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忘却

君にとっての僕は一体なんだったのだろう。
何も望まず、何も奪うことなく、ただ側にいた。
晴れ間が見えることはなく分厚い雲が覆う日も、前も見えず傘が溺れていきそうな雨の日も、ただ君だけを頼りに生きていた。
主役は自分だとばかり主張し続ける太陽よりも、頼りない弱々しい光を放つ月よりも、君が一番の僕の光だった。
もう一度、聞く。
僕にとっては光ならば、君にとって僕はなんだったのだろう。

その日も頼りない月を横目に、疲れて鉛のように重くなった足を持ち上げ、
一生懸命歩いていた。と思う。
昔から第三者目線で俯瞰して自分を見る癖があるせいで、人に興味関心が湧かず、人間関係における親友、恋人と言った名のつく幸せに触れたことがない。友達はおそらくいる。こういった無感情な僕を物珍しがる奴は何故か各団体に一人はいるものだからだ。しかしある日ぱたりと消えてしまう場合もあるし、表向きは同じ性別の親友に告白されて断ると恨まれるなんてこともある。だから、「おそらく」とつく。いるようで、いないようなそんな毎日だからだ。
そう、その日は、確か、居酒屋のアルバイトが思ったよりも遅く終わり、店長がお詫びにと、余った焼き鳥を数本と、枝豆を持たせてくれた日だった。袋から漂う焼き鳥の匂いが、鼻を掠めるたびに、お腹がすいたと思っていた。入学式に声をかけてきた友人が、僕を誘ったことでたまたま始めた近所の居酒屋でのバイトだが、彼よりも僕が長続きしている。俺、ホストになるわ!!と豪語した彼は嵐のように去っていった。だから今いるのは僕と店長と、店長の奥さんと、確か、1人女の子がいた。小さな個人経営の居酒屋なので、いつも店長と店長の奥さんと3人で組んでいるせいで女の子が分からない。
まあそんなことはどうでもよくて、居酒屋の仕事帰りにたまたま、本当に偶然君とは出会った。おそらくこの時の僕は良い匂いが人よりもしていたから、君も多分いいなと思ったんだと思う。近寄ってきて、「いい匂い」と多分言った。だから僕は「まあね」と頭の中で答えた。そりゃあいくら僕でも警戒はする。怪しいものには近づかないようにと祖母に散々言われてきていたし。
だけどたまたまだと思う。君が泣いていた。僕はそれを見逃せば良かったんだ。そうすれば祖母が口酸っぱく言った約束も守れたはずだった。けれど
たまたま見逃せなかった。あの弱々しい月の光が、綺麗にその涙を写しているから、目が離せなくなった。
「食べ、ますか」と頼りなく聞いた。小さな首をこくりと前に動かしたので、袋から焼き鳥を一本取り出し渡した。泣きながら喜んでいた。僕は大層良いことをした気になった。

その日からずっと一緒にいた。昼間に何しているのか不思議だけれど、
特にそこは踏み込まず、空気のように2人で過ごした。
あまり喋らないので、居心地が良かった。冷たい雨の日や、低気圧が頭痛を襲う曇りの日は隣で一緒に寝た。暖かかった。
時々目が美しい青に見えて、嫌になったことはあったけれど、
そう言った負の感情はすぐに消える、初めての経験だった。
いつの間にか空気ではなくなった。
いないといけない存在が初めて出来て、僕は死にたくなった。
誰かの温もりがこんなにも自分を暖かくすると知らなかったから。
ずっと側にいてほしいとわがままを言おうとしたから。
僕にとっての幸福はこの輝いた人生がいつまでも続くことだけだと
思った瞬間もうダメだと思った。

欲張ったからだろう。
その光は突然消えた。
帰っても物音ひとつせず、暗い。
消えた。
どこを探しても、もう跡形もなかった。
当たり前は突然に消えることを知っていたはずなのに。

母の運転する車が飲酒運転の車にぶつかったあの日もそうだ。
当たり前は突然に消えた。
残ったのはわがままを言って遠くのショッピングセンターで
買ってもらった綺麗な青色のランドセル。
その日からもうわがままを言うのはやめた。
人に興味を持って大切にするのをやめた。
自分を第三者のように扱うことで、楽になった。

だからもう知っているはずだ。
自分を他人のように扱え。そうすればすぐに楽になる。
だからもう。失ったとは思わないことだ。
あの日、何も起こらなかった。焼き鳥は1人で全て食べた。
何かあったとしても全て忘れてしまった。
そうだ。それでいい。

僕とっての君はなんだったのか。
それさえも
今は
忘却の彼方だ。


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