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【本のご紹介】オルナ・ドーナト、鹿田昌美訳 「母親になって後悔してる」

オルナ・ドーナト、鹿田昌美訳 「母親になって後悔してる」 (新潮社 2022年)

 昨年話題となり、NHKクロ現でも取り上げられた話題。やっと読めました(大学の図書館で借りた)。

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 母親になったことへの後悔。一部の人(いやむしろ多数派かも)には受け入れがたい話題。でも良し悪しは別にし、そう思う(「とにかく母になりたくない」「母でいたくない」)女性がいる、ということを世に知らしめたという意味で、功績は大きい、ということでしょう。

 後悔(や愛情、や尊敬、など)という心的行為は、外的力動に干渉されず(愛せ、尊敬しろ、後悔せい!と強いられてするものではない)、同時に私たちの意思からも自由な(愛そうと意図して愛するのではなく、尊敬しようと頑張って尊敬するのでもなく、いわんや後悔しようと思って後悔するものでは決してない)、中動態の態をもった行為なのですね。だからそう思うのであれば、周囲も自分自身も、それを止められないのです。そういうものだから仕方がない、と置いておくしかできないものなのです。

 本書でも、最後の方で触れられていましたが、後悔している母親に対して、自ら選択したのだから責任があるはずだ、後悔などというのは責任放棄だ、とするのは、後悔するということ全般に対して的外れなのです。後悔しようと思って後悔することを選択したわけではないのだから。

 そして、女性に対し、母親になることを明に暗に推奨・誘導し、いったん母親になったのならばその責任を(子が成人するまで、いや自身の死まで永遠に)完遂せよと強いる社会的力動があり、女性たちはそれに縛られ続けてしまう。女性は、自らの体・性・生活の主体者であることに、大きな困難が伴い続ける、というのです。

 私はことさら、フェミニストたろうと意図している訳ではないのですが、自然と「では男性は?」と考えてしまいます。「女性は、母になるか、キャリアを持つか、強力に選択を強いられる」と本文中にありましたが、男性の人生は「キャリアを持つ」一択です。日本における男性の育休取得率(そして育休期間の短さたるや!)の推移をみるにつけ、近々「父親になれず後悔してる」という書籍が必要になるのかもしれません。

 もやもやしつつの読書でしたが、示唆に富んだ内容だったと思っています。こういう話題は、タブーにせず、然るべき場でどんどん語った方がいいと思います(そうでないと、いつまでもうまく語れず、いつまでもうまく受け止められないよ)。男も女も、互いの立場を尊重しつつ、ね。

(おわり)

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