体重移動しながらカーブを曲がる無意味さ。

今日は自分のお話。

緩やかなカーブの怖さ。

速めの速度でカーブを曲がる時、車が横転するんじゃないかって不安になる。このまま「ころんっ」て横転しちゃうんじゃないか。曲がりきれずに反対車線にまではみ出してしまうんじゃないか。そんなことを考えたりする。

そんな時にささやかに、身体を傾けてカーブを曲がったりする。少しでも体重を傾けることで重心を持っていかれないように。マリオカートのように。自転車にキキを乗せて走るトンボのように。速度を緩めず、全力で曲がる。傾いて、傾いて、たとえ脱線しても現実世界にはジュゲムはいない。自分でコースへ戻るしかない。レッカーはあるけど、横転したら現実ではコースに簡単に戻れない。大破するから。

ダメになるものは結局なる。

体重移動なんか車の重さに比べたらすごくすごくささやかだ。体重移動なんかで回避できるギリギリの運転をしていたら、いつかは横転する。行うべき対策は体重移動じゃなくてカーブに差し掛かる前の減速であったり、コーナリングのハンドル捌きだ。

体重移動なんかで回避される横転なんてない。たまたまうまく行っててもいつかは横転する。ダメならいつか必ずダメになる。小さな気遣いを行わなかったことを後悔するよりももっと以前にやらなければいけないことがあったはずだ。

誤魔化してもごまかされない。

あの時こう言ってれば、この時こうしていたら、なんて後悔することがたくさんある。でもそれはその瞬間にダメになったんじゃなくて、小さいものが積み重なって、ちゃんとダメになってる。

その一瞬の判断や行動じゃなくて、もっともっと前からの根強いこと。こうしてたら、ああしてれば、こうしてくれてたら、あれがなければ。そんな後悔はただ無意味で、何も本質を掴めていない。付け焼き刃のその場の判断を後悔するんじゃなくて、その事象にたどり着くまでのことを振り返らなければ意味がない。

今までの運転の仕方や、車のコンディション、天候や、自分の気の焦り、道がどんなだったか、減速の仕方、ハンドル捌き、周囲の環境、たくさんの要因がある。自分だけが招いたことだけじゃない。「今」だから招かれたわけじゃない。

その一点を後悔するのは容易い。いつもしていた一つをしなかったことを悔やむ方が気が楽だ。でもそれじゃあ事故防止にはつながらない。安全対策にはならない。そこに至るまでの要因は何だったのか。

一番大事なのは、それを振り返ることができる自分がいるかどうかだ。

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