見出し画像

私がライターになった経緯

私は自分をさらけ出すのが上手いと思っていたけれど、本当にそうだろうか。
自分をさらけ出す練習のひとつとして、ここに私自身がライターという仕事に就くまでの経緯を書いていこうと思う。
ポジティブな話ばかりではないけれど、ありのままを書いていく。

正直最初はライターになりたかった訳ではない。
他のライターを見ていると、国語が好きまたは得意という方が多いかもしれない。
私は国語・数学・英語の3科目の中で、一番好きではなかったし点数も取れなかった。
明確な正解がない感覚が、どうも苦手だった。
それでもなぜライターになったか振り返ると、書くことが好きだったから。
実はこのnoteを始めたのは、ライターになるなんて考えたこともないくらい前。
noteがリリースされる前の、学生時代、会社員になってすぐの頃にも、私は常にブログを運営して、色んな文章を書いていた。
そして書く以外の部分も振り返ってみると、小学生の頃はマンガよりも本を読むのが好きだったし、ライターになる前に図書館に行く習慣があった。
自分では気付かなかったけれど、やっぱり読むことも好きだったのかもしれない。

明るくて社交的、フットワークの軽かった(自称)私。
まさか会社員を辞める日が来るとは思ってもみなかった。
完璧主義者で、新卒で入社した会社で定年まで働く選択肢しかなかった私にとって、大きな挫折といえるかもしれない。
その後どのような進路に進もうかはっきりと決まるまで時間がかかった。

人と関わることや電話対応が嫌になり、とりあえず大手企業の派遣社員になった。
その時の仕事がすごく嫌いだった。
窓口で接客業をしていた自分が、閉鎖的な空間で解析や実験を行っていた。
でも段々と慣れていき、数ヶ月も経てばそれは天職だと感じる程楽しい仕事になった。
職場メンバーとの距離感や、関わる人たちの人間性も大好きだった。
仕事内容も含めて、会社に行くのが嫌じゃない感覚は初めてだった。
この仕事で研究職の社員さんにExcelの関数を教えてもらったり、グラフの作り方を教えてもらったりした。
チャットを使う習慣、メールで仕事のやり取りをすることなど色んなことが学べて、今に活きていることがたくさんある。

ただこの仕事で、私が前職を辞めた時と同じ悩みが再び湧いてきた。
同じ過ちは犯すまいと2年半もの間試行錯誤をしたものの、全ては回避できなかった。
もう私にはフリーランスになるしか選択肢がないと思った。
そのころ流行っていた「未経験からフリーランスエンジニア」という言葉を信じて、プログラミングスクールを受講した。

プログラミングスクールで学んでいる時は楽しかった。
けれどよほど好きでないと、この仕事は出来ないと思った。

プログラミングスクールを卒業して、この先どうしようと途方に暮れていた。
クラウドワークスに登録して求人を見つつ、WordPressを使ったLP制作を独学していた。
色々な本を買っては実践していた。
勉強しながらクラウドワークスの求人を見ていると、「ライター」の仕事が目に入った。
プログラミングに関するアウトプットをしながら、プログラミング関連の仕事を探しながら、ライターにも挑戦しようと決意した。
そこからライターの仕事がいただける機会が増えて、ライター専業になると決めてもうすぐ4年目に至るという経緯。
今考えると派遣社員時代の仕事も、プログラミングスクール受講も、今の仕事に活きている。
失敗と言えばそうだけど、どれも良い選択だったと今は思う。

完璧主義者で心配性の私にとって、ライター歴丸3年が経った今でも不安は常に頭の中にある。
正社員ではないこと、仕事がいつまでいただけるか分からないことが大きいかもしれない。
ただ家庭を持つようになり、ほんの少しだけ荷物が軽くなった。
荷物が重いと感じたら、半分背負ってくれるパートナーがいるからだ。
普段から忖度無く意見を伝え合うパートナーだからこそ、嬉しい言葉も心に響く。

私たちが出会うきっかけとなった友人夫婦は、2人共自立していて2馬力で生きている。
一方で私たちは体感1.5馬力くらいしかないけれど、それでも助け合って生きていけばいいと思える。
私たちの人生は私たちのものだから、自分で決めればいい。そう納得できるようになってきている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?