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月刊ココア共和国9月号:やながわ的感想①

ココア共和国が月刊誌になって6ケ月。詩誌としての充実度を増してゆく様には圧倒される。

まず、この詩誌の凄さは、前月の結果が翌月に発表されることだ。数か所に投稿した経験のある梁川からみると、これは驚異的なスピードだ。たいてい2ケ月はかかる。編集をはじめ冊子の作成に関わる方々は寝ていないのではないか、と思うほどだ。まだ自分がかいた温もりの残るうちに結果が出ることは、投稿者にとって何物にも代え難いのではないだろうか。梁川が投稿していた当時、〆切の違う詩誌へ投稿するため、〆切日、発表日、作品名をEvernoteにまとめていた。(どうでもいいことだが、自信のあるなしなども)結果が出た時に、思い出すために。2ケ月たつと、ずいぶん自分の手を離れてから時間がたっているので、どんな気持ちで、何をかこうとしていたのか忘れてしまっていることも少なくない。それから見ても、この超ハイスピードの結果発表はありがたいことだ。

編集長の佐々木貴子さんの編集後記には今月号は電子版をあわせて157篇の詩が掲載されていること、そして、それは投稿詩のほんの一部なのだとかかれている。いったい投稿詩数はどれほどの数なのか、驚くべき数字であるのは間違いないだろう。ひとり一篇であるということは、それだけの人数の投稿者がいるということだ。ココア共和国の投稿が、他の投稿詩と違うのは郵送ではなくHPから投稿することだ。コロナ禍という今の時期と、郵便そのものが馴染まない若者であっても、HPから投稿することが出来ることで門戸が広がっているのではないだろうか。ネットが標準になってきた昨今、これは他に先駆けた画期的な投稿方法だと思う。

今月号の「投稿詩人のあなたへ」で秋吉久美子さんが、かかれている「詩の最後の2行」について唸った。
「最後の2行はあなた(誰だ?)を解き放っているか?/あなたが解き放たれれば、私も解き放たれる。/もし過剰なら捨ててくれ。/もし無駄なら捨ててくれ。/エネルギーにも知性にも、長い短いはないのだから。」
詩の長さを決められることは果たして幸せであるのか、否か、常に否定の目をもって立ち止まっているか、そのことを改めて考えさせられた。

前置きが長くなってしまったが、ココア共和国9月号で、梁川がふと手を止めた1行を持つ詩についてかいてみます。


「K」三船杏/様々な定義を持つ幽霊に関する質問および回答。質問と回答の詩をやながわもかいたことがあるが、この詩は圧巻だ。問がひじょうにいい。それに対応した回答もいい。タイトルの「K」の意味を考えている。書くこと、鍵束、コップ、彼のKなのか。詩の中に一度も出てこない言葉をタイトルにすること(できること)に、才能を感じる。

「夏の影」真水翅/だあれもおらん、なんもかんも、などの言葉が効果的で、独特の世界観があった。なあこちゃんとうち、ふたりのやりとりが、夏の澄んだ水の幻影として浮かびあがってくる。

「ギロチンの詩」野々原蝶子/「夏が枯れた匂いは/初めて殺した生き物と/同じ匂いだよ、」 ここが特にいい。句点である場所に読点があることも新鮮だ。

「椿の花」故永しほる「椿は何度も花を落としていて/落ちるたびに落ち方がそれらしくなってなってゆくのは/その頭の持ち主がたまたま/生きていると思われる私であるからで」 いいですね!めちゃ好みです!椿=私なのかとかそんなことよりも、落ちるたびに「それらしくなってゆく」のですよ。素敵です。

「目撃」向坂くじら「よっつ並んだ/目玉の空のなか/よっつの飛行船が/東の方へゆきすぎる」 つながったふたりのよっつの目が見つめる飛行船がゆっくりと通りすぎる空が浮かんだ。向坂さんには一度お会いしたことがあると思う。(朗読会で)とても印象的な詩をかかれる方だ。

「ふたり」まきいさお/この詩はタイトルも筆名も詩も殆んどが「ひらがな」で独特な世界観を持っていて、読後にふっと何かが残る。

「うまれる、かわる」三波並「実はわたし、こっそり小さく息を吸って/あなたを飲み込んでいたんです。」あっ!と思いました。この詩を読んで、私も今度大事な人(ペットも含めて)を亡くしたら煙となった空気を吸い込むんだ、と決めました。

以上。

やながわ的感想②には、佐々木貴子さんの「嘘八百屋⑥」についてかきたいと思っています。(久しぶりにPCの画面からnoteをかいてみましたが、PCがいまいち不調のようで、あちこちが見えない霧のなかのようなところで打っておりましたので、次回はスマホからにしようと思います)

 







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