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ふとした記録

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アラフィフのおんなが書いている日々の記憶です。 ささいな日常の手触りを思い出すための記録です。
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#日記

生きる積極性を増すために

前回「生への執着が希薄」という感覚について書いたら、とても共感するというメッセージが来て嬉しくなった。 いつ死んでもいいと言うと、 「何か困ったことがあるんじゃないか」 「そんなにつらいことがあったんだ」 と思われやすいのだが、そういうことでもないのだ。 生への執着のなさ=不幸とは限らない。 そして、幸せである=悩みがない、とも限らない。 「幸せだ」と言うと、 「いいわねえ好きなことを仕事にできて」 「いいわねえ旦那さんがやさしくて」 などと言われることが多い。 もち

お天気のちから

ずっと悩んでいることがあって、 どちらかというと悲観的で泣いてしまいそうなんだけど、 ふと外を見ると今日はとてもいいお天気で、 「問題に気づけただけでもいいじゃん」 という気持ちにさせられる。 お日さまの光ひとつで、 ちょっとした決断が変わる…なんてことだって あるのかもしれない。

ポスターで惹かれる映画

先日映画館に行ったら、格好良いポスターが並んでいたので思わず写真に撮った。 トップガンの空の見せ方、 007のカラーとフォントの使い方、 地獄の黙示録の、古いのに新しく格好良い感じ、 1917の数字のインパクト。 どれもすごいなー。 1917はこのポスターで気になって、予告編見たらすごく面白そうだったんで見たくなった。 デザイン大事…!

集中と弛緩

落合陽一と横尾忠則の対談に惹かれ、昨年10月号の文學界をいま読んでいる。 https://amzn.to/2UM462K 「絵を描いているときは集中と同時に弛緩だね」 「肉体を脳化しちゃえばいい」 という横尾氏の話、 「(デジタルが世の中に幅広く普及していたため)モノの手触りやテクスチャーを意識したり、統合されたものよりは発酵的でアミニスティックなものに惹かれたり」 という落合氏の感覚、 いずれも頷いたり気づきを得ることができて、すごく面白い。 ”質問力”にも通じる

質問力

「よい教えを受けているはずなのに上達しない」 という悩みを少し前から抱えてきた。 そしてまったく別の場所で、 違う人に疑問を投げかけてみたところ、 手に取るようにわかってすぐに実行に移すことができた。 両者の違いはなんだろうなと思ったら、 「私自身がいかに的確な疑問を持てているか」 だった。 答えを生かせるのは、未熟な部分を的確に把握できているとき。上達したいと思っていても、 漠然としているうちはまだスッキリできない。 漠然を繰り返すと、急に視界が拓けたりするのだろう

寝坊

夢のなかでお財布を拾ってしまったので、 それを届けるためにもう一度寝た。 美大っぽい施設で拾ったのだが、 受付のような場所が見当たらなくて、 先生らしき人に預けてきた。 白くて大きな、ファスナーつきの長財布。 無事に持ち主に戻りますように。

一日一度のお楽しみ

テーマを決めて、合わせるのが好きだ。 特に料理。 例えば、メインが麻婆豆腐なら、サブも中華風のおかずにしよう、と考える。 ありあわせの材料で、テイストを揃えられると嬉しい。 昨日は ・麻婆豆腐がメインと決まっていた ・賞味期限のきた、しらすがあった ・たくさんのブロッコリーを下茹でをした ため、 ブロッコリーの芯としらす入り卵焼きの中華あん炒めを作った。 味付けは鶏ガラスープ。 麻婆豆腐との相性もよくて、満足。 テイスト統一は、 夕飯づくりのちょっとしたエンタメ

充電100%の喜び、100%以上にならない戸惑い

タブレットを充電して100%になった。 100%の状態は滅多にないので、満ち足りた気分に。 しかし、この物体は充電100%を超えて120%とかにはならないんだな、と気づくと少し物悲しくなった。 人間のリミットはもう少し可変というか、明確な制限はない。 (だからこそ危ないこともあるけれど) 残り1%ですごい力を発揮したり、100%だと思っていたものが200%になったりする危うい面白さが人にはあるんだな〜と思った。

幸運は、うっかり入る?

昨日は節分だったので、神社の豆まきに参加した。 氏子さんたちが豆や饅頭や蜜柑をまいて、私たちが取る。 袋入りの豆がまかれるのかと思ったらバラだった。 キャッチするのは難易度高い。 案の定、キャッチできたのは饅頭一つのみだった。 だが、気づいたら、ダウンジャケットの袖口に豆が二粒ほど挟まっていた。 幸運は狙って得られるものではなく、こういう風にうっかりやってくるのかもしれない。

断片で、できている

冷蔵庫にあるものを使って、適当におかずを作る。 適当な断片を調理して食べることで出来上がった自分は、 断片の集合体なんだな、とふと思った。

木漏れ日ずきのギャップ萌え

今日は良い天気だったので、風に吹かれる木の陰影を、窓ガラス越しに楽しんだ。 光だけとか影だけだと、このような味わいは感じられない。 陰と陽の対比があるのが、いい。 となると、ギャップ萌えの元祖シンボルは、木漏れ日や木陰かもしれない。

「完成」になるタイミング

アートって、どのタイミングで完成になるんだろう? 売れっ子現代アーティストの方に尋ねたら 「締切」という答えが。 予想もしない内容だったが そ れ だと盛大に納得した。 クオリティももちろん大事だけれど、 クオリティだけを見ていたらそれこそ永遠に完成できない気がする。 締切、大事。 今日は、今年立てた目標を見直して、 区切りを明確に設定していこう。

ちっちゃなころは

今日は雨だったけれど、 図書館から「予約した本が届いた」との知らせがあって、外に出た。 下校中の小学生が 「ちっちゃなころはさあー」 と連呼していたのが可愛かった。 まだ小学1,2年生くらいに見えるけれど、 「ちっちゃいころは」と振り返るのが面白い。 たしかに、比較の表現としては正しい。 正しいのに面白いって、 どういうことだろうと考えてしまった。 ついでに、 年下の子に「もう年なんで」と言われたときの違和感を思い出したりした。 ・ 図書館では、調べものを司書に相

半歩進む勇気をくれる「バースデーワンダーランド」

 予測しないタイミングで知り合いと一緒に電車に乗るのが苦手、なときがある。  一緒にご飯を食べるのも、おうちに遊びに行くのも楽しいし盛り上がるのに、ふと同じ電車に乗り合わせたときに「あ……」ってなる、宙に浮いた空白がなんとなく居心地が悪い。  フィットするときはいくらでも側にいられるのに、ぼんやりとした居心地の悪さを感じてしまうと、無性に一人になりたくなる。  だからといって人付き合いが嫌いなわけではなく、むしろ好きな方だと思う。社交的なのか孤独が好きなのか、他者との距離