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命懸けで考える

この僅か10年の間に、未来を想像してワクワクする気持ちをどこかに置いてきてしまった気がする。

100年に一度の異常気象が毎年訪れる。それはもう100年に一度ではない。すると今度は「これまでに経験したことのない風雨」経験したことがないのだから想像も出来ない。ただただ怯えて、浸水しないためには2階で眠れと言われたが、電柱が折れて二階を直撃。早めに避難、どこへ?近くの避難所は、人数分のキャパがなく、プライバシーのかけらもない避難生活。他国の避難所には、整然と用意されたバルーンテントで区切られている。もちろん、地べたに横たわる子どもたちの映像を知らないわけじゃない。今、まさに戦争のただなかでありながら、そこで「日常」を過ごす他国の映像が時々流れてきて混乱する。

いつ死ぬかわからない宿命を持って生まれてきたのが人間だ。それは災害や戦争に比べて、あまりに当たり前すぎて話題にもならないが、投身自殺に巻き込まれて死ぬことを、誰が明日の自分だと思うだろう。常に上を向いて歩いていれば、前からきた車に轢かれる、穴に落ちる。死なないためには、布団をかぶって家から一歩も出なければいいのか、いや、隕石やら飛行機が、いつ何時落ちてくるやもしれない。

自分が持続することもままならない中で、この世界の持続を考えるのは難しい。生きていれば、食事をする、電気を使う、水を使う、排泄をする。1人の人間が1日生きるためには、たくさんのエネルギーを使う。使わないで生きることを一斉に始められる智慧を人は持っていない。もう、終わった方が良いのではないか、人間。地球は自浄能力を越えてしまった。鳥だって立つ時には後を濁さないのに、汚れたままで終わるのが気持ち悪い、そこからはじめませんか?

自国の為という大義名分の下、戦争は起こる。大人は子どもに「喧嘩してはいけない」と教えていながら、自分たちが喧嘩をしている戦争を、どんな理由にしろ子どもには通用しない。
二酸化炭素排出抑制のために車がなければ仕事にもいけない。だったら行かなければいい。コロナ禍で唯一良かったことは、人間が「考えた」ことだ。テレワークが増えた。通勤費もオフィスもなくなればエネルギーコストは削減される。

私たちはいつか死ぬのだから、汚した地球を後世に残すために少しでもきれいにして返すことを、一斉に「考える」ことからはじめよう。切実に。命懸けで。

#未来のためにできること

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