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【シリーズ摂食障害Ⅱ・#9】 完全主義と我慢強さ、強迫性

【シリーズ摂食障害Ⅱ・#9】 完全主義と我慢強さ、強迫性
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」

 摂食障害への理解を深めていく連載・シーズンⅡでは、摂食障害と関連する心理面の特徴について、理解を深めています。これまでに、やせ願望と肥満恐怖、ボディイメージの障害、内的知覚の混乱と外的基準への依存、頑張ることと過剰適応について触れてきました。今回は、EDI(質問紙)にも取り上げられていた、「完全主義」と「我慢強さ」に、「強迫性」を織り交ぜ、ご説明したいと思います。

1.「完全主義」の問題点


 私たちにとって、完全を目指すことは、一義的にはよいことと考えられます。そしてしばしば、周囲からそのように求められもします。ところが一般的に、「完全主義」というとき、そこに好ましからぬニュアンスを含む場合が多々あります。

 私たちはそもそも、常に”完璧な”存在ではあり得ず、しばしばエラーを起こし失敗します。「完全主義」の人は、完全である“べき”という「べき思考」にとらわれ、エラーを起こす現実と衝突し、フラストレーションを溜めてしまうことになります(自分の事であれば落ち込むし、他者の事であれば怒りや苛立ちを抱くなど)。

 さらに私たちは、不完全な現実と折り合おうとする時、その現実に対し、部分的で従量的な価値を見出そうとするものです。例えば、満点を期して受験した学力テストで、97点を得たとします。その結果に対し、「満点ではなかったけれど、それなりに努力の結果が出たな、次頑張ろう」などと考えるわけです。

 ところが「完全主義」の人は、完全でない現実に一切の価値を見出さない傾向(「白黒思考」などと呼ばれます)があります。100点を取れなければ、自分の努力が水の泡だ、などと考えることによって、フラストレーションを溜めがちであることは、いうまでもありませんね。

 このような、さまざまなフラストレーションにつながりがちな「完全主義」が、摂食障害と関連すると考えられています。

2.「我慢強さ」について


 頑張り屋で完全主義の人は、多くの場合、「我慢強い」人でもあります。「我慢すること」もまた、しばしばよいことと考えられ、周囲からそう期待されたりもします。この点では、「頑張ること」と「我慢すること」の特徴は重なるのですが、「我慢すること」は目的本位で評価されるもので、世の中には「我慢しない」ほうがよいことも多いはずなのです。ところが、我慢が習い性になってしまった「我慢強い」人は、どのような状況でも我慢が表に出ることで、それがフラストレーションにつながってしまいます。

 制限型の神経性やせ症の場合では、本来生理的に無理なはずのカロリー制限を「我慢して」やり遂げようとします。過食嘔吐を伴う摂食障害の場合、日常生活のストレスを「我慢」し、過食嘔吐が唯一のストレスのはけ口になっていたりします。

3.「強迫性」との関連


 「完全主義」や「我慢強さ」は、多くの場合、そうせずにはいられず、内的に切迫した心性、すなわち「強迫性」に基づいています。摂食障害の症状は、自分の意思で、ではなく、何かに追い立てられ操られているように、当事者自身には感じられてしまうのです。周囲の受け止め(例えば「ダイエットの成功者」)とのギャップ(「本当はいつこのバランスが崩れるか、不安で仕方がない」)に悩む当事者も多いことを、付け加えておきます。

(つづく)

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