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文章とわたし

今日は、文章とわたし自身の関係について、ほぼ自分の記録のために書こうかな、と思います。ほんとに自己満記事のため、自由且つ長めですが、お時間あるときにさらっと読んで、なにか感じてくれたら嬉しいです!


「もしかして文章割と得意なのかな?」と初めて思ったのは小学3年生の時。
小学生って、夏休みの宿題で読書感想文あるじゃないですか。それで、全国か県の作文コンクール?的なやつのクラスか学年の代表で、先生が私の感想文を選んでくれたんですよね。多分私1人ではなく、5人くらいいたはず。なに書いたかとかは全然覚えてないし、文章を誰かに習ったこともないので、純粋に嬉しかったことだけちょっぴり覚えてます。あと、小学5年生の時、自分で作文書いてスピーチする授業?的なやつがあって。そこでよかった作品にクラスで投票して、選ばれた代表2人は学年全体で発表する感じだったんですけど、ありがたいことにそこでも選んでもらえたんです。

でも、文章を選んでもらえた経験は当時のたった2回しかなくて。それも、学校やクラスでの代表なだけで、全国や県とか、広い舞台で賞を頂けるほどの文才ではなかったんです。少し人より得意で、文章を書くのが全然苦じゃないってだけでした。

それから月日が経って、文章を書く機会も人に読んでもらう機会も、社会人2年目まで全然ありませんでした。大学のレポートやテストで長文を書くときはあったけど、相変わらず全然苦じゃないなあくらいの気持ち。

そして就活の時期がやってきて、まあここで大挫折を味わってからの社会人で心も体もやられ鬱になります(笑)組織ムリすぎ人間ムリすぎ、、て感じ(笑)この話、別のnoteでもちょろっと触れてるけど、また詳しく書きたいな。

そんな当時の私を救ってくれたのが、本の文章やSNSで見つけた方の言葉だったんですよね。私、身近な人に相談事できないんです。「人に相談してなにになるん?」て思っちゃう。周りの人を信頼してないわけではないのに、話せない。
でも一人で抱えるのも苦しいんですよね。なにかにすがりたくて、本当は救ってほしくて助けてほしくてたまらなかった。人生初めての挫折で、立ち直り方も人への頼り方も分からない。社会のレールから外れた自分がどうしても許せない。人に涙は見せたくないくせに、いつまで一人で泣かなきゃいけないの?って、誰かに悲しさを分かってほしいくせに、こんなに辛い気持ちを簡単に理解されてたまるかって、矛盾した気持ちを抱えて押し込んでました。

そんな中で、自分と同じ境遇の人のブログをSNSで見つけて、心がやわらぎました。
「生きる 辛い」で検索して、たまたま目に入った記事を読んでめちゃくちゃ救われたし、
帯に惹かれて衝動的に買った本の登場人物の言葉で励まされたりってことが、何度もありました。だから、「私が辛い時に助けてくれたのが文章だったから、私も言葉で人を救いたいな」と、文章を書く仕事がしたいと初めて思ったのがこの時す。
あと、かなり久しぶりに文章を人に見てもらう機会が巡ってきたのもこの時。会社の部署で1人ずつコラムを書くことになって、私の作ったコラムを周りの方がめちゃ褒めてくれたんですよね。「内容もいいし分かりやすい」「クオリティ高い」って言ってもらえて、嬉しかったなあ。

この出来事が後押しにもなって、文章を書く仕事がしたい気持ちが溢れたんですよね。だったらコピーライターとかかな?と思って、講座探して受講したんですよ。でもその講座が、「noteはこういう型で書いたら読まれやすい」とか、「Twitterはこんな方法でとにかくフォロワー増やそう」みたいな感じで、え?みたいな(笑)ある程度は見られる、売れる型で文を構成することが大事であることは、頭では理解できるんです。でも、そこまで固執しなきゃなの?それで得られたフォロワーになんの価値が??と思っちゃって。

あと、「自分の書きたいこと書いても読まれない」って教わって、落ち込んでしまったんです。型にあてはめて文書くのが楽しくなさすぎた。その講座を否定するつもりは全くないのですが、私個人にとっては違和感がすごくて、そしてこの違和感が「ああ、私って文章書くのそこまで好きじゃないのかも」って気持ちに繋がってしまって、書くの辞めちゃったんです。それからまた長い闇があって(笑)でもやっぱ書いてみよ〜となってnote書いてる自分がいます。


今だから思えるんですけど、コピーライターの講座で1回文章から離れたのも、
「もっとどん底中のどん底を経験しとけ」ってことだったんかなあ、と思います。
あと、「あなたは型にはめて書くな、感受性のまま書け」ってメッセージもあるんかなとか。
最近Mikaさんがよくおっしゃってる、「言葉に説得力を持たすためには、経験が必要。」っていうのがしっくりきて。「使命を果たすためには、まだ辛いことの経験不足だから」ってことで、まだ続く闇を経験するためにそうなったんかな?後付けになっちゃうけどそんな気がします。

自分にとって文章が大事なものであることを気付かせていただける機会に恵まれて本当に幸せです。私は、読まれやすくてバズりやすい、法則通りの文章ではなくて、感性で書いて、誰かの心を救う文章を届けていきたいな。


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