしもこれが私の才能?特技?、はたまた職業病みたいなものだったら、この先、どうやって生かしていったらいいのかしら。

 というか、その前に自分のどういうところがソレなのか、ちゃんと自覚しないといけませんね。プライベートでのソレについては、まだよく分かってないから。

 無自覚なだけに癒しの何かがダダ洩れ状態だとして、何か対人関係や日常生活に支障をきたすことってあるのかしら。なんか知らない人や動物がついて来ちゃうとか(笑)。
 そういうのがナイんだったら、まあ、このままでもいいかな。今後の人生にソレを有効活用しようだなんて考え始めたら、また無理しちゃうかもしれませんしね。

 癒し…考えれば考えるほど、謎です。

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